アラフォー諸君に問う。ふと気づくと、HITOEちゃんを最高評価したがるおじさん、おばさんになっていやしないかい。
ウンチするときの顔がかわいい。
といえば、スカトロ指向があり、危険思想を持ち性犯罪者予備軍だと思われるかもしれないが、
小便についてはトイレでできるようになった脱オムツ間近の幼児が、親に申し訳なさそうに隅に隠れてウンチをするときのあの顔。
あれがかわいい。
ものすごくまじめな顔をする。
そして「ウンチが出切った」という確信を得るに至ると、束の間の平穏の中で、なにか人間として次のステージに進んだかのような妙な達成感に包まれた顔にサッと変貌を遂げる。
あぁ、またか……。
トイレウンチ失敗しよった。
言えよ、出そうなときに…。
と、思いながらもあの顔をみると、どうも憎めない。
どうやら排泄の際にまじめな顔になってしまうのは、肛門に力を入れるからのようだ。
肛門をキュッと締めると、口元もキュッと締めるのは連動しているんじゃないだろうかとの疑問が湧いてくる。
そこでそれについて今から論じた……
…と、、、むむむ
読むに値しない価値のない内容を冒頭にしたためても良いものかと少し迷ったものの、
臆することなく、自信を持ってここまでタイピングしまった。
ワルノリで。
そもそもボクなんてのは、
品性の欠片もない素性を全てここにさらけ出してきた。
160記事にわたって。
だからそれでも見てくださってる読者さんは、
あぁ、またか。
頭のネジやばいわ、こいつ。
と、ボクを蔑んで、流し目で見ることは間違いないが、
「あの人は元来から品がないから」
と、‘’暗黙の範囲内‘’でこの狂ったネジを許容してくれている。
常軌を逸したクレイジーを相手にする際の “精神的コスト” や “時間的コストがバカにならないことを知っているからこそ、
常識的で頭の良い人ほど他人をサッと‘’キャラ認定‘’し、自分との距離感を決めるのが実にうまい。
まさかボクのことを爽やかで優しくイケメン風のジェントルマンだと思って、今日の冒頭ウンチを機に幻滅したって人はさすがに皆無であろう。
皆の衆各位もブログやnoteにおいて、
リアルとは異なる様々なキャラをつくっている、と思われる。
いや、リアルだってそうだ。
家庭と仕事の顔、サークル活動での顔、保護者会での顔、中学時代のグループや大学時代のグループ。
TPOに合わせて巧みに「キャラ」を演じ分け、キャラを調整しながら‘’その場‘’を楽しみ、お互いうまいことやる。
キャラというのは都合がよく
様々な場面で「自分がどう見られたいか?」をちゃんと設定し、
そして「どうみられているか?」を理解した上で、仲間うちにおける自分のポジションを探しながら、コロコロキャラを変えることで場を有利に進められるのだ。
今日は雑談。
キャラについてダラダラとしたためたい。
男というものは年齢によって憧れが変化する
まさに‘’憧れキャラ‘’のパラダイムシフトだ。
小学生であれば足の早さ、
中学生であれば容姿や素行の悪さ、
高校生であれば部活の成果や恋愛の経験値、
社会人になれば社名や年収、
男は自由奔放に生きているように見えて、常に暗黙のルールのもとで戦いを続けており、憧れる‘’像‘’が年齢とともに変わり続ける。
なかでも男には‘’中二病‘’と揶揄される14歳頃の自己愛に満ちた空想が支配する時期があって、女性各位には理解し難いような憧れを抱くのだ。
‘’興味がまったくない‘’と言いながら、何食わぬ顔して簡単にやってのけてしまうこと。
‘’行動‘’や‘’態度‘’と‘’結果‘’が完全に乖離していること。
このギャップをもった自分にものすごく憧れてしまうのだ。
具体的に言えば、
‘’全然勉強してないわ〜‘’
からの
‘’テスト96点‘’
からの
‘’ふ〜っっっ、ケアレスミスやっちまったかぁ‘’
である。
それが中学生男子の‘’なりたいキャラ‘’である。
じゃ、いまアラフォーになったボクの
‘’なりたいキャラ‘’はどうだ。
気がつけば影の主役タイプをやたらと評価したがるおじさんになった。
歳を重ねたからこそわかると言わんばかりの“いぶし銀の味を評価できる男キャラ‘’である。
先日書いた記事。
サッカー日本代表について語らせれば、評価したのは監督の戦略である。大迫のゴールがスゴかったと盛り上がる若者たちを制して一言、
「予選リーグ突破は戦略の勝利だ」
「いや、そんなこと聞いてないんだけど…」
と戸惑うであろうサッカーファンをよそに、4000文字も使って持論を述べ立てた。
にわかのくせに。
青春時代、SPEEDでは島袋寛子だった。
でも、今は人に聞かれるとこういう。
‘’いつも裏方に徹する仁絵ちゃんのキレッキレのダンスあってのSPEEDだったな‘’
モー娘。は、推しをナッチかゴマキにするかで自身で幾度も熾烈な戦いを繰り広げてきた。
でも、今は人に聞かれるとこういう。
‘’シリアスな飯田圭織がいて、新しいアイドル像をつくりあげたな。つんくさすがだな‘’
他にも続々と、あらゆる場面で若者たちを制して、いぶし銀を評価できるオトコ節を炸裂させるおじさん、オレ。
飼い犬のスヌーピーという圧倒的マスコットのせいで主人公なのに市民権を得ていない
チャーリーブラウンが好き。
ムーミンはミイちゃんが好き。
アンパンマンはチーズが好き。
これまで色々なものを見てきた。
良いものも悪いものも知った。頭のなかに「評価の基準」もできた。だからこそ、もう簡単には派手な表層に惑わされない。
自分は全体の構造を見抜くことだってできる。
そんなキャラ設定に憧れるおじさんなのだ。
キャラはとても便利なものだ。
本人にとっても周囲の人にとっても。
キャラが確立されていると周囲の人はその人に接しやすくなる。
しかしボクは、あえて言おう。
作りキャラのタガがフとしたときにハズレて、素の部分が垣間見える瞬間が好きだ。
鬼仕事キャラの上司が、
仕事している最中に子どもから
‘’具合悪くなって早退するから迎えに来て‘’
と電話がきたときに、周囲に聞かれないような小声で
‘’大丈夫か?ちょっと待ってて‘’
と言う、あれ。
あれが好き。
もっと広義で言うならば
「アイドルのルール破りは許されない」とは言うけれど、実際にちゃんと守っている人の方が、なんとなくスパイスが足りないような気がしてしまう。
それよかルール破りの恋が発覚したにも関わらず‘’仲の良い友達です‘’と事務所に言わされてる感丸出しのアイドルの方が人間味があって好き。
わかってくれる同士、絶対にいるよね。
ん?
あ、
あああ、やっぱり。
これだけ語りどころのあるキャラの話題で、キャラのタガがはずれた瞬間に言及するということ自体が、
やっぱりものすごく歳を重ねたからこそわかると言わんばかりの
“いぶし銀の味を評価できる男キャラ‘’
なんだわ、オレは。
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