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群れるために、群れたくない。

私は昔から女子の集団行動が苦手だ。いわゆる「一緒にトイレ」文化は疲れるし、「うちらズッ友だよ!」みたいなノリにもほぼ縁がなかった。

もちろん、陰で悪口を言って盛り上がったり、仲間外れで絆を強くするような陰湿さも大嫌いだった(これは人による)。

今の会社の居心地がいいのも、こういった雰囲気がないことが大きい。女性社員が多いにも関わらず「昼休みはみんなで一緒にランチ(ハート)」みたいな文化はないし、非常に助かる。メシぐらい好きに食わせてくれ。


ただ、私は「みんなで集まる」「一緒に何かをする」ことが嫌いな一匹狼タイプかというと、必ずしもそうではない。

中学・高校の吹奏楽部では魂を捧げるほど青春の全てを注ぎ込んだし、大学時代はチアリーディング部に4年間打ち込んだ。いずれも団体競技そのもの。難しさはあるけれど、仲間がいたからこそ、あれだけの素晴らしい経験ができたと思っている。

社会人になってからもそう。これまでの仕事で一番充実していたのは、チームで目標を追いかけている時だった。仕事でもう一度青春したい!と、心の底から本気で思っていた。


集団やチームを、嫌う自分と、好む自分。

これって何なんだろうなぁ…と、ずっと漠然と思っていた。

たまたま関わる人たちによって違ったのかな。集団やチームでの良さを感じたのは、その時のメンバーに恵まれたからなのかな、と。


ところが最近、突然その答えが降ってきた。

私は、群れるために群れたくないんだ、と。

集団でいること(群れること)自体に価値があり、その中に属することで楽しさや安心感を得る――私はきっと、これが好きではないのだ。

一方、何かの目的や目標に向かって人が集まること、同じベクトルの人たちと一緒に取り組むこと。これは群れるために群れているのではなく、目的や目標ありきで、集団が形成されている状態である。

人が集まっている状態は同じだけれど、その性質は違う。私は、後者の集団行動やチームプレーが好きなのだ。

うむ、これで合点がいく。自分の中で腹落ちした感覚がある。


なんでこの答えが突然降ってきたかというと、最近オンラインサロンなどのコミュニティ形成が目につくからかもしれない。このnoteだって、ついこの前「サークル」機能ができた。

人が集まると、1人ではできないことができるようになる。さまざまな可能性が広がるし、お互いが得られるものも大きい。

ただ、私はまだどのコミュニティにも属していないし(狭義で)、勝手ながら外から見ていて「好感の持てる集団」と「違和感のある集団」があるな…と思っていた。

その正体が、“群れるために群れている”雰囲気だった、というわけ。

もちろんこれは個人の好みなので、良い悪いではなく、あくまで自分にとっての判断軸だけれど。


ついこの前までは「個人の時代が来る」なんて言われていたのに、いつの間にか「これからはチームの時代」とも言われている。

TwitterやInstagramのようにパッと見てパッと伝わる=早いコミュニケーションから、ゆっくりと密な=遅いコミュニケーションに移っていく、とも。

何かを学ぶにしても、セミナーのような講義形式から、コミュニティでの「学び合い」に変わっていくかもしれない。お互いの個性やスキルを持ちより、シェアしあうような感じで。

そうなっていった時には、みんな何らかのコミュニティを選択して属するのだろうか。中学・高校の部活動みたいに。

私は私の判断軸で、ブレずに決めていきたい。

それでは、また明日。



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