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小説「造物主の愛情」第一部

小説「造物主の愛情」の試し読みです。
本編は此方からDLできます。
https://chaironovel.booth.pm/items/5912384

俺はPCから出力される画面から目を反らし、雨が降りしきる世界を見つめた。

 

―――俺には何もなかった。

学校ではいじめられ、会社では役立たずと罵倒され、その後受けた診断で隠していた精神障害がバレた。

俺は会社を解雇された。俺にはもう、何も残っていなかった。

まるで上司にお前は無価値だと宣告されるように、俺の人生には、何の価値も存在しなかったんだ。

だから、一矢を報いようとして、造ろうとしたんだ。

まるでソーシャルゲームの「ガチャ」を回すように。自分が愛せる何かを。

 

それが、俺自身の全ての過ちだった。

 

話は数日前に遡る。

Yahooのトップページで、某国のデザイナーベビー産生施設が検挙されたというニュースがあった。聞けば、彼/彼女等は、意図的に能力・容姿・性格を産まれながらに選定され、優れた頭脳を持ち――望んだ性格・容姿を選べるというところが俺にとってはツボだった。

ふと、コンピュータに映し出されたエミュレーターのガチャ画面を見た。

――俺にも同じことができるかもしれない。そう思った。

Yahooの記事には、国家ぐるみで産み出された人為的な命に対する、倫理的な問題が取り沙汰されていたが――そんなこと、俺にはどうでもよかった。

 

俺は今、もっとも柔らかな、緩慢な自殺の中にいる。

それを少し脚色したところで、誰が文句を言うだろうか?

 

俺は創造主だ。

俺は世界を創造し、滅ぼすことになる。

俺がこれから起こす文脈(<コンテキスト>)は、その罪の一端にしか過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第Ⅰ部 自閉円頓裹

人を作るのに、何が必要だろうか。

俺は行動を開始した。

これは、それが生まれるまでの製造過程にして記録に過ぎない。

会社を解雇された、俺の預金は百万に満たない、数十万円以上の程度。

恥知らずでもある俺は、実家暮らしだったので特に何も生活にかかる金はなかった。

 

会社を解雇されたときの俺の親の反応は、やっぱりか、だった。

学生時代にアルバイトを三日で解雇されて、精神障害の診断を受けた俺に対して、親は俺に期待をするのをやめていた。

 

俺は遺伝子治療キットと人口胎盤をインターネットで購入し、卵子の提供者をSNSで探した。

精子バンク、というものがある。

例えば、女性が子供を欲しがったとしよう、男性から液体窒素で凍結した精子を提供され、女性はその提供された精子を用い妊娠するというもの。

一昔前は、SNS上で精子を提供される事もあったという。

だが、現在は人口胎盤さえあれば、男性でも子供を養育することは可能だった。

他に買った胎児用の遺伝子治療キットは、胎児にかかる遺伝的素養ーー例えば遺伝的な精神障害を持つものが精子、もしくは卵子提供者だった場合、意図的にそれらのリスク的素養を取り除く効果を持つ。意味合いは違うが、子供が病気にかからないようにする予防接種のような物だった。

それもこれも、少子化に加え、発達障害者の増加に歯止めがかからない我が国の国家が企画した医療的改革にすぎない。

これらの素養を除去されて生まれてきた子供たちを、俺はニュースを見た時『新人類』だと毒づいたっけ。

残念ながら、俺はその治療が適用される前の旧人類だったので、こうやって永きに渡って苦しみ、さらにはこのような自殺沙汰を起こすまでに至った。

遺伝子治療はあくまで発現する前の、設計図自体を書き換えるようなものだ。既に出来た型を、作り替えることは現在の医学では不可能らしい。

 

遺伝子治療キットに命令するコードは二つ。俺の中の精神障害の遺伝的素養を取り除くことと、性別を女性に設定すること。

 あくまで俺が目指すのは、愛される存在を造ること。異性でなければ意味はない。

俺は更に、細かい性格設定(性格的素質)をAIのカウンセリング診断を重ねながらプログラムしていく。

Q.子供の性格レベルはどうしますか。

A.非常に穏やか、繊細、大人しい。花をゆっくりと慈しむぐらいの傾向がある。ほんの少しほどネガティブに捉えるが、後述する「折れない芯」という条件定義を後で設定する。

