無題

おしゃれな活動家

東京の片隅の小さな音楽ホールに響くトランペットの音色が、戦争について唄ってくれた。即興で奏でられるジャズの調べは、世界の紛争や不条理にさらされる人々の怒りと悲しみを込めていると、伊勢崎さんは言うけれど、その音色はどこか軽快でパワフルだ。村本さんが呑むワインの赤は、平和について熱く語る彼の情熱の色にも思えるけれど、平和こそが戦争を引き起こす動機になっているのだと聞かされると、会場は一瞬しんとなった。

これは2018年11月14日に東京、田町で開かれたお笑い芸人、村本大輔さんと、大学教授でジャズ・トランぺッターの伊勢崎賢治さんによるコラボ・イベントでのことである。憲法9条について考えるというこのイベントの趣旨に、村本さんのファンからは賛否両論あったそうだけど、始まってみれば、グランドピアノのあるおしゃれな雰囲気の小さなホールで、ジャズの即興演奏を聴きながら、平和についてお二人の考えを聞くという、いわゆる世間の「絶対に改憲すべき」あるいは「断固として護憲」といったスローガンを掲げるお堅い集会とはまったく異なるものだった。

伊勢崎賢治さんはNGO職員として紛争地域に長く派遣されていた経験を持つ。シエラレオネでは8歳の子供が銃を手にして、大人と同じく戦闘員にされている現実を目にしたと、イベントの中で語られた。戦争が日常になっている国や地域では、子供でも銃を持つことが当たり前で、大人も子供に平然と銃を持たせる。日本に暮らしていると、そんな社会が現実にあることが、あまりにも遠い話でリアルに想像することができないけれど、そういう社会は現実にあるのですと、伊勢崎さんは語られ、そしてトランペットを手にされた。

Peaceという曲を作りました。この悲しみをジャズに込めます。

伊勢崎さんは独特の音色を奏で始めた。力強く、それでいてどこか寂しいメロディーが小さなホールを満たした。村本さんはメロディーに合わせて腰を揺らして、観衆の笑いを誘った。


やがてイベントは沖縄米軍基地の話題に入った。日米地位協定は日本とアメリカの不平等の象徴のようになっているけれど(そして実際にそうだけれど)世界を見渡せば、じつはこの協定とそっくりな協定が、ジブチ共和国と日本の自衛隊との間に結ばれていると、伊勢崎さんは言う。

アフリカ東部に位置するジブチ共和国は、世界で唯一、日本が海外に基地を置いている場所であり、その理由はソマリア沖での海賊対策のためである。2013年に起きたアルジェリアでの人質テロ事件の際にも、邦人保護の際にジブチの基地が使用された。また最近では、中国が「一帯一路」として知られる巨大経済圏構想を打ち出し、その終着点としてジブチに初の海外軍事基地を設けたこともあり、中国に対抗するためにもジブチの基地が重要視されている。

伊勢崎さんいわく、日本の自衛隊とジブチ共和国の関係は、沖縄と米兵の関係とそっくりな上下関係にあるのだという。日米地位協定とそっくりな不平等な協定が、ジブチと日本との間に結ばれているわけだ。

「日本が沖縄をめぐってアメリカに対して感じる怒りや、やるせなさ。それと同じような感情を、日本もジブチの人々に対して与えているのかなと思うと、なんともやるせない」

世界を巡ってきた伊勢崎さんならではの視野と視点に、考えさせられるところが多かった。

ジブチの現地の人々は日本の自衛隊のことをどう思っているのだろう? 沖縄で米軍が女性を性的暴行したりするような犯罪を、まさか日本の自衛隊もジブチの女性たちに対して犯しているのだろうか? もしそんなことが現実には起きていたとして、日本で報道されていないから、私たちが知らないだけだとしたら、とてもいたたまれない。多くの疑問が私の頭を駆け巡り、挙手して質問をしてみたかったけれど、会場の雰囲気を壊したくなかったので、今回は見送ることにした。いつか機会があったら、伊勢崎さんに伺ってみたい。

僕は平和という言葉が嫌い

その夜、私の心に強く印象を残したのは、伊勢崎さんのこの言葉だった。誰もが平和を望んでいる。だけどこの平和を維持するために、これまで多くの戦争が引き起こされてきた。つまり、平和は戦争の動機なのだ。多くの命が平和の名のもとに失われてきた。見方を変えれば、平和ほど恐ろしい思想はないのかもしれない。

