M-1決勝、松本人志の反対票の意味。主人公には美学を、敵には目先の勝利を与えろ

M1グランプリねたでもう1本。

決勝戦で松本人志だけがかまいたちに投票したのも話題になった。他の審査員は全員ミルクボーイで、会場の空気もミルクボーイを推していたように感じた。なぜ松本さんはミルクボーイを選ばなかったのか。

それまでの採点で、松本さんはミルクボーイに最高得点を与えている。十分に評価しているうえに、ミルクボーイの決勝戦のネタは、その最高得点のフォーマットを使ったものでやはりめっちゃ面白いものだった。

しかしおそらくこれを、2本同じネタをやってる、守りに入って1本目にウケたネタと同じことをやってるとみなしたのではないか。

ではなぜそれがダメなのか?

島田紳助の名言「目先の客を笑わそうとするな、カンタンやから。遠くの人を笑わせようとしろ」と合わせて考えると、ダメな理由がわかってくる。

松本さんと紳助さんが指摘しているのは「美学をもて」ということではないか。美学とは自分の芸の美しさを目指すことで、勝つか負けるかはその時々にまかせることだと思う。

思い出したのは、建築家の石山修武が「伊豆の長八美術館」という左官の神様、長八を讃える建物を建設したときのエピソード。

この建物は左官が使う漆喰、日本で伝統的に壁・天井の塗料に使われてきたものを、より伝統的な方法で塗って建てられている。

建設現場に石山修武が訪れたとき、一人の左官職人が泣いていたという。どうしたのか、と聞くと、昔師匠から習った漆喰塗りが、これまで安普請を多数こなしてきた結果、もう自分には出来なくなってしまっていたことに気付いて泣いたのだという。石山修武はそれを聞いて一緒に泣いたそうだ。

遠くまでいくには、すぐ出来ることをしてはいけない。

それができるのがプロフェッショナルであるし、だから信頼される。

物語でキャラクターを設定するときも、主人公には美学を、敵には目先の勝利を与えることが多い。美学をもたせたほうが苦労するので物語は盛り上がるし、最後には技量があがって勝つのでオチもつく。

主人公の美学を設定するには、何をしないかを決めることだ。

麻雀の桜井章一さんは、ご自身の流儀で様々な禁則をもうけているが、最も有名なのは「第一打の字牌切り禁止」。ついつい安直に思考停止で切ってしまう字牌切りを禁じている。

建築家の安藤忠雄さんは、クライアントのオーダーを鵜呑みにしない。ゴルフ場の施設を設計してほしいというオーダーに対し「そこにゴルフ場は必要ない。建てたら私の汚名になる。国際会議所を創った方がいい」といって受注したそうだ。これは極端な例かもしれないが。

むかしあるデザイナーに企画を提案したときに言われた。「谷口さん、それ頭の中でイメージすぐ出来るでしょ?すぐ想像がつくもの、やりたくないんです」今では誰もが知るデザイナーだけど、やはり若手時代も骨があった。

その人は何を禁止事項にしているのか?という内容と、どこまで遠くを目指しているかの設定。その美学設定は物語の主人公には欠かせない。なぜなら主人公とは、登場人物の中で最も遠くを目指している人のことだからだ。

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