Q.子供の好奇心はどうしますか。

A.ある分野にのみ秀でる。ある事(自分の好きな分野、花、または成長の過程で興味を持つ、信じるに値したもの)には学者レベルでのめり込み、多彩な知識を発揮する。傾向は文脈から推察せよ。

Q.子供の対人スキルはどうしますか。

困難。人とかかわることが苦手で、一人の世界にいることを好む。だが寂しがり屋で、他人と打ち解けたい、繋がりたいという願望が存在する。

Q.子供の創造性レベルはどうしますか。

本を買う経済力はないものとするが、文句を言わず、淡々とインターネットから知識を吸収し、芸術性を発揮できる程度。可能であれば刑事罰・法律方面には疎くし、例え自分が監禁下におかれても不平を言わず、指示に従うものとする。

….etc。

 

まるでベィビィフェイスだ。そう思いながら俺は遺伝子組み換えを行っていった。

 

厳選された約50通りの質問が完了し、AIは遺伝子組み替えの知能モデルの組み込みを終えた。

 

俺は質問のほかに、遺伝子に刻む特別な命令、"行禁事項"を設定した。

 

特定の言葉(パスコード)を発音したら、決してその命令に逆らわず、服従すること。

 

いかなる絶望的な状況下においても、必ず自身や周りに"幸せ"は来ると信じており、明るく気丈に振る舞う性格でいること。

 

標準搭載された倫理コードがうるさくエラーを吐いたが、俺はgithubにあった脱獄modを使って直ぐに黙らせた。

 

前者は、彼女は"存在しない人間"として、いわば玩具として扱うのだから当然のこと。後者はまぁ、嫌がらせの妄執のようなものだった。

玩具として扱うのに、"幸せ"を夢見る少女が単に可愛いと思ったからだ。半ばメランコリーみたいなものだった。

 

俺は残りの端金でSNSで卵子提供者を募り、3ヶ月後、凍結した卵子と俺の精子を人工胎盤の中でかき混ぜるに至った。

別に卵子となる素体は何でも構わなかった。遺伝子治療キットが台頭した今、人種なんてほとんど飾りみたいなものだったからだ。

 

遺伝子治療キットがレザーメスで分裂する卵をかき入れ、後は育っていく結果を待つのみだった。

 

俺はその課程を観察したが、どうにもまるで小3のとき飼ってたメダカみたいだな、と思った。

 

今や時代が進み、少しだけ金を掛けて倫理感を捨てればメダカも人間もそう大差がない。

ただ、それだけの事だった。

 

親に対してはほとんど不干渉だし、いざという時はこいつが育つまでは殴ってでもすればいい。引き出し屋とかを呼ばれるかもしれないが、その時は黙って施設の中で餓死する覚悟くらいは出来ていた。

 

俺は時々育っていく胎盤を見ながら、相も変わらずゲームに没頭していた。

楽しみだ。"こいつ"で遊ぶときが。

 

 

そろそろ胎児になってきた段階で、親にバレた。…いや。特にこれ以上隠し続けてもどうせバレるものはバレるので、見せびらかした、というべきか。

 

素直に白状しよう。俺は両親の前で嘲笑しながらそいつを見せびらかした。

 

そこにいるのは年老いた夫婦と、穀潰しの息子、そして蠢く胎児。これほど笑えるジョークはないだろう。ただただ唖然とする夫婦ほど、面白いものはなかった。

「お前、…何て事を」いっちょ前に正義感ぶって俺につかみかかる父親も見物だった。

いや。こいつはちっとも正義感ぶっちゃいない。ただただ出る金が嵩むのを、いっちょ前に惜しんでいるだけだ。

…偽善者が。俺はそう吐き捨て、「どうせ、いいだろ。どうせ殺すために造っているようなものだ。殺すか?今すぐに」

そりゃあいい、今なら殺しても罪に問われないしな。多少面白そうだ。そう言って、相当の重量数する人工胎盤を抱き抱え、潰そうとする。

「やめろ。…頼むから、それもやめてくれ」俺は親父を殺してやりたい気分になり、その間抜け顔を蹴り飛ばした。

「じゃあお前はどうしたいんだよ。一体さぁ!」「…ぐ、…」

「…いいだろ。ここにいるのは弄んで殺すために産まれてくる餓鬼と、その産みの親である穀潰しの精神障害者だ。…黙って見てろ、その方が面白い」

黙って産まれてくる奴隷の世話用具と、俺の食い扶持を出してりゃあいい。

じゃないとてめぇ等も道連れにしてやるよ。

俺はそう言って、人工胎盤を抱えて部屋に戻った。…電子レンジくらい重いが、これで分かったろう。

 

