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妄想アイドルドキュメンタリー

プロローグ

「アンジュネス」というアイドルがいる。

彼女たちは今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで芸能界を席巻しており、5周年ライブでは念願の東京ドーム公演を行う。

彼女たちは最初から輝けていた訳では無い。

各々に叶えたい夢、希望、はたまた不安を胸にここまで頑張ってきたのだろう。

応援してくれるファン、メンバー、家族、友人。

彼らがいたから今の彼女たちは成立しているし、これからも成長していくだろう。

「ここまでの5年間は決して平坦なものではなかった。」

そう、彼女たちは言った。

5周年を迎えようとするアンジュネスのことを、今、私たちは知るべきなのだ。

第一章 きっかけ

『春川美月の場合』

「オーディションに受かった日のことですか?覚えてますよ、きっとメンバーみんな覚えてます。」

そう笑いながら話すのはアンジュネスのリーダーである春川美月、23歳。

春川は石川県出身で、合格当時は18歳。受験生の夏の事だった。

「私の通った高校は偏差値的にはそんなに高くなくて。周りの子はほとんど地元で就職か、少し遠いけど専門学校。裕福な子や、都会に行きたい子は東京の専門学校とか短大とかに進もうとしていましたね。」

春川もそれに漏れず、地元の看護系の専門学校を出て、将来は母同様、看護師になろうとしていたという。

「友達にアイドルが好きな人がいて。それで『受けてみない?』って聞かれたのが全ての始まりです。

本当に、高校生のノリでしたね(笑)。専門も決まったし、時間もあるし、遊ぶ場所も大してないし。ダメで元々、やっちゃうか!みたいな」

しかし春川は審査を順調に進んでいく。最終審査は都内だったのだが、地方出身の春川には苦い思い出があるという。

「友達とノリで受けちゃって、まさか最終審査まで行くと思わなかったから、言ってなかったんですよ。母に、オーディション受けたよって。通過通知もメールだったのでバレなかったんです。でも、東京に行くとなると遠いし、お金もないし…ということでそこで初めて打ち明けました。

怒られましたね(笑)。『なんで勝手にそういうことするの?』『専門学校も決まってるし、高校も卒業するんでしょ?』って。あんなに怒られたのは後にも先にもあれきりだと思います。当時は『別にいいじゃん、ていうか私だって通過すると思わなかったし』とか考えてましたけど、今考えると結構無謀でしたね。『東京の最終審査に週末行きたいから、お金ちょうだい』ですもん。ツッコミどころありすぎですよね(笑)。

それでも最後には最終審査に東京まで着いてきてくれて、審査の前にパフェを食べました。母なりの気遣いというか、激励だったんでしょうけれど、正直味はよくわからなかったです。

『ここまで来てもらったのに落ちたらどうしよう』『もし受かってもどうなるんだろう、専門学校も決まってるのに』とかそんなことばかり考えてました。」

そして最終審査に見事合格。本人曰く、「嬉しいと特別感じることは無かった」らしい。

「『あっ、受かったんだ…』みたいな。なんとも言えない気持ちでした。『専門学校は?友達は?高校卒業は?』とかその時にぶわーっと考えて、泣いちゃいました。周りもみんな泣いていたけれど、周りとは違う理由で泣いていたかもしれない。」

春川は合格者の中で最年長だった。そのことも気がかりだった。

「アイドル的に18歳って、微妙なんですよ。中学生くらいから活動していたなら、グループを引っ張るエース候補になるか、普通の女の子に戻るかを悩む年齢なんですが、一から始めるには遅いんです。最年少とは5つ離れてましたし。あの年頃の5歳差は大きいですね。

『でも受かったんだから。落ちた子も沢山いたと思うよ、その子たちの気持ちも大事にするつもりで頑張りなよ』と母が言ってくれて。それが心にすとん、と落ちた感じがしました。『18歳とか言ってる場合じゃないよな、私より年上でも現役アイドルはいるし、頑張れることを頑張ろう!』と決心しました。」

そして春川は通信制高校への転校と専門学校の辞退を行い、母と共に上京した。

「『選ばれたんだから、やりきるところまでやろう。誰かのためになることをしよう。』と決めて、リーダーに立候補しました。最年長だからって別に求められた訳では無いんですよ。18歳の私が不安に思っていると、13歳のあかり(アンジュネスメンバー・伊藤あかり)はもっと不安になる。そう思ってメンバーの前では気丈でいたと思います。家に帰ってからは泣いてばかりでしたけどね。」

