下宿相対性理論

大好きなうさぴーへ

初めて、実家に帰るという経験をしています。どこか他人の家みたいで、「ただいま」の代わりに「お邪魔します」と言っても違和感は感じないくらい。模様替えされた部屋に、親近感を覚えてしまいました。

キッチンのシンクがすごく広かったです。
お皿を乾かすかごが大きかったです。
トイレが広かったです、でも便器のふたを閉じて流すレバーを引いて手を洗う一連の流れの中で膝のちょっと上をひっかける場所は、健在でした。
シャワーの水圧が、弱くなっていました。
やたらと空調がついています。
シャンプーとリンスが、京都の家と同じものに変わっていました。母がうちに来たときに気に入ったんだそうです。
家のはす向かいのモスバーガーが、やけに目立つロッテリアになっていました。
暗くて怖い道などなくなりました。
駅までの道のりが近くなりました。
自転車で出かけた時、前に好きだった人のマンションの前を通り過ぎてもなんとも思わなくなっていました。代わりに向かいの公園の工事が進んでいるのを眺めては、京都の友達とのやり取りを思い出していました。
母のおさがりを私が使っていた勉強机を、また母が使っていました。
マスクは臭かったけれど、シュッといい匂いのスプレーがありました。
おかあさんが、友達になりました。

トイレにあった宇宙図が、ヒトゲノムマップになっていました。
楽器がとても魅力的な色になっていました。音にも、音色とはよくいったものです。
信号の機械音が耳に届かず、犬の鳴き声と秋の虫の声が聞こえます。
母がオンラインでやっている童謡のクラスの曲が、秋の歌になりました。

お父さんカレーは変わらずおいしく、久しぶりに会った友達は変わらず大好きです。

ねえねえおしゃべりしよう、と言ってきてくれる人が常に同じ屋根の下にいる幸せな世界、それでも欲張りな私は、京都の地が早くも恋しくなっています。寒空の下、山と川に囲まれた美しいあのまちに、私は恋をしました。半年間でそこは、大切な友達がいる場所になり、大切な記憶を宿した場所になり、今私はあのまちを愛しています。

一部題名にそぐわぬ部分がありますが、わかるようにしたのであとで読んだら思い出してね。まだあと1週間弱あるので、書き足しますきっと。

2020/09/26

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