奴等は化け物を産んでしまった。俺はてっきり奴等に自分が化け物であることを分からせるには自殺ぐらいしかないと思っていたが、科学の進歩によりより効率的、"生産的"な復讐方法があると分かったので本当に何よりだと感じた。

 

何より、何故痛いのに自殺をしなければならない?どうせ俺は死ぬ。その前に、少し人間で遊んだって、いいじゃないか。

 

奴等が赤ん坊が産まれるまでに出来る最も最良かつ"正義的"な方法は、暴力団紛いの引き出し屋に俺を拉致させて、胎盤の中ですくすくと育つ女の子を中絶させることぐらいだったが、親父達はそれをせず、そしてそいつは産まれてくることとなった。

 

俺の子供。全ての根元にして、愛しき子ーーミユは。

 

これが、全ての始まり。全ての原罪の、最初の一歩だった。

 

 

とは言え、産まれてきたからとはいえ俺はすぐに赤ん坊で楽しむ趣味はなかった。

奴隷として遊ぶには、もう少し機能が発達している必要があると踏んでいた。

 

少なくとも遺伝子治療キットを入力した時点で、ここまでの段階は折り込み済みだったので、俺は働きもせず、機を待つことにした。

育児は、退職金の残りで買った介護用簡易自立走行マニピュレータ機にmodを入れて任せてある。

それがどういうものかと言うと、キャリーケースのような車輪にMの字の形で二つの、三つの指が搭載されたロボットアームが付いていると言えば分かりやすいか。

赤ん坊は完全防音のカプセルスペースの中にいれ、中で鳴き声がしたら中のマイクが検知しマニピュレータが中に入り世話をするという代物だ。

 

まさに自動化だと思った。お陰で食料と物資のリソースさえあれば、カプセルの中を誰も関心を持たずとも機械が全てこなしてくれる。

 

流石に入浴の時はカプセルの外に出すが、予め定期の見回りで眠ったときにしか入浴させないようプログラムしてあるため、音で近所に赤ん坊がいるという事態にはならなかった。存在しない人間を育成する計劃(プロジェクト)は続けられたのだ。

俺は、いや俺達はやる事もなく、時間だけが過ぎていった。

現状、デザイナーベビーを無計画に産み出した罪というのは存在しない。

そして、産まれた人間を戸籍に届けなかったから生じる罪も存在しない。とんだ抜け穴だ。つまり、この時点では――「思考犯罪」を罰する法がない限り、俺は犯罪を犯してはいないのだ。

鏡に向かって問いかける。お前は既に死んでいる、と。このままだと本当に死ぬ。…俺は思う。…思ってしまう。まだ戻れるんじゃないか?

現状、両親はミユを育てることに対して、食事や物資の提供をすることを結果的とはいえ、仕方ないとはいえ合意したわけだ。

最悪、「できてしまった」とか言い訳して養子にでも出してしまえば、法律的には罪には問われない。

 

まだ俺の罪を無にできる、まだやり直せるのではないか。そんな疑念が、俺を襲う。

そんな俺の頭を――フラッシュバックが、襲った。

 

「―――ッ」

…兄ちゃん。

…おにいちゃん。

 

あぁ。そうだ、俺はまだ"美遊"を産みだしていない。

 

殺人犯に殺された妹を、生き返らせてはいないんだ。

 

俺は決心した。

 

俺は自分で虚ろな目をしていることに気付いた。

ニュースで見た、妹を殺した男もそういえばこんなんだったな、と気づいた。

 

 

数年の月日が流れた。できるならそれらの描写を流してもいいが俺が読んだらいささか退屈が過ぎたので、やめておくことにした。

ミユは6歳になっていた。

 

俺はこの頃になると、使っていた介護用マニピュレーターにmodをダウンロードして、教育用のAIと1万円で買える外付けタッチパッドを導入し、専ら"保育園の先生"、あるいは"保母"代わりにした。

 

ミユは"保母"とよく遊び、絵を描いた。「外の世界」に何の疑問も抱かず、俺を産みの親だと信じ、戯れているM字型の機械を育ての親だと信じた。

 

