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【サポーターズコラム】自立のための自律

こんにちは、チャレンジラボです!!

今回は前々回のすーさんコラムの続きです。

初めての社会人は営業マンからスタートしたすーさんが、何かの運命なのか、時のいたずらなのか引きこもりの支援をすることに。
すーさんが現場から得た気づきをシェアさせていただきます!!

ひきこもりとの出会い。「生存の不安」と「実存の不安」

その後、私は30を少し過ぎた頃にひょんな偶然からひきこもりの親たちに出会い、紆余曲折を経ながら、彼らと共にひきこもりの支援に特化したNPO法人を立ち上げるのだが、ひきこもりの当事者たちと話をしてみて、いつも思うことがあった。彼らはいつも2つの不安に苛まれている。1つは「生存の不安」であり、もう1つは「実存の不安」である。「生存の不安」とは自分はこれからどうやって生活して行けばいいのか、親亡き後はどうすればいいのか、路頭に迷うようなことはないだろうか、というようなことである。一方「実存の不安」とは一言で自分は何者であるかということである。仕事もしていない社会とのつながりもない自分は一体何者なのかと。

もっとも、これらの不安はひきこもりに限らず多かれ少なかれ誰も持っているのではないだろうか。最早日本が豊かな国でなく、老後や将来に不安を抱かないものの方が少ないだろう。仕事に100パーセントの満足感を得ているものもそうはいないだろう。問題はその辺のバランスなのではないだろうかと思う。

「自立」と「自律」

昔福祉系の大学である先生に習ったことがある。「人はなぜ自立しなくてはならないのだろうか。答えはお金を稼ぎ、自立することで、その人は今以上に自由になれるからだ。そして、自立するためには働き続けるためには自らを律せなければならない。つまり自立とは自律なのである」と。

今社会の中に少なからずいる「働けない人たち」の中にはこの自律して行くことを苦手とする人が多いように思う。また繰り返すが本当は誰もが持っている「生存の不安」と「実在の不安」のバランスがうまく取れない人が多いように見える。

さて、冒頭に記した何のために働くのかということである。自立や自律はさておいて、例えばどこかの温泉に行きたいがために働いたっていいではないか。欲しいものを買うために自給1000円で働いてみたっていいではないか。考えれば考えるほど動けなくなる。もともと主体性の確立と言うのは難しい。自分一人で自らを律すると言うのも難しいだろう。社会の中で集団や他者の力を借りながら、それはあるいは叶えられるのかも知れない。


「片隅の彼」

私もサラリーマン時代小説家になりたくて色々悩んだ時期もあったが、今は仕事の意味の一つは生きて行く手段としてあればそれで十分だと思っている。ただ今でも小説は休みの日などにコソコソと書いている。私もバランス感覚の悪い人間なのだ。因みにその夢が少し叶って2019年に「片隅の彼」という小説を上梓した。最後に思わず宣伝してしまった。


いかがでしたでしょうか?
なんか分かったような分からないような感じですよね!
それがすーさんの文章の魅力なんです!

自律すること。
ぶっちゃけるとチャレンジラボとしてはそれしかないと思っています。
例えば僕らを自立できていたとしましょう。
でも、その自立って全て僕らの力で出来ているわけではないですよね。

就労継続支援B型事業所はご存知の通り、障害者総合支援法に基づく国からの給付金を得ながら行う事業になります。と言うことは、国のバックアップがなければ事業としては成り立たんわけです。もちろん、それは国策として取り組むべきテーマだからと言う但し書きがつくことを僕たちは認識していますから、「助成金ビジネスをする」という認識は全くもって持っていません。でも、世間からはそのように見られる可能性もある、ということは重々承知した上で活動していこうと思っている次第であります。
話が逸れましたが、単純に考えて僕らが自立する為には「基盤」が必要なんです。様々な要素が基盤には存在します。それに立脚しているから今日の自立と呼ばれる状態があるのであって、何かの拍子に崩れてしまえば、果たしてという危惧も持ち合わせているわけです。

そのように考えるからこそ、自律することの重要性が見えてきます。
つまり、どんな状況であっても、自分自身がすべきことを見極めて、それに時間と労力をかける。かけられるような状態を作り出す。
こうした何の変哲も無いような当たり前なことができるようになること。

これまでの生活習慣や思想、想いなど様々な障壁があると思いますが、人それぞれに「自律」にチャレンジする場としても、チャレンジラボは貢献したいと思っています。

まずはすーさんの自律から。笑

ナイスチャレンジ!!!!


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