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グレート・ギャツビー・ショーンK

さあ 金色経歴を被るんだ それであの娘がなびくなら
あの娘のために跳んでみろ みごとに高く跳べるなら
きっとあの娘は叫ぶだろう 「パリすてき ハーバードもいかすわ恋人よ あんたはわたしのもの!」


私がまだ年若く、今よりももっと傷つきやすい心を持っていた時に、父がある忠告を与えてくれた。

「ショーンKを批判したいような気持ちが起きた時にはだな」
と、父は言うのである。

「この世の中の人が、みんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」

父はこれ以上多くを語らなかった。
しかし、父と私は多くを語らずして、人並み以上に通じあっていたから、それから私は、人を断定的に決めつけぬように注意するようにしていた。

ところで、このように自分の寛容さを誇ったあとで、それにも実は限界があるということを認めざるをえない。昨秋、京都から東京へ戻ってきたときなど、六本木のサパークラブの馬鹿騒ぎに呆れ、全員をバリカンで刈り上げて、京都の禅寺に放り込みたくなったこともある。

そんな風に様々な人間の心中をかいま見る機会を与えられて、その中へ大騒ぎしながらはいりこむなど、もうたくさんだという気がしていた。ただひとり、ショーンK、この記事にその名を冠したこの男だけは例外で、彼には私もこうした反発を感じなかった。

川上、いやショーンK。私が心からの軽蔑を抱いているすべてのものを一身に体現しているような男。もしも間断なく演じ続けられた一連の演技の総体を個性といってよいならば、ショーンKという人間には、何か絢爛(けんらん)とした個性があった。

人生の希望に対する高感度の感受性というか、まるで、100万キロも離れた所の地震さえ記録する複雑な機械と関連でもありそうな感じである。それは希望を見いだす非凡な才能であり、私が他の人の中にはこれまで見たことがなく、これからも二度と見出せそうもないような浪漫的心情だった。

そうだ、最後になってみれば、ショーンKにはなんの問題もなかったのだ。

むしろ、ショーンKを食い物にしていたもの。航跡に浮かぶ汚いゴミのようなメディア、川上の夢のあとをつけまわす週刊文春に目を奪われて、私は、人間の悲しみや喜びが、あるいは実らずに潰え、あるいははかなく息絶える姿に対する関心を阻まれていたのだ。(第2話に続く

※参考:新潮社「グレート。ギャツビー」フィツジェラルド 野崎考訳
※この記事はパロディでフィクションです。

おまけ(あとがき)

ショーンKの事件で似ていると思ったのは、アドラー心理学と、グレート・ギャツビーだった。アドラー心理学については前回のコラムで書いた。

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