両親はほとんど俺達を無視し、ただ、ミユに必要な物資の栄養素のリソースだけを与え続けるロボットと化した。勿論、"ロボトミー"という意味だ。

 

俺は、インターネットで違法ダウンロードしたrarファイルとは別に、図書館で絵本を買い、ミユに見せることが多くなった。

 

ミユは眼を輝かせてそれを受け取り、大人しすぎるぐらいにそれを発音し読んだ。…ほんとうに大きく興奮することのない子だった。もっとも、そうなるように教育し、胎児の時点で設計しただけだが。

 

ミユは、"保母"に従い、タッチパッドに映し出されたそれを真似して、絵を描くことが多くなった。勿論それも"設計"したのだからそうするのは必然だったが、クレヨンのブラシ素材を使い実に非常に多彩な絵を描いたことは覚えている。

(無論、検索履歴はリアルタイムで監視しており、彼女がSNSのアカウント作成や掲示板に何か意味のあるメッセージを送信できないようアクセス制限は掛けていた)

俺はあるとき、3千円くらいのとても古いペンタブレットを買い、ミユに渡して絵を描かせてみた。…見事だった。

そういえば美遊も、ここまでではなかったがあいつも絵が好きだったな、と今更ながらに思った。"計画"が順調である証拠だった。

つまり、どういうことか。…ミユに美遊の要素、あるいは文化子を彫り込めば、それを俺は同一視できるのではないか。

つまり、妹は生き返ったことと同義や同一として"俺は"扱えるのではないか。

 

詰まるところ、それが俺の計画だった。

馬鹿げている、とは思わなかった。

この計画を俺は客観的にイカれている、と思い込みつつ、そう、俺は狂っているんだと静かにそれを自認していたから。そして狂っていながらも、それ自体が「完璧なもの」であると信じ込んでいたからだ。、

 

「…おとーさんは、しごとしないの」

「する必要がないからな」

 

訪ねるミユに、俺はそっけなく答えた。

ミユはそれで納得したのか、「……ふーん」と描いている絵に戻る。5歳になってからのこいつは、それの繰り返しだった。

絵を描き、インターネットを触って弄り、やがて腹が空き、食堂に餌を食べに行く。毎日がその繰り返しだった。「……いただきます」「……。」

それを冷ややかに見つめる両親に対して気にせず、ミユは多少汚い仕草で飯に食らいつく。

箸の使い方を教えさせた時に、両親の二人は俺のしもべだと教えてある。そういう風に教育マニピュレーターの倫理コードをmodで解除して教育した。

出典が某国の言葉で語られていたそのmodを翻訳し、…すごいな、個人向け洗脳教育キットか、と皮肉にも感嘆した。

「……はい、これ。ごちそーさまでした」

「……。」母親はミユがあげた食器を貰い、洗浄機に掛けた。

だが、ミユは俺の両親をぞんざいには扱わなかった。

確かに子供には親と言う物が存在するという教育を施しはしたが、それが誰かの親というものだと…本能で分かるものなのか?

それはミユに直接聞いてみないと分からなかった。聞く気もないが。

俺は産まれてきたミユの事を、ゲームを挟みながらいつの間にか四六時中監視していた。

特にやる事もなかったし、奴隷として扱って、弄んでも良かったが最後の安全装置、というべきか良心が最後まで抵抗していた。

……夜に一度、寝ているミユの服を脱がして、致そうとした事があった。

だけど、脱がそうとする過程で、それは酷く惨めで、愚かな行為だという事に気づいていた。

突然、心臓がはち切れんばかりに鼓動を最大限に高め、頭の中では冷たい、ワァァアーーンというひび割れた甲高いノイズが鳴り響く。

 

「……ぐっ……!」

途端に、思い起こされるのは、形容するなら屍者の世にいて、その向こう側にいる妹の声。

お兄ちゃん。

お兄ちゃん、救けてよ。

「……俺は……すまない……っっ」

すまない。済まない。ごめん、ごめん。

 

そうだ。恥ずかしい事に、妹を、妹と同一視しているそれの倫理を未だに俺は飛び越えることが出来ていない。

誰か助けてくれ。そう心にならない叫びと濁々とした呪いのような言葉が、俺の心の中で会議を始めている。

そうこうしているあいだに、ミユが目を覚ました。

「……どうしたの?おとーさん」

「う、ぅう…………赦してくれ。許してくれ……。」俺はベッドの上で跪き、哭いていた

「………泣いてるの」

「…………ぅう」

「…………よし、よし」

 

