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PloggingというPKO -岐阜県美濃町-

本日の平和維持活動は岐阜県は美濃。世界遺産である「長良川をおよぐ鮎、およびその生態系」を守るため、地上から以下のゴミを摘発しました。今回、20日ほど岐阜に滞在していますが、美濃町はいたるところが美しい。


・タバコ x 50-60
・缶瓶PET x 10
・マイクロプラスチック
・マイプラ予備軍

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美濃町はかつて美濃和紙でめちゃくちゃ儲けたこともあり、現在でも町並みには気品を感じます。私は美しいものを残したい、と思うのですが、今の自分のままだと、美しい町に外部からひょこっとやってきて、美味しいところだけ見て、終わりだなと。部外者として、それを享受するのではなく、ちょっとでも美しさに貢献したい。


そして、町に落ちているゴミ達は、その見た目が卑しいだけでなく、いずれは海や川に流れます。それを魚が食べたりしたら、それを私たちも食べることになるわけです。捨てたものを、いつのまにか私たちは体内に取り戻しています。なんたる皮肉。全ての努力は、夏にまた美濃にきて美味しい鮎を食べるためなのです。


今回は、このPKOを美濃で知り合った星野くんという方と行いました。3段跳びの選手だと言うことで、彼とともに美濃の町をジョギングしながら、世界遺産である長良川や灌漑施設、伝統文化建築を見て回り、その周辺のゴミを広いました。ジョギングしながらゴミを披露活動を「Plogging(プロギング)」と言います。

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プロギングとは、以下の成り立ちを持つ造語です。
[ Plocka-Upp(拾う)+ Jogging(走る)=PLOGGING ]


ちょっとした言葉をかけるだけで、人の行動は変わるものだと考えています。なので、ゴミ拾いをもっとかっこいい活動にして行って、いろんな人を巻き込みたい。様々な世代や、各地域のギャルを巻き込んで、こんな風にしたい。

「PLOGGING(ランニング x ゴミ拾い)は、
健康的で、文化的で、かっこいい!」


現在、オフィスワーカーをはじめ多くの人々のなかで健康意識が高まり、ジム通いが増えています。しかし、深夜にジムに行って運動したって、睡眠の関係でたいした効果が期待できないのですから。もっと効率的に健康になるのならば、早朝とか夕方に、お金がかからないランニングをすればいいのに、と思います。


めちゃくちゃいろんなところでジムの姿を見ますが、ぼくは、正直、間違っていると思います。近所の商店が潰れて、新しくコンビニ、駐車場ができたときには、「間違っているけど、誰も止められないのか?」と。それよりも、子供達が遊べる大きな公園を整備したり、学校での体育の時間を増やしたり。行政手動で抜本的な仕組みを作って、小さい頃から運動ができる環境や、運動意識を受け付ける方がいいんじゃないのか。と。毎日30分程度の軽い運動習慣は、様々な将来の生活習慣病を予防します。


ジムのような閉鎖空間ではなく、外に飛び出して町の現状を知るとか。311以降、「つながり」とか「絆」という言葉が多くのメディアや、どこか地域の張り紙で見受けられるようになりました。私はこの現象がひどく気持ち悪い。軽々しく「絆」とか使うな、文字に失礼だと思います。そういった言葉がもてはやされるのは、それだけ欠如しているから。24時間テレビで大手広告会社による利益誘導を目的として友情番組がもてはやされる国ですから、それはしょうがないのかもしれません。日の出ずる国は、いつのまにか日が没する国担っています。口が酸っぱくなりそうなので、ぼくの意見を、端的に言います。

「家、オフィス、ジムの3つのコミニティーに閉じこもらず、
もっと広い世界を見ればいいのに。ランニングはいいぞ。」

以上です。いろんな意見がありますが、僕は、僕自身に、ランニングを進めたい。家や室内にこもって器具を使って、効率的に筋肉量をあげることも素晴らしいと思います。その目的ならば。


でも、心身の健康を考えるならば、外に出て、走り。自分が住んでいる地域の実情を知ったり、挨拶をしたりして顔見しりを増やす。それは何かの時にとても役だつ。役立つから挨拶をするわけではないけれど、災害時には本当に困る。走りながら、季節の移り変わりによる風の香り。樹木が構成する風景の色合いの変遷に気づける方が、僕は総合的な人間を目指せると思います。


iPodやウォークマンは素晴らしいと思う。けれど、それを転機に人間の諸器官は分断したものとして捉えられているように思う。それは西洋的な考え方で、日本は気の巡りとか、自然と人間との営みを分断せずに捉えていた。そういった精神性があると僕は思っている(僕を含めた現代人がそれを有するかは別として)。であるから、今流行りのVRとか、インタラクティブアートとかで、様々な自然環境が記号的に扱われているのをみて、すこし危機感がある。


本物の危険を有する世界よりも先に、ゲーム空間やVR空間を先に「世界」として認知するニュージェネレーションがそろそろ誕生する。いや既にかもしれない。これは、もはやSF小説を書いて、丹念にその世界をのことを、一部の読者と共有しないと、僕の危機感は伝わらないと思う。統合的な存在としての人間が、部品の寄せ集めによる有機体に進化させられようとしている。それがもっといけば、科学は人間を定義することができるかもしれない。心脳問題の最終的な決着時には、ディストピアが広がっているかもしれない。


現代社会批評的な僕の本音が出ましたが。「ランニング x 環境問題 」って様々な可能性があるように思うんです。それだけを、書きたかった。昨夜は「Super Size Me」という映画を見た。これは、1ヶ月3食マクドナルドを食べつづける映画。僕はもちろん、カップ麺をすすりながら、見た。「食の専門家」や「子供達に豊かな食事を!」と名乗る人々が、出来合いのファストフードを学校給食で提供し、あからさまに医療費と肥満のパーセンテージが伸びている図を見て、驚愕した。


映画自体は10年以上前のものですが、今の日本の現状はどうなんでしょうか。僕は高校の頃から意識的に、食の本や健康についての知識を求めましたが、そんな人はごく少数かと思います。日本が肥満大国であるとか、運動不足先進国になる日は近いと思います。なぜなら、現在の歴代最長政権のおかげで、低所得者層の経済的貧困がより進んでいるから。教育というものが、その人が自分自身の人生を歩むための文化的なものから、富国強兵なお国のための命を捧げる代替え可能な部品として「educate」するものに、すり替えられようとしているから。


(不倫をしていたからか育休を取得した)小泉環境相が体現しているように、日本に住んでいる方々は諸外国に比べて環境意識が低く、また、ジェネラティビティーの欠如が最先端です。グレタさん叩きに見えるように、僕も含めた大人は、自分たちが死んだ後に地球で過ごすことになるより若い人たちの、どう見ても正しい意見を、どうにかこうにか批判するわけです。これだけ色々なものを批判すれば、どこかで自分の首を締めるわけですが。


それを今日のPloggingでチャラにしようとは思っていません。無理です。人間は生まれながらにして、罪を重ねる存在だと僕は考えています。生きれば生きるほど。便利さというのは大抵、何かを犠牲にしています。色々学んで、頭でっかちにならず実践して。眉間にシワを寄せずに、生きることをしてみたい。環境問題が!とか言いながら、僕も生活の大半で、逆のことをしてしまっている。それは、知識や、見識や、生きる態度が。もっとうまい建設的で、楽しく人々を巻き込める方法を考案したい。まずは、Ploggingから。

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#PKO
#SDGs
#Plogging  
 #ゴミ拾い

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