企画は「センス」じゃなく誰でも使える「原理」だという話とカズオ・イシグロ。

珍しくクリエイティブ教育について話した記事が公開されたので少し補足。目が笑っていないのは仕様です。

「企画力は小学生でも身に着く」LINE 谷口マサト氏が語るコンテンツ論|ferret [フェレット] 

※「小学生でも」というタイトルは偉そうでイキってる感じがして自分でもどうかと思うのだけど、「小学生から身につけられる」だと間延びしてしまうので、しょうがなくそうしていますのでご容赦ください。

詳しくは記事で話したけど、「同じものが別のものに見える」という原理を使えば、誰でも企画ができる。つまり「A≠A」を作る、ということだけど、これには発展系があって、「I≠I」つまり「自分が自分でなくなる」という表現もよく使われる。

例えばノーベル賞をとったカズオ・イシグロ氏の作品にはよくそのテーマが使われている。氏の作品はよく「信頼できない語り手」の文脈で語られるが、元々表現したいのは「信頼できない自分」であって、それを表現するために使っている方法がたまたま「信頼できない語り手」だと思う。

例えば「日の名残り」では、「知りたくなかった本当の自分」が描かれ、「わたしを離さないで」では、「知らされてなかった現実の自分」が書かれている。そこに映されるのは「仮想の自分」という非常に不安定な存在だ。

「A≠A」の場合のAは、「自分が見ている対象」だが、「A≠A」を繰り返していると飽きてきて、次は「I≠I」、視点の方をいじりたくなってくる。その方が高度だからだ。

「A≠A」はクリエイティブの入門だからそれでいいのだけど、身についたら次は「I≠I」に移行して練習しないといけない。SNOWもそうだけど、最近ウケているものの多くは「I≠I」、自分が変化するものだからだ。

「A≠A」はかなりやりつくされているので、世の中的に「I≠I」のコンテンツが増え始めている。おもしろくなってきましたね!

読んでくれてありがとう!