俺はベッドの上で、弄ばれるはずの5歳児、ミユに気づいたら慰められていた。

やめろ、やめてくれ。そんな事を想いながら、俺はその慈悲を受けずにはいられなかった。

ふと、撫でる手を止めて、ミユが呟く。

「ねぇ。おとーさん」

「……何だ」

 

「私に、生まれてきた意味はあるのかな」

「無ぇよ。……そんなもん」

俺は逡巡した。……そして、心の中でミユを嘲笑った。

産まれてきた意味。そいつにそんなもの、設定してない。まるで、製作途中のゲームの未完成エリアのように"それ"は無いに等しいんだ。

 

意味があるとすればそんなもん俺に弄ばれるために産まれてきたぐらいだ。

正直にそう告げたかったが、慰められながらそんな事告げても滑稽だと思ったので、言わなかったことにした。

 

「……そっ、か。」

「……。」

俺は毛布を被り、眠ることにした。

この夜はとても、疲れた。

それでもミユは、疑う余地がないとでも言うように俺を背に抱き締めてくれていた。

 

「……こうしてれば、しあわせになれるかな。……おとーさん?」

…俺は無視した。それでも、ただ背中からミユの体温を感じることはできた。

俺を置いて行って、夜が、身勝手に更けていった。

 

ミユが生まれてから、7回目の夏になった。

依然として俺はミユに、何もできちゃいなかった。

虐待も、陵辱も、今の俺には何も無価値に視えた。

どれも、美遊が顔を出してきて邪魔するからだ。…亡霊め。その行く末の果てに、俺は何不自由ないかのように退屈していた。

 

夏は、依然として暑かったし、ミユは時々画像検索を見て、ため息をついていた。

 

「…どうした」

「…外に、でてみたいよ」

ミユは外の環境に適応できるようには造られていない。そう教え込んだ。

家から出ると、外の細菌に感染し、引き起こされる感染症によってもれなくこの家にいる全員に"死ぬより恐ろしいこと"が起きる。

俺は教育用modを使い、そのように教育していた。

「無理だ。諦めろ」俺はため息をつき、ベッドで寝返りを打った。

「…はい」ミユはマニピュレータの画面を注視し、板タブの絵画きに戻る。

 

「…ねぇ」俺のシャツの袖をミユが引っ張る。

 

「…知ってるよ。私、知ってるから」

「何が」

「わたしが、外にでても、しなないこと。」

「…何!?」

「わたしは外にでても、死なない。…そうでしょ?…おとーさん」

 

「…何故だ」

俺は狼狽えつつもミユにそう問う。

「おとーさんの"お父さん"に、連れていってもらったから。」

 

「あの野郎……!!」

だが、どこかおかしい事に気づく。

 

 

「いつだ。…いつ、連れていってもらった?」

 

 

 

「…せんしゅう」

 

 

「嘘だ。あいつは出張だったはずだ。」

 

何より、俺のような狂気すら止められず、むざむざ俺たちを腫れ物のように扱う、あの臆病者の塊のような男に外に連れ出すことなんかできるのだろうか。

詰まるところ、これが指し示す途は一つ。

「一人で、出たな。外に」

「……っ!!」

ごめん、なさい。とミユは肩を小兎のようにビクッ、と震わせたきり、そう言って節目がちにして謝る。

 

俺の憤怒が頂点にまで達する。

俺の所有物なのに、勝手に俺に違反したこと。それが何より許せなかった。

 

そして、俺は確信していた。

掟を破ったからには体罰を、与えなければならない。

その必要は、十分に感じていた。

 

俺は拳で拳骨を作り、一歩ずつ、ミユへと向かっていく。その足取りが、えらく遅く感じた。ミユの肩がビク、と震える。

…ワァァアアアアアン、お兄ちゃん、救けて!お兄ちゃん!!!