こうして、春川はアンジュネスのメンバー、そしてリーダーとして歩んできた。

偶然に引き寄せられ、この場所に春川美月は辿り着いた。

『伊藤あかりの場合』

「私はアイドルになりたかった。なりたかったから私は今ここにいます。」

伊藤は凛とした瞳ではっきりと言った。

伊藤は幼少期、当時流行っていたアニメの影響でアイドルを夢見ていた。

「普通の中学生だった女の子がアイドル養成学校に入学して、トップアイドルになるお話でした。私の周りですごく流行っていて、よくごっこ遊びをしました。家でもよくアニメの曲を歌ったり踊ったりしていて、それを見た父が子役スクールに4歳の私を所属させたんです。私の始まりはそこですね。」

子役スクールで伊藤はめきめきと頭角を現し、あるドラマへの出演を果たした。

「家族みんなで見ました。『テレビ買い替えるか?』なんて父が言うもんだから、母とふたりで止めた記憶があります(笑)。でもそのあと私立の小学校を受験することになって、芸能のお仕事をセーブしてしまって。入学後もお勉強やら他のお稽古やらで忙しく、結局子役スクールは4年しないくらいで辞めちゃいました。」

それでも伊藤には忘れられない夢があった。

「アイドルになることです。小さい時に感動したものって、ずっと忘れられないんですよね。私の夢はずっとアイドルになることでした。

でもアイドルのオーディションは大体中学生くらいからじゃないと無理だって知ったので、バレエに通うようになりました。ダンスの基礎だし、特技にもなるかな、と思って。」

そして転機が訪れる。

「アンジュネスのオーディションを母が教えてくれました。今まで芸能事は父がノリノリで、母が止めて…みたいな感じだったので意外でしたね。母が色々とオーディションを調べていてくれたんですよ。事務所とか、誰が所属していて活躍しているのか、みたいなことを。それで見つけてきたみたいです。」

母の勧めの甲斐があり、伊藤は最終審査に進んだ。

「覚えてます。私は神奈川出身なので、朝早くに母と電車に乗って行きました。朝ごはんに私の好きなたらこフレークが久しぶりに出てきたのが嬉しかったし、プレッシャーにもなりましたね(笑)。」

結果は見事に合格。最年少、13歳ということもあり、多少の不安はあるかと思われたが、そんなことは無かったようだ。

「嬉しさで心が満杯でした!本当に嬉しかった。母が勧めてくれたこともあるし、なによりアイドルへの切符を手に入れた。昔アニメで見た、主人公の女の子が養成学校の門の前に立っているシーンを思い出しましたね。『ああ、私は今、あそこにいるんだな』と思いました。『じゃあ、トップアイドルを目指さなくちゃ!』って、心の底から考えてました。」

なるべくしてなった、というべきか。

伊藤あかりの「天命」ともいえるアイドル人生はこの場所からはじまった。

『平川玲奈の場合』

「アイドルに特別憧れとか、なりたいと思うことはありませんでした。でも、なってから1度も後悔したことは無いです。」

平川はそう言い切った。

平川は昔から人見知りで、母親の後ろを離れられない子だった。

「本当に人と話すのが苦手でした。今は、得意とは言えないけれど、改善はされたはずです(笑)。遊園地とかでキャラクターがいて、周りの子がワーッて行っていても、私はずっとうしろでもじもじしてる子でした。あの頃の私に、『あなたは将来アイドルになって、人前で歌って踊ってるよ』なんて言ったらびっくりしちゃうと思います。」

ではなぜ、彼女はアイドルをしているのだろうか。

「16歳の春でした。たまたま東京に住んでいる叔母が栃木に帰省していて、うちに遊びに来てくれて。叔母の娘、私の従姉が東京でアイドルになったって聞いたんです。今はもう辞めてしまったのですが、映像を見せてもらってびっくりしました。私の知っている子が、私の知らないところで、可愛い衣装を着てサイリウムに囲まれている。本当に不思議な気持ちでした。従姉も人見知りタイプだと思っていたので意外でしたね。叔母が母に『玲奈ちゃんもどうかしら』なんて言って。それでちょうどアンジュネスのオーディションがあったので応募しました。」

