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静かな暮らしが待っていた

引っ越した先は、京都府のとある市で、京都駅まで電車で15分程度の便利なまちだ。

関東の人間にとって、「京都」=京都市は観光するところだ。

数日程度滞在し、寺社仏閣を訪ね、美味しいものを食べ、たっぷり歩き、庭を眺めゆったりとし、おばんざいや抹茶スイーツに舌鼓を打ち、英気を養い、定番のお土産を買って、新幹線であっという間に帰っていく。

最初に京都に旅行をしたのは小学校5年生の家族旅行。その時が大変楽しかったので、京都はずっと好きだった。

2度目に来たのは、高校の秋の修学旅行。その時いった平等院鳳凰堂の朝の静けさとか、高台寺の紅葉とか、泊まった大津(滋賀県)の琵琶湖沿いの景色が心に残った。

3度目に来たのは、大学3年の時で、歴史研究会のなんちゃって部員だった私は、研究会の合宿という名目で、友人たちと京都観光を楽しんだ。

4度目に来たのは、27歳の頃で、そのときは3年くらい旅行雑誌を読み込み、行きたい気持ちを煩わせ、京都で食べたいものリストが膨らんでいたので、食い倒れ散財ツアーみたいになった。

「一度に予定を詰め込んでも得られるものはあまりない」ということと、「憧れすぎると憧れで作った世界がキラキラし、現実が普通に見える」という現象が起きた。とにかく行きたくて仕方なかった思い煩いを解消したので、落ち着いた。

それから11年後の2018年、引越し先の候補として関西を下見することになった。その時は、京都というより、神戸、大阪、滋賀と幅広く探すことになった。その拠点となったのが京都。久しぶりの京都、少しだけ観光もした。

自分たち夫婦にとって暮らしよい場所を2年かけて探した。4回ほど関西エリアを巡り、「住む」という観点で具体的な駅を絞って行き、下見するなか、京都府に住む選択になった。

引越しが決まって、「なんで京都なんですか?」と聞かれることがある。

いろいろ検討した結果、なんとなくそうなった。

住むことを決めた場所は、京都にも大阪に行くにも便利だけど、京都市内ほどの観光地ではなく、住宅街で落ち着いている。通勤通学で来る人はいるけれど、大都市のように大勢ではない。チェーン店も多いけれど、個性的な個人店もブレンドされて溶け込んでいる。

とても静かな生活だ。

引っ越して1週間ですぐ生活も落ち着き、スーパーもたくさんあり、日常の買い物も便利で、1ヶ月たって、思ったよりも京都市内に外出せず、部屋で心地よく過ごしていた。なんせ、収納など使い勝手が前のマンションよりいいので、快適。

東京でそうであったように、少しづつ近所に知り合いができて、顔の見える関係になって来るとまた違うのかもしれない。

幸い、夫婦二人だけ、過不足なく日常を過ごせる。

あれ? これ、ほっとくと、お出かけしない、笑!

気がついて、都会成分を吸いに、意識して、じわじわと京都市街に繰り出すことにした。

そこで、もう一つ、ずっと憧れていた「京都の大学生」みたいな暮らしを思い出すことになる。