『東京ラブストーリー』(1991年ドラマ)のミカン考〜故郷をつかみ損ねる物語と「新しい女」の未来

柴門ふみ原作で人気となった1991年のテレビドラマ『東京ラブストーリー』が、フジテレビの配信FODで、2020年春に現代版として、「29 年ぶりに再ドラマ化!」というニュースで、当時、胸を焦がしてみていた世代がざわついていた。

かくいう私も、当時小学六年生、少し大人の世界を覗ける月9の恋愛ドラマ、毎週楽しみにていた。

【以下、ネタバレあり】

ドラマでは、帰国子女で、物怖じしない性格でキャリアと恋にまっすぐぶつかる赤名リカと、幼稚