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北朝鮮のテルマエ・ロマエ#60

おはようございます。

いきなりですが、アメリカの大統領選挙では銃撃の事件後、トランプ氏が優勢の流れですね。
そのトランプ氏が19日、ウクライナのゼレンスキー氏と電話会談で「戦争終結」を約束したとのニュースがありました。

私は金正恩と友好的なトランプ氏は嫌いですが、ぜひウクライナ戦争は終結してほしいと心から願っています。
今も戦争で失う多くの命を考えると、やりきれない気持ちです。
そして、ロシアが敗戦したらいよいよ金正恩にも大きな打撃になるだろうとも思います。

さて、今回は北朝鮮のお風呂事情について書いていこうと思います。

かつて、ヤマザキマリさんが古代ローマのお風呂事情を紹介した漫画「テルマエ・ロマエ」が大ヒットしましたね。

もしかするとタイトルを見て、北朝鮮って時点で”ロマエ”は間違いだろうとツッコんだ方がいらっしゃるかもしれません。(テルマエ・ロマエ=”ローマの温浴場”の意)

間違いなく“平たい顔族”の一員である私ですが、ルシウスになったつもりで北朝鮮の入浴事情を紹介していきますので、ご容赦ください。
(嘘です、普段のトーンで続きます😅)

なぜ、あの作品が人気を呼んだのか…それは日本人にも馴染みがあるお風呂がテーマだったからではないでしょうか。

残念ながら、北朝鮮のお風呂事情は日本とはあまりにもかけ離れており、共感を得るのは難しいと思いますが、何はともあれここから本題です💦

まず、北朝鮮の一般家庭の浴室についてご説明します。

北朝鮮の多くのアパートには洗面所(浴室)があります。
3畳くらいの大きさですが、その中に過去の記事で紹介した大きな水タンクと和式のトイレが設置されており、残りのスペースで入浴することになります。
(水タンクについての詳細が気になる方は下の記事をご参照ください)

戸建てに住んでいるのはだいたいお金持ちのため、独立した洗面所があることが多いですが、昔建てた一軒家はキッチンと洗面所が一体になっている形が一般的です。
(その場合、トイレはたいてい屋外にあり、地面に穴が開いているだけのものになります)

韓国に来た脱北者に一番驚いたことを聞くと(もちろん数えきれない驚きの中の一つですが)同じ水道から熱いお湯と冷たい水がどちらも出ることだそうです。
場所は日本でしたが、かつて私も同じ道を通りました😅

ある脱北者は空港のトイレに行き、手を洗うため水栓を開けるとお湯が出てきて驚いたそうです。その人は「韓国は南にあるから温泉の水しか出ないんだ。こんな熱い国でどうやって生きていこうか」と困惑しました。
「熱い熱い」と我慢しながら手を洗っていたら、隣の人が蛇口の向きをを反対にしてくれたそうです。そうしたらなんということでしょう。今度は冷たい水が出てきてたのです。
再び驚いたその人は「私は天国に来たに違いない。脱北してよかった」と大喜びしたそうです。

このエピソードで気づかれた(もっと前から?)と思いますが、北朝鮮で暮らしていると水道からお湯が出るなど想像もつかないことです。(泥やミミズがおまけでついてくるとしても)水が出るだけでありがたい状況ですから。

寒くなければ水浴びで済ませることもできますが、当然、冬の間はそうもいきません。

大きな釜でお湯を沸かして、バケツなどで洗面所まで運び、冷たい水で温度を調節して体を洗うことになります。

その時、絶対に必要なものが、長いビニール袋を天井から吊るすことで完成する簡易サウナです。

韓国ドラマ「愛の不時着」の2話(0:30頃)で登場しており、画像で紹介したかったのですが発見できず…😱
よく再現されていますので、Netflix会員の方はぜひ一度ご覧ください。

簡単に説明すると
①長ーいビニール袋の底にあたる部分を天井から吊るして、テントのようにします
②お湯が入ったタライをその中に入れると湯気でビニール袋が膨らみ、一人がギリギリ入浴できるスペースができます
③素早く入浴を済ませます(浴室に暖房などないのであっという間に冷めてしまいます)😅

このビニールサウナは中国製のものが流通しています。中国側の国境地域で商売をする人々は北朝鮮の事情を知り尽くしており、この広い世界で北朝鮮のみでヒットするビニールサウナのような製品がたくさん生み出されます。

他の例を挙げると、韓国ドラマを観るためのUSBがあります。
突然、検閲隊が家に来た時にボタンを押すとすぐに初期化される機能付きのもの、一見ブレスレットにしか見えないアクセサリー型、パッケージは完全に北朝鮮の映像作品なのに中身は韓国ドラマのDVDなど、秀逸な製品がたくさんあると言われています。

需要があれば、供給がある…
マーケティングのお手本のようなエピソードですね😆

ビニールサウナの話に戻ると、この入浴法はとても手がかかり大変です。そのため、北朝鮮で暮らす人々の入浴頻度は1ヶ月に1~4回ほど。
当時は毎日入るなんて考えもしませんでしたが、日本も昔は(戦後ぐらい?)今より入浴の回数が少なかったと聞いた記憶があります。