止めろ、辞めろ、やめてくれ。……俺が何をしたって言うんだ。

しかし、俺は何もすることもなかった。

…恥ずべき事に、できなかったんだ。

…………くそ。…まただ。クソッタレ。

「…大丈夫?」

 

そう。これも多分、くそったれな事にこの少女の計算ずくだったと痛感する。

俺に、暴力は振るえない。ミユに手は出せない。あろうことか、ミユは、そう信じていたのだ。

 

どうして。何でこううまくいかないんだ。そう感じた。

 

「この家、お金ないんでしょ。」

「…それがどうした」

「わたしの絵、ネットでのせてうっていいよ。私がこれから絵をうったお金も、おとーさんが自由に使っていい」

 

俺はハッとした。

ミユの絵画を自由に売っていい、ということが、何を意味するか。

 

…依然、興味本位で版権キャラクターの絵を描かせたことがある。

 

…売れるかもな、と俺がこぼしたのを聞いていたようだ。

 

また、最近は、そういう絵画能力を持つ者に月いくらでパトロンになるサービスもあるという。…悪い取引ではないかもしれない、と思ったが最後、俺の考えの浅さを証明するようで嫌になった。

…不味いぞ。少なくとも、今ここでつけあがらせたらどうなるか。

 

「お金が必要なら、私がいくらでもあげる。…私が、やしなってあげるから」

だから。そうするように私を、海に連れていって。

ミユはそう、一歩も引かずに言った。

こんな時に、俺は思わず自分で"勇気"に近しいそれや"諦めない"なんて単語をプログラムした俺自身をあからさまに呪った。

 

「…こいつ、どこまで…!!」

 

あろうことかこの少女は、親に向かって、自分との間が対等だとでも云うように取引を持ち掛けやがったんだ。…頭痛さえなかったら、とっくにこいつをぶん殴ってやったさ。

 

「…いいだろう、海に連れていってやる」

 

俺は、歯を噛みながらそう言うしかなかった。こう言った以上、もう暴力に訴えることはできない。

 

俺は少し逡巡した。…そういえば高校の頃に短期のバイト代で買って、それ以来使っていなかった100ccの原付がある。

あの頃は自由だった、と今にして思う。陰気な人間だったが、選択の自由があった。

今の俺には、もう何も選択の余地は残されていなかった。

 

「…すごい…!」

ミユは、駐車場に出て認められて初めて出る外界と、初めて見るバイクに心をときめかせ、眼を輝かせていた。…俺が作ったとはいえ、単純な奴だ、と思う。

 

もう何年も乗ってなかったが、スイッチを入れるとそれはひどくせき込んだような音を出し、動き始めた。

 

…バイクも久しぶりだ。

事故ったらもう、その時はその時だ。

交通違反で捕まったとしても、「まだ」俺は罪を犯してはいないので大丈夫だろう。

俺は、ミユのためにバイクで1時間ほどかかる海岸へと足を運んでいた。

ミユは、もしバイクから落ちたら、あるいは、足を踏み外したら。…そんな恐怖に怯えるように、行きし中、俺にずっとしがみついていた。

 

途中で給油し、バイクは入道雲が見える青空のまっ只中を突き抜け、カーブを曲がる。

いつものボロばかり着せていたら少しは怪しまれそうなので、俺は途中でディスカウントの服屋に寄り、ミユに格安のワンピースを着せた。

 

「…なに、これ…?」

「ワンピースだよ。知らなかったか?…さっさと行くぞ」

自分が身につけているひらひらとしているそれに、ミユはひどく目を丸くしていた。

 

流石に水着なんかを買ってやったら、収拾がつかなくなるので買わなかったが。俺は慈善事業をやってる訳じゃない。

 

見渡す限りの、謙遜のない暑さと球体にして丸めたような青ばかりの光景。

俺が運転している間、そのそれぞれを、ミユは、下手すればバイクから落ちていく恐怖から一旦目を逸らすと――見つめていた。

まるで、映写機のフィルムに焼き写すように、総ての光景を、逃がさないと誓うように。

 

「…きれい」

それが、産まれてこのかた外界をいっさい知らなかった少女の、箱庭から解放された感想。

世界というものを、脳内のフィルムに収めたときに漏れ出た感想だった。

 

ずいぶんと単調だな、と俺は柄にもなく思った。

しかし、イラついてしまう。…まったく、くそ暑いのにこんなことをしなければならないなんて。

それに、こいつを海につれていったところで退職金の出費は嵩み、俺の方に得というものは…この場において、ちっとも存在しなかった。

俺からすれば、とんでもない罰ゲームだった。早く帰りたい、切実に。

時刻は14時を廻っていた。海は日光に反射され、豊かな水平線を描いている。

俺は石段に腰を付け、その子の様子を見ていく。ミユはその張り詰めた汐の液体を足に浸けた。そいつの世界が上書きされた瞬間だと、俺は渋々ながら感じていた。そんな物、何の意味があるんだと思い至りながら。