審査は順調に進んだように思われたが、ひとつ問題が起きた。

「大寝坊したんですよ。3次審査の時だったと思うんですけど。予定では8時くらいに起きるつもりが、10時になってて(笑)。『終わったな』と思いました。うちは共働きなので自分で起きなきゃいけなかったのに、もう10時。審査は11時集合だったので本当に急いで準備して、運営の方に電話もしました。『多少遅れてもいいのでとにかく来てくれ』とだけ言われて。せっかく練習したメイクもリップだけしかしないで行っちゃいました。『落ちたなぁ。せっかくここまでこれたのに。』と思いながら電車に乗っていきました。

会場に着いたらもう他の人の審査は半分くらい終わってしまっていましたね。最後に名前を呼ばれて審査を受けて、家に帰りました。お母さんには『無事着いて審査受けたよ』と言って、寝る前に布団の中で少し泣いちゃいました。『アイドルになりたかったわけじゃなかったのに、なんで私泣いてるんだろう。もしかして、アイドルになりたかったのかな。どうして寝坊なんてしたんだろう…』とずっと考えてました。1週間後に通過のメールが来たんですけど、その時も泣きました(笑)。」

3時審査を通過し、遂に最終審査を迎えた。

「最終審査の日は寝坊しませんでしたよ。さすがに(笑)。練習したメイクもちゃんとして、電車で話すことを書いたメモをみながら行きました。会場の最寄り駅が近づくにつれて心做しか女の子が乗ってくるのが増えた気がしてきたりして。『みんなオーディションに行くのかな、あの子かわいいな。』なんて思ってました。会場にいた中で1番覚えている子ですか?美律子(アンジュネスメンバー・成瀬美律子)ですね。なんか素敵なお嬢さんみたいなワンピースを着ていて、髪もすごく綺麗で…。芸能人オーラ出てましたもん(笑)。

合格を言われた時は嬉しさ半分、戸惑い半分でした。とりあえずお母さんに電話をして、会議室みたいなところに運営の方にメンバー4人集められました。いろいろ話をされたんですが、よく聞いてなかったです。あとから美月(アンジュネスメンバー・春川美月)に聞きました。それきっかけで美月とこれだけ仲良くなれたのかもしれないですね(笑)。

人に進められたのがきっかけでしたが、審査が進むに連れて『アイドルになりたい』と自然に思うようになりました。やっぱり少し期待するんです、『もしかしたら』って。自分を変えるきっかけになればいいなと感じましたね。実際きっかけになりました。アイドルになって良かった。本当に、心の底からそう思います。」

自分が変わるきっかけを期待してやってきた平川は、見事にその思いを『アンジュネス』で果たした。

『成瀬美律子の場合』

「私は音楽の道に進みたいとずっと考えていました。中学生の時に進路学習で色々と調べるうちにアンジュネスのオーディションを知って、応募しました。元々演劇や舞台の女優さんになりたかったので、アイドルを目指したわけではありませんでしたが、『ステージに立って歌い踊る』っていうのは同じかなと思いました。」

芸能界デビューへの切符としてアンジュネスに辿り着いた。

「応募する時は親にかなり反対されました。芸能をするなら父の知り合いの事務所で然るべき年齢になったら、という約束だったので。それまでずっと、親に言われて受験した女子校に通って、お稽古事も沢山してっていう、凄くいい子だったと思うんです。自分で言うのもあれですけど。その中で突然、本当に父からしたら青天の霹靂だったと思います。でも母が『応募するだけしてみたら』と言ってくれたので応募しました。『受からなかったらもう勝手なことはしない』という条件付きでした。」

成瀬は審査を順調に通過していった。

「最終審査の前日に父に受けたことを言いました。それまでは母との秘密事でことを進めていましたが、さすがに、と言うことで。すごく怒られましたが、母も庇ってくれたりして、次の日なんとか審査に行けました。父が車で会場まで送ってくれて、降りる時に『頑張れよ』と言われたのが、ずっと心に残っています。

オーディション会場で覚えているのは……美月ですね。最終審査のナンバーが私と連番でお話しました。『二人で受かれたらいいね』なんて言っていたと思います。美月の手がすごく震えていたのを覚えてますね。

受かった時、母がすごく喜んでくれました。『これからだね、頑張ろうね』なんて言われました。父は『そうか』の一言だけで、契約書にサインだけしてそれ以外何も言われませんでした。正直、『やめろ、辞退しろ』とか言われるかなと思っていましたが拍子抜けしました。それでなんの心残りというか、蟠りもなくアンジュネスのメンバーになりました。」

自分の夢、親と子の絆、そして覚悟。成瀬はそのひとつひとつが輝いていて、尊い。

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