その他には銭湯があります。「苦難の行軍」以降、国の配給がなくなったことで個人が経営するレストランや銭湯のようなものが登場しました。

銭湯は日本とあまり変わらない感じで、広い部屋に大きな浴槽がいくつかあります。

違う点があるとしたら水風呂しかないということと、かなりの頻度で水道が出ないため、経営ができなくなるということでしょうか😅

そして、サウナがあります。

サウナで体を温め、冷たい水で汗を流す!
日本でもサウナ好きな人はお馴染みのやり方ではないでしょうか。(勘違いだったらごめんなさい)
ただ、北朝鮮は他に選択肢が存在しないというのがポイントです。必要性に迫られた結果でしかありません😭

銭湯の利用料は、当時1000〜2000ウォンほどでした。当時その金額は一般の労働者が得る賃金の10ヶ月〜1年分に相当する金額です。

”銭湯にしては高すぎる”と思う方がいるかもしれませんが、お客さんはいます。
”苦難の行軍”の時代は「ジャンマダン(市場)」が主流になったことで、勝ち組になる人が出てきたり、「デゴリ(せどり)」や個人の為替取引など新しい手法が生まれたりと、ビジネスの裾野が広がった時期でもあります。
そういった成功者たちを北朝鮮ではをドンチュ(お金を持っている人)と呼んでいました。良いイメージの言葉ではないと聞いていますが、日本でいう成金というやつでしょうか。

そして、私の家のように外国の親戚から援助がある家もそれなりに裕福なことが多いです。
中には朝鮮戦争で離れ離れになった家族がアメリカやオーストラリア、イギリスにいるケースや、韓国にいる脱北者が中国を経由して援助をするケースもありました。

銭湯は上記のような比較的、生活にゆとりがある人々が利用しており、混んでいるときは人がいっぱいで入れないほどの盛況ぶりでした。

実際、私たちの家族も月一回以上は利用していました。家でお風呂をするのは大変なので(家計が許せば)銭湯を利用したい人はたくさんいたのです。

テルマエ・ロマエのルシウスが日本ではなく、北朝鮮の湯船(水船?)で目覚めたら、水の冷たさに驚いて絶叫するかもしれません😅

さて、北朝鮮にも温泉があります。特に白頭山(ペットゥサン)は現在も火山活動が活発なので、その周辺は温泉地として有名です。
他のもろもろと同様ですが、庶民は利用することができず、あくまでも外国からの観光客向けです。

そういった場所にはもれなく「招待所(チョデソ)」というものが設置されており、金一家やその周辺の人だけが利用する権利を持ちます。
関係者以外が立ち入ることは固く禁じられていて、侵入者は即射殺されると噂が立つほど厳重に警備されています。

北朝鮮にはこのような招待所が数多くあり、私が住んでいた地域では、マジョンチョデソが有名でした。
以前の記事で紹介した海水浴場の近くで、一番いいスポットを広く占有しています。招待所にもいくつかランクがあり、金一家が使うものと幹部らが使うものは別々に分かれているのです。

私も幹部らが使う招待所に家族と一緒に一度だけ入ったことがあります。お父さんは顔が広く、知人の一人がコネクションを持っていたそうです。招待してくれた人に結構な額の賄賂を払ったとか。(やはり賄賂😎)

当時、私は幼かったので詳細は把握していませんが、「苦難の行軍」の時はそこに留まる警備隊も生活が大変だったようです。そのため、幹部らが利用する予定のない日に、内緒でお客さんを取って日銭を稼いでいたのでしょう。

中には立派な建物がありますが、私たちのような庶民は室内には入れず、招待所の端っこの一角を借りて遊んだだけでした。

そこは一般の海水浴場と違って砂浜ではなく、大きな岩がたくさんある磯(いそ)だったのです。
万が一、煙が上がっているのがみられるとマズいためか、火を起こすことは禁止されており、バーベキューはお預けになりました。

平たい岩を見つけ、そこで持ってきたものを広げて食べました。一般の人が立ち入れないためか、海にはアワビやウニがゴロゴロいるのです。お父さんが生け捕りにして、そのまま生で食べたのは懐かしい思い出です。

話がだいぶ明後日の方向に広がってしまいましたが、北朝鮮の入浴事情について少しご理解いただけたでしょうか。

思い返してみると、noteの記事を書く時、タイムスリップしているような感覚になることがよくある点に気づきました。

遠い昔の出来事なのに、記憶の中の世界に入り込んで、自分が今まさに北朝鮮で暮らし、見聞きしているかのように感じる瞬間が訪れるのです。

テルマエ・ロマエのルシウス(過去⇄未来タイムスリップ)について考えていたから、そんなことを思ったのかもしれません。

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将来、北朝鮮が民主化された日のことを想像してみても、自分自身が移住するという展開は現実味が湧きません。あまりにも辛い記憶が多いからです。

その反面、北朝鮮は私の家族や同級生を含む多くの人々との思い出が残る、懐かしい場所でもあります。

子ども達と一緒に観光に行ける日が訪れるならば、それぐらいがちょうどいいかもしれません。

今日はこのあたりで。



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