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【サポーターズコラム】何のために働くのか?

こんにちは、チャレンジラボです!
本日もサポーターズコラムまいります!と、その前に。

本日は公認心理師という国家資格の受験日でした。チャレンジラボからも一名この資格にチャレンジしました。資格が人の能力を決めるわけではありませんが、外から見る上では看板になり得ますから、時として有効なわけですね。

以前、若くして脳梗塞を発症された方に、社会復帰する上でとある資格を取ることを助言しました。それまでは、「病気になった私」でしたが「〇〇という資格を持った私」に自己の認識を上書きするのに役立ったんですね。

よく自分を変えたい!という方いますね。一つ突っ込むとその自分というのは、本当に自分ですか? ややこしい話になる前に、解説しますね。

本当の自分がどうとかいうのは、よくわからないので置いておいて。そもそも自分を変えたい!と思う自分というのは、他者との関係性においての自分ではありませんか? 例えば、友人と比べて運動神経の悪い自分を変えたい。人前に立つと緊張してしまう自分を変えたい。諦めグセのある自分を変えたい。 色んな「自分を変えたい!」がありますよね。 これって、結論として「自分を変えたい!」ということに問題がシフトしているのであって、本来的な問題って対象との関係性における自身が感じる不都合があるだけですよね。

冒頭の例で言えば、「半身不随の人」として見られるのが嫌。だから治したい!となっている。それは同じ立場になれば絶対に僕も感じると思います。でも、よくよく掘り下げてみると「半身不随の人」として見られるのが嫌というのは、相手の課題にまで踏み込んでいるんですね。要は相手がどう自分を見るのか?ということを気にして問題として顕在化しているわけですから。このような場合には、資格等によるレッテルの貼り直しがとても有効です。「〇〇という資格を持った人」というレッテルが、「半身不随の人」という認識をわずかばかりでも紛らわせてくれる働きをするので。

どういう自分で世界と関わるのか。

結局、そこをどう決めるかが重要なので、ラボのサポーターズには口酸っぱく伝えていきます。そして、嫌われるので皆様は優しくしてくださいね❤️


さて、本題のすーさんコラム。

今回の記事はとても長いので前編と後編に分けますね。

それでは参りましょう!!

まぐれ当たりに人生を賭ける。

 私が初めていわゆる「自立」をしたのは大学を出てからのことだった。私はその時、26歳だった。2浪した上、大学を2年間留年したからだ。
渋谷にあるイベント企画会社に初めて就職した。就職氷河期と言われていた時期だったが、そこで学生時代からバイトをしていたせいか、殆ど就職活動をしないであっさりと就職は決まった。
それに私は仕事は何でもよかった。取り敢えずお金を稼いで生活ができて、酒が飲めればそれでよかった。私には仕事とは別に夢があった。小説家になりたいという夢だった。仕事が終わり、家に帰ると(と言っても、毎日のように飲み歩いていたので真っ直ぐ家に素面で帰ることは殆どなかったのだが)、コソコソ(?)と小説を書いていた。休みの日ともなればぶっ通しで、書いて書いて書きまくっていた。

 もともと、私は中学校高校と文学少年であったことは確かだったのだが、その頃、本気で作家になろうと思ったことはなかった。大学生の時、友人から古いパソコンとプリンタを安く譲り受けた。文章を書くとプリンタから活字になって出てくるのが楽しかった。その内、私は小説を書くようになり、我ながら面白くないなあと思いつつ、折角だからとある大手の純文学系の雑誌に投稿したのだ。その半年ほど後、そこの編集部から電話が掛かってきた。「あなたの書いた作品が第××会××文学賞の最終選考にまで残りました。つきましては×月×日に最終選考会を重大な審査の上、行われますので結果をお待ち下さい」と。
 最初何のことかよく分からなかった。自分が書いた小説を投稿したのも半年の間に忘れていたぐらいだ。だから、当然嬉しいとも何とも思わなかった。×月×日のその日の夜に編集部から再び電話がきた。前回電話を受けた時は随分と機械的な話し方をする女性だなと思ったのだが、今度は私が最終選考から落ちたことをいかにも気の毒そうに伝えた。
 不思議なものだが最終選考まで残ったことに嬉しさを感じたのはそれからだ。なんだ、あんないい加減な気持ちで書いたのが最終選考か! ならば一生懸命やれば新人賞どころではなく芥川賞じゃん! などと思ってしまったのである。


 なまじ夢があったから悶々と過ごした日々 

 会社では私は営業課にいた。だから、付き合いも多かった。土日を除けば毎日飲んでいた気がする(ただしこれは周りの責任だけではない。私が酒好きなのが一番の理由なのだが)。会社を辞めて自由に書いて過ごせる時間が欲しかった。しかし、その勇気はなかった。仕事の付き合いだけではなくプライベートでもしょっちゅう飲んでいたので、給料日前はいつもピンチだった。飲むために借金をしていたこともある。あの頃、夢を追って仕事を辞めていたらどうなっていただろう。何のために働くのかと言えば、あの頃は間違いなく生活を維持するためだった。別に当時それを自覚していた訳ではないが、今でははっきりと分かる。食費を切り詰め、光熱費を浪費しないように気遣い、酒代を確保し、残りは借金の返済に消えて行った。仕事を辞める訳にはいかなかった。そして、一方で休みの日になるとまたコソコソと小説を書いていた。これが成功すれば仕事も辞められ、借金も帳消しになれると思っていた。なまじ夢があったから私は日々悶々として生きていた・・・続く


なまじ夢があったから日々を悶々として生きていた。

いい文章ですよね。
昔安室ちゃんが、「Chase the Chance」の中で以下のように歌っていますね。

夢なんて見るもんじゃない
語るもんじゃない
叶えるものだから

夢があるというのは良いことの反面、当然今現在は夢が叶っていないわけだから、欠乏や欠如との向き合いが必要になるわけですよね。
高い理想を持てば持つと、現実とのギャップが生まれる。
当たり前ですが、このギャップを具体的に埋めていく作業の中にしか「夢を叶える」を実体化する鍵はないんですね。

大概、皆さんは夢を叶えるために何をすべきかという仮説を出せるはずです。でも、それ、やってますか? 自分の持てるリソースを全てそこにぶち込んでますか?

そう、そこに悶々の理由があるんです。
次のコラムではすーさんが引きこもりの方との出会いのなかで気づいたことをシェアします。

次回もお楽しみに!!

ナイスチャレンジ!!!
 

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