やがて、ミユは汐を手で掬い、たっぷりと口に含み、吐いた。俺はげらげらと笑っていた。

「……変な味、ひどい……。」「しょっぱいだろ?欲張るからそうなんだよ」

俺は石畳の上段に在る水飲み場を親指で指した。潮水を口に含んだときの気持ち悪さは、俺も感じたことがある。最悪だろう。

海を望んだ付けにしては、余りにも小さすぎるが。

やがてミユは、この海の使い方を、つまり海に来て何をするかを学習し始めたようだった。

彼女(こいつ)は、ぱしゃぱしゃと音を立てて透けた足元の布を濡らしつつ、それを愉しむことをした。そしてそれに伴い、あどけなく、屈託のない笑顔で貝殻を拾っていた。

…本当にミユは、この期に及んで(俺がまっとうな親だったら)抱きしめたくなるぐらい可愛かった。…だが、そうはならないし、そんなまともだったら素晴らしいと感じるであろう世界にはどう足掻いても至らないと今更ながら感じる。そう思う自らがどこか、この上なく惨めで情けなく感じた。

親とはなんだ。人とは何なんだよ。

俺はいったい、何をすべきだったのか。

そう逡巡する俺に対して、答えなどないよと笑うように水遊びをするミユ。

そもそも俺の人生にも、こいつの人生にも意味などないのだとしたら。…そんなことを、思って呆けてしまった。……とても暑い。嫌になるし、何も考えたくない。買ってない着替えの事など気にせず、俺も汐水に浸かってしまったら楽になるだろうか。

「…ねぇ」「……?何だ?」

ミユは俺に対してゆっくりと、まるでばれていないいたずらをしたことを、知っているかのように。機を伺うように近づいてきた。

「なんだよ」

「これ、…いる?」

戸惑う俺に、貝殻を渡した。

「いらねぇよ」「あ……」

俺はそれをポイ、と捨てた。無情だ、とも自分でも思ったが、俺は憎悪によって人格を覆うしか、こいつと接する手段を知らなかったのだ。

「つっ……!」

突如、ミユがうずくまり、屈んだ。

「おい、どうした」

ミユの体調が急変している。何があったのか。何も分からないが、顔は蒼白になり、生気は喪われていく。まるで命の形が、急速に別のなにかに変貌しているように。

「おい、大丈夫か…!」

"大丈夫か"?俺は自分の放つ言葉にいぶかしむ。大丈夫じゃないのは明らかだろう。なら。

まさか、こいつを助ける気じゃないだろうな?戸籍も、いや保険すら持っていないこいつを?

面倒ごとになるだけだぞ。いまならこいつの居住を証明する者はなにもない。回れ右して捨て去ってしまおう。

そうすれば、俺は傷つかずにすむ。俺は罪を犯さないし、誰にも知られずにすむ。

どうするか…一瞬考えがよぎる。…だが、それはすぐに愚かな考えだと気づいた。目撃者はいるだろうし、なによりこの真っ昼間から完全犯罪など無理に等しいことはわかっていた。俺もそこまでバカじゃない。

 

「…俺の体に掴まれるか」「…うん」

結局、おれはこいつを抱えていてしまっていた。しかも、お姫様抱っこで、抱えたのだ。…救いようのないこいつを。

 

…いや、救いようの無いのは俺かもしれない。どっちだろう、か。

 

俺は思い至る。…こんなこと、面倒事しかない。…本当にもう嫌だ、ガキなんて作るべきではなかったのかもしれない。…だが、創らなかったその先にある暗闇なんて物はもっと陰鬱だったろうか。そんなことを考えつつ、とにかくgoogleマップで調べた市内の診療所まで急いだ。

 

結論から言おう。…診断を受けたが、ひどい物だった。ここでは治療できない、の一点張りで、すぐさま救急車で救急病院に運ばれた。面倒事を起こしやがって、という気持ちしかなかった。しかも、名字がばれることになる。この瞬間だけ、■■ミユは"実在する"ことになったも同然だった。

 