私は伊勢崎さんのように、平和は嫌いとまでは言い切れないけれど、平和ほど矛盾をはらんだ言葉はないと思っている。2003年、サンフランシスコで大学生だった私は、友達のハウスメイトのひとりがイラク戦争に出兵するのを見送った。当時のブッシュ大統領は、911の報復とアメリカの安定のためにイラク戦争を始めたが、友達のハウスメイトは、学費を稼ぐために出兵した。数年間従軍すると、帰国後に学費が免除されるという恩赦があるからだった。私の大学は州立大学だったので、裕福な学生ばかりではなかった。親からの仕送りとアルバイトだけで学生生活を賄える人ばかりではなく、自分の教育を得るために国に貢献する道を選ばざるを得ない人もいた。

フェアウェル・パーティーと称して、私たちは彼のシェアハウスでお見送り会を開いた。彼のガールフレンドは泣いていた。彼は必死に涙をこらえていた。まるで昔のアメリカ映画のワンシーンを観ているかのような現実が、確かに私の目の前で繰り広げられていた。私は彼にかける言葉が見つからなかった。他のハウスメイトたちも、誰も気の利いた言葉など見つけられなかった。元気でねも、頑張ってねも、ふさわしくない。喜んで戦争に行く人なんていないのだ。

その後、彼が無事にイラクから帰国したのかどうか、誰も知らない。あの時フェアウェル・パーティーに参加した私たちは、彼自身の口から「ただいま」と直接連絡をもらうまでは、こちらからは彼に連絡しないことを約束していたからだ。イラクの駐屯先に電話できる人が制限されていたこともあるけれど、こちらから彼のサンフランシスコのお母さんに電話をして、もしも悲しい報せを受けることになったらと、わずかでも想像したくなかったからだ。

ホワイトハウスは平和のためという大義名分を掲げても、その下には生活のために、少ない選択肢の中から、戦争への参加を選ばざるを得ない人もいる。伊勢崎さんがシエラレオネで見た、子供でも銃を持つ社会は、きっと私の友達がイラクで見た社会とそっくりなのだろう。

決めるのはあなた

日本も将来、アメリカのように、生活のために戦争へ行く人が増える社会になるかどうかは分からない。ただ、そう遠くない日に、改憲をめぐって国民投票が行われる日はおそらく来るだろう。

「改憲するにせよ、しないにせよ、どちらに票を入れるにせよ、あなたにとって後悔のない選択をしてほしい」

伊勢崎さんは会場に向かってそう仰った。決めるのは私たち。振り返れば、このイベントは憲法がテーマだったにも関わらず、村本さんも伊勢崎さんも観客に向かって「改憲がいい」とか「9条守るべき」などの呼びかけは一度もなさらなかった。自分の考えを観衆に押し付けるのではなく、あくまでみんなで一緒に考えを広げて深めるための夜。その自由さと優しさの中に、私はハウスメイトの彼の顔を思い出した。

僕はお笑い芸人じゃないかもしれない

村本さんはこんな締めの言葉で、会場をどっと沸かせた。

「戦争について考えようとか、憲法について語ろうとか、そんなことはお笑い芸人のやることじゃないと言う人もいる。彼らの言うことが正しいなら、確かに僕はお笑い芸人じゃない。僕は活動家です」

もちろんこれはジョークだけれど、私は活動とは何だろうと、考えた。私の好きなイギリスのミュージシャン、ナタリー・インブルーリアは若い頃から、アフリカの貧困問題に取り組んでいて、ナタリーのおかげで私は彼女が支援するアフリカのその地域が支援を必要とするような状況にあることを知った。ハリウッド俳優のヴァン・ディーゼルは、そのスキンヘッドとマッチョな体格に似合わず植樹活動に地道に取り組んでいる。彼らのおかげで、世界には様々な取り組みがあることを教えてもらった。

村本さんのおかげで私は、ジャズにワインに即興演奏にジョークを交え、こんなふうにおしゃれに憲法を語ることができるのだと知った。シエラレオネの話も、ジブチの話も、日米地位協定のことも、ハウスメイトの想い出も、ジャズとジョークがなければ、私はおそらくもっと辛い気持ちになっていたはずだ。

こんなおしゃれな活動なら、もっと広げていってほしい。

村本さん、伊勢崎さん、ありがとうございました。

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