見出し画像

我が家のごみ問題と、それぞれの正義

最近ちょっと、私と夫のとある価値観の違いが気になっている。それは「ごみの分別」について。

別にそれでケンカになったり、夫婦仲が悪くなるようなものではないけれど、うーん、と思うことがよくある。

例えば、夫はプラスチックごみも紙ごみも全部「燃えるゴミ」として捨てることが多い。理由は「だって燃えるじゃん」とのこと。

私はそれなりにマジメに分別している……と思う。プラのマークが書かれたものはきちんと洗って分別するし、細かな紙ごみも袋に分けて資源ごみに出している。肉や魚のトレー、牛乳パックも洗って乾かしてまとめている。

私は仕事で社会動向の分析をしているので、今世界的に環境問題が大きなテーマであることを感じている。だから、その影響も少なからずあるかもしれない。それに子どもが生まれてから、未来の環境について真剣に意識するようになった。


でも、そうやって私が取り組んでいたり、夫が一度捨てたごみを取り出して(あまりに気になるものは)分別したりすると、「ママは真面目だねぇ〜」と言われる。これには、正直イラッととする。

別に偽善者ぶってやっているわけではない。ただ、目の前のできることならやろうというだけ。

私だってそこまでストイックに取り組んでいるわけでもない。上に挙げたようなごみの分別だって、当たり前に思う人も多いだろうし、レベルが低すぎると感じる人もいるだろう。いつも完璧にできているかというと、それも疑わしい。

それでも、“やったほうがいいこと”を日頃から取り組んでいる人に対して、横で「真面目だね」と他人事のような、あるいは含みのある発言はどうなの?と思うわけだ。

画像1


しかし、この“やったほうがいいこと”は、厄介だ。

人には人の正義がある。

夫にもきっと夫の中の「正義」がある。分別でひと手間かけたり考えたりするよりも、その場でスピーディーにごみを捨てて、家が散らからないように保ちたい、という考えなのだろう。

私は環境問題への意識などから「ごみはできるだけ分別すべき」という正義があるけれど、夫は「世の中のことよりも、まずは自分たちの環境から整えるべき」という正義がある。

それは分かっているから、私は夫に指摘することはあっても、強制したり怒ったりすることはない。どんなに自分が「正しい」「べき」と考えていても、それは自分の正義であって、押し付けたところで分かり合えない。正義を振りかざすところには衝突や争いが起こるのだ。

これは、高齢者ドライバーの問題と似たところがあるのではと思う。“普通に考えたら”、事故を起こす可能性のある高齢者は免許を返納“すべき”だと思うし、強制手段をとってもいいのではと考える人も多い。

しかし高齢者ドライバー側にとっては、それぞれの生活もあるし、地域性やその他さまざまな要因もある。だから、世の中や家族の正義だけではなかなか通用しない。もちろん、正義とワガママは別物だけれど、難しい問題だ。


そんなわけで、少しモヤっとしつつも、私は私のできることをやっていく、というのは変わらない。

しかしこれがごみ問題だから冷静でいられる部分もあるけれど、例えば子育ての方針の違いならどうだろう…。自分の正義を振りかざすまい、と思えるだろうか。つい熱が入ってしまって、強く主張をしたくなるような気がする。自分の中の「正しいもの」の取り扱いは、やっぱりとても難しい。

それでは、また。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。よろしければ「スキ」やSNSでシェアしていただけると、とっても嬉しいです! いただいたサポートは書籍購入など、今後のnoteに活かすために使いたいと思います。