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モノの価格について

先日、自分がツイートした投稿にたいして、こんなやり取りがありました。

私のツイート:
「これ何かお分かりですか?ワイヤレスイヤホン!?ではありません。最近発売になりました補聴器です。しかも充電式で一度の充電で一日中使用できます」
Aさんのコメント:
補聴器なんですね?値段は高いですか?
私の返答:
そうなんです、補聴器なんです。一台20万円弱です。そこそこ高額なんです。
Bさんのコメント:
うわー、高いなあ。耳聞こえないだけでもハンデなのに、、、

先に言っておきますが、Bさんが仰られたことに対してどーのこーのを言いたいわけではないです。気になることといえば、最後の「、、、」のところ。何が入るんでしょう???
もっと安くしてあげなよ
儲けすぎなんじゃない
買う人、大変!」 などなど。

この文脈からすると、20万円弱という価格に対してポジティブではなくて、じゃっかんネガティブな感情が入っているのではないかなぁ~って感じてしまいます。

そりゃそうですよね、一台20万円弱。両耳が聞こえにくいひとは2台買うから40万円弱。耳が聞こえにくいからといってホイホイと買えるものではないということを理解しているつもりなので、このやり取りも、ネガティブちっくなコメントがあることも理解しているつもりです。

何が高くて、何がお買い得なのか?

私たちはモノを手に入れるときにお金を支払います、たいていは。その時に「高いなぁ~」と思うときもあれば、「お買い得だったね」と思うときもあります。

たとえば、「ロレックスのGMTマスターIIが、いまなら50万円!!
時計、とくにロレックスの時計が大好きという方であれば、「安っ!!」って思うんじゃないでしょうか?
(そうじゃない人にとっては「高っ!!」でしょうが)
この時計の新品の価格は、100~150万円するということなので、確かに”お買い得!”とみなされるかもしれません。が、とはいえ50万円です。

ホントかウソかは定かではありませんが、ロレックスの原材料費は日本円で換算すると5,000円未満と言われています。
いくら、精巧なムーブメントを作るノウハウを持っているとか、時間が正確に刻まれ狂うことが少ないといっても、それを代用する技術は他にもあるのが現代です。

いくらお買い得だとしても、やっぱり50万円って高いですよね。

で、ここで、この”50万円”という価格に対しての印象ってポジティブでしょうか、ネガティブでしょうか?

日本国民は、スイスの高級時計メーカーのロレックスに対しては憧れのような感情を持っている方も多いかと思います。それもあるのかもしれませんが、この”50万円”に対してはそれほどネガティブな印象を持つ方は少ないのではないでしょうか。

一方、冒頭の新製品の補聴器は、これまでにはなかった技術を耳の穴にすっぽり入るほどに小型化して補聴器という小さな本体に詰め、くわえて一回の充電で一日中使うことができる、という仕様!革新的な技術であることは間違いない事実であり、しかも耳が聞こえないひとの聞き取りのサポートをして、ひととのコミュニケーションを可能にしてくれる便利なものが20万円弱。それでいて、「高いなぁ~」というネガティブチックな印象。

こう思ってしまう要因は何なのかを考えてみたいと思います。

ネガティブな印象を持ってしまう正体は?

いまの時代(この記事を書いているのは2020年7月です)は、”モノが売れない時代”と言われていたりします。たしかに高度経済成長期の日本では、新しいモノがでれば競い合って買い求めるという時代がありました。

わたし自身は団塊ジュニア世代なので、人生の大半はモノが豊富にある時代を生きてきており、”新しいモノが飛ぶように売れる”という実体験はあまり豊富ではありませんが、それでも新しいゲーム機が発売されるとなると、開店前のお店に並んだり、あまりにも人気にあって生産が追いつかないようなときには予約をして次の入荷を心待ちにして買い求めたものです。その時は、”早く手に入れたい”という思いと同時に並んでいるときや入荷を心待ちにしているときのワクワク感というものがあって、手に入れるまでの時間も楽しんでいたりしました。

話を戻します。
高度経済成長期とは違い現代はモノがあふれています。”新しい製品が発売になりました” だけではお買い求めいただけず、必ず ”この商品を使えばこんなに生活が豊かになります” であったり ”こんなに便利になります” といったような機能面での価値だけでなく、そのブランドや企業に関わるすべての体験を通じてお客様が経験する、喜びや満足感などの情緒的価値まで含む体験価値をしっかり伝えていかなければ、興味を持っていただくこともなくなってきています。

上述のロレックスは、”正確に時間を確認できる”という機能面の価値だけでなく、ロレックスを持っている”優越感”であったり、高い資産価値の時計を持つことの”安心感”が得られる。
金額としては高いと思いつつ、その一方で経験できる様々な体験はその価格以上の価値があることが潜在的に分かっている。
それらの価値を手に入れたいと思う方はお金をためてでも買う。
自分の人生に彩を与えてくれて、しかも羨望の的となる商品が高額であることへは、それほどネガティブな印象を持つことにならない、のではないでしょうか。

補聴器は、耳の聞こえにくくなっている方にお使いいただく医療機器です。
聞こえにくくなった部分を補いコミュニケーションができるようになるので、使用することで人生に彩を与えてくれる商品には違いはないです。
ただ、羨望の的になるかと問われると「No」というのが現状での多くの方の認識ではないでしょうか。

耳の聞こえに困っていない方にとっては、聞こえるのが当たり前なので、”普通に聞こえること”に有難さを感じないでしょう。
聞こえない状態というのがマイナスのポジションになっていて、補聴器をつけて聞こえるようになった世界は、あくまでもプラスマイナスゼロ、聞こえに困っていない人と同等の聞こえになるだけと考えがちです。

でも、これまで多くの難聴の方に接して来た経験からすると、難聴の方は”普通に聞こえること”はとても有難い状態であることを知っています。それが実現できるのであれば、どんなに高額でも手に入れたいとも仰られます。
つまり、補聴器をつけて聞こえるようになった世界はプラスマイナスゼロとの認識ではなく確実にプラスになったとの認識をお持ちだと思います。

高価なものに対してネガティブな印象を持ってしまうのは、そのモノの本当に価値が想像できないことによるものである。
そのモノの本当の価値は、それを必要とする本人でなければ実感できないものである。

ひとはそれぞれ、状況も環境も考え方も違って当たり前。
そこで発生するギャップを埋めようとしてもきびしく、そのアクションは無駄になる確率は相当に高いということが言えるのではないでしょうか。

まとめ

今回、モノの価格に対して人それぞれが持つ印象について考え、以下のように結論に至りました。

‐ 価格は、そのモノが持っている価値
‐ 価値の判断はひとそれぞれ違う
‐ 価値の違いは埋められない

価値のないモノに対して、人をだまして高額な商品を売りつけるというのは絶対に許されないことであるのは当たり前なのですが、認知度、知名度が低いもので高額な商品はすべてその類のものであるかの如く見てしまう傾向が日本人にはあるように感じます。

いいサービスは継続させていかなければならない。
供給者は、それを継続できるように努力し、高いレベルの価値を継続的に提供し続けなければならない。
受給者は、しっかりとそのサービスの内容を知ること。そして、それに納得した場合はちゃんと対価を払うこと。

子どものうちから、「お金」と「経済」の勉強はしておかなければいけないな、と改めて感じた3児の父親でした。

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