努力を否定された時
「気持ち悪っ。」
クラスの男子に驚きと恐怖が混じったような表情で言われたことがある。容姿のことではない。
「テスト、何位だったん?」
そう聞かれたので、1位だったと率直に答えた時の反応が、
「気持ち悪っ」というものだった。
今でも思い返せるあの表情は、今で言うとドン引きという表現がぴったりだ。
当時勉強以外に興味が持てるものが無かった私の心はまだまだ幼く、その言葉を必要以上に素直に受け止めてしまった。
テストが一位であるということは親からは関心されていたが、この人から見ると「気持ち悪い」ものなのだと理解し、急に恥ずかしくなってしまった。
それからゆっくり私は変わっていった。成績が良くても周りには言わないことは当然になったが、さらには周りの友達の真似をするようになった。勉強は集中して短時間で終わらせていたのを、だらだらとよそ見をしながらやるようになった。
夏休みの課題、絵や部活でも全校生徒の前で表彰なんかは絶対にされたくなかったのでわざと手を抜いたりした。
真面目、努力という言葉が大嫌いになり、それをとりえにしている人を陰で笑った。
その結果何に対しても熱中できない、斜に構えたら傍観する冷めた大人が出来上がってしまったようです。
今まで本気で頑張ってきたことがあまりなく、それ故に本気で嬉しかったこともあまりない。気持ち悪い事件以前の勉強を頑張っていたときでさえ、実は不安から勉強をしていただけでありその結果を手にしたときには喜びは特になかった。
でも、戻れるものなら戻りたい。真っ直ぐだった頃に。
ここで自分の認識を書き換えたいと思います。
気持ち悪いと言った奴は私のことを下に見ていたのに、自分より成績が良くてプライドが傷ついた。その結果気持ち悪いと言って私の価値を下げ対等になろうとしたんだろう。
テストが一位であれドベであれ、それが示すのはただの順位なので気持ち悪い訳がない。反対に素晴らしいもクソもない。
一位になりたければ一位になるべく努力すればいいし、なりたくなければ別に努力しなくていい。たったそれだけのこと。成績が良くないと無価値な人間になるわけでもなければ、成績が良すぎて気持ち悪い人間になることもない。
今の自分に置き換えて考えてみる。自分は何を手にしたいのか。何をしたく無いのか。それが実現できるように、精一杯努力すること。そしてその結果自分の希望を実現させること。または努力が及ばず結果に妥協すること。これは全くカッコ悪くなくむしろカッコいい。
自分が欲しいものから目を逸らして過ごしてる方がカッコ悪いですね。自分の気持ちに、真っ正面から向き合ってみようと思います。
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