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発達障害グレーゾーンと自分実験(1)「人とうまく付き合えない?」

これからしていく話は、数年前から「いつか書きたいな」と思っていながらも、なかなかじっくり腰を据えて時間を取って書けずにきた話です。
 
僕はあと1年半で50歳になります。
今回は、人生の後半に向かって新しい自分になり、より楽しい人生をつくっていくために、自分にとって一番大切な要素に関することをいくつかのシリーズにまとめてお伝えしたいと思います。少しでも面白がってくれたら幸いです。
 
さて、いきなり昔の話から始まります。
 
いま思えば、小学生時代くらいから人とのコミュニケーションへの苦手意識がありました。
明るい子ではあったと思うのですが、みんなで話すとき、話のスピードについていけない感覚がありました。
友達とうまく話ができない、僕には友達がいないのではないか、と感じていたように思います。親から見たら、「みんなと仲良くしていたわよ」とのことです。確かに友達とよく遊んでいましたのでそう見えたのでしょうね。でも、自分の内側にはそんな感覚がありました。
生きにくい、とまではいきませんが、他の同級生はみんな仲良くしていていいな、と羨ましく周りを見ていたのを覚えています。
 
中学時代はずっと野球のクラブチームにいたので、友達と遊ぶ、ということをほとんどしてきませんでした。野球部の上下関係のコミュニケーションが80%の世界で3年間を過ごしました。やりとりはあまりなく、はい、わかりました、の世界です。

最近この話を息子にしたのですが、「ダディはコミュニケーション能力を育てる機会がなかったのかもね」と息子が言いました。おぉ、なるほど、すごく的を射ている、この子は頭いいな、と感心しました。(すみません、親ばか入りました笑)
 
高校、大学時代も体育会に所属し、上下関係の中で多くの時間を過ごしました。
体育会の部活って、目的目標を自ら作らなくても、優勝する、という目標が勝手に与えられるんですよね。深く考えずに、その目標の達成をひたすら目指す。とことん努力する、といった世界だったと捉えています。
いま思えば、答えのない世界で思考する、という経験が非常に乏しかったと思います。ノリと勢いでいろんなことを決めてきた気がします。受験勉強などはできたんですけど、自分の頭で考える、という経験は少なかったと思います。
 
そして、体育会を続けた中高大時代ですが、人間関係については、友達を作ろうとしなくても、すでに人はその組織にいる、という状態でした。だから、自ら友達を作ろう、という行為もほとんどしてこなかった気がします。だって、何もしなくても、周りに人がいるのですから。
 
ただ、そこでも人とうまく付き合えず、自分だけ蚊帳の外にいる気持ちはずっと持ち続けていました。
たとえば、飲み会に自分だけ誘われない、みんな知っていることを自分だけ知らない、といったことが度々あったと記憶しています。
 
大学時代のある日、部活の仲間と話しているとき、わたしが話をすると、「與良は突然話を折るよね」といわれたことがありました。
そのとき、あ、僕は人とうまく話せないんだ、と自覚したのを覚えています。
 
今日はここまで。
次回は、そんな僕が社会人になってどうだったのか、お話しします。

2022/10/20追記
第二話 発達障害グレーゾーンと自分実験(2)「自己理解と不都合な現実」はこちら
https://note.com/chakraglass/n/n0c1907c95fc0

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