「幾つか質問をします。…その"海"には、人がいましたか?」「…いなかった」当直医は、俺の表情(かお)を見るなり、訝しみながら俺に尋ねた。

「………"入場料"は払いましたか?」「……そんなもん無かったよ。憶えている限りは」

医師は、この時点で顔面が蒼白になり、今にもぶっ倒れそうな表情をしていた。

「…………最後の質問です。■■ミユちゃんは、海水を経口摂取したんですね?」「……そうだが!?」俺は苛立った。「………なんてことを。胃洗浄し、緊急手術をせねば!」

"なんてことを"?俺は尋ねる、どういう意味だ、と。

俺は医師の肩を掴んだが、奴はそれどころでは無さそうだった。あぁ、と彼は苛立ち紛れに、急ぎながら話す。…なんでこいつが苛立ってんだ。

「あそこは立ち入り禁止です。……あの"海岸"にはビーチから意図的に分断された、湾から打ち上げられた大量の廃棄医薬品の"成分"が流れ着くのです。海水浴場に設置が義務付けられている極小プラントで清浄化しない限り、毒薬のスープですよ、あれは!」

「……なんだと」俺が驚愕し、何だと、と言った理由は他でも無い。自分の為だ。

保険なんか入っていないこいつを助ける気なのか?治療費なんかどこにも無いというのに?

「……頼む、やめてくれ」「…は?」…俺は医師の肩を掴み、懇願した。

奴は、"何を言ってるんだ、こいつは。"そういうような目で見て、こう言った。「…………あなた、それでも親ですか」「……親じゃない!親じゃ…………」

じゃあ、あいつはなんなんですか。「人形だ。」さらに医師(こいつ)が訪ねてきたら、そう言うつもりだった。奴はため息をついてこう言った。「……何やら訳ありのようですね。ただし、聞いている暇はありません」医師は尚も続ける。お支払いでも交渉でも、何でも聞きましょう。ここはそういう場所(救急病院)だし、場合によっては、私も掛け合います。私は人として、患者を死なせる訳にはいかないのです と。

…分かった。頼む。と、結局俺は為すがままに、その医者に押し切られる形になってしまった。

 

救急病院にしては、治療設備があった高度な病院だったことが幸いして、そいつは助かった。

結局、ミユに関しての……付加的遺伝子治療(セラピー)という奴らしい。遺伝子に抗体用の要素を加えて、害でない要素に変質させる。高い対価を払って、それは成功した。

そう、これで、俺の手持ちの退職金は全て無くなった。最早、どうしようもなかったと感じる。本当にぎりぎりだったし、これからどうすればいいのかも見当がつかない。

そう、俺は助けたのだ。保険なしのこいつを。

 

「お子さんの、公的な身分を証明する物はございますか?」

「連れ子だ。女と、デキたからこうなった」

「どういう事ですか?」

「出さなかったからと言って、別にアンタに罪に問えるようなことじゃないだろう」と俺はそう言った。

「…警察呼びますよ?」「うるせぇ。じゃあな」

でたらめな住所を書いて、ちょっと、という声を無視して俺は金だけ置いて病院を出た。くそ、釣銭も勿体ない、というのに。

「……おとーさん、ありがとう、ございました。感謝、しています」「…まぁ、な」俺は至極残念そうにポケットを漁る。残金は、残り300円。得られたのは、こいつの感謝。…まったく釣り合わない。そう思った。

「……コンビニ、行くか」「…うん!」俺はミユを引っ下げて、再び原付で移動する。

 

俺は全てを諦め、コンビニでアイスを見つめるミユに見つからないように、久しぶりに煙草を買い、吸った。

何故買わなくなったのだろう。それは、至極単純なことだった。

ガキの頃に煙草の灰を食って入院したことがあるので、ミユには同じ思いをさせたくなかったのだ。全く馬鹿げている、とすら思った。

硝(き)えゆく煙の中、俺は俺自身を呪った。

わたしの絵、売っていいよとあいつは言った。…俺は治療を受けるミユを想い出す。

煙草を吸いながら、俺は貝殻を握る。「…くそったれが」

 

この貝殻は呪いだ、俺とミユとの間にある"約束"という名の「呪詛」だと感じていた。

しかも、俺はこの貝殻を持ったまま、この子を好きにすることも出来ずに共生しなければならない。それが意味もなく腹立たしかった。

 

こいつと共生するからには、また煙草は辞めなければいけないことも、呪いをさらに深みを増し、自身に対する憎悪を加速させるに至った。

どこまでも、俺達は呪われた自由を謳歌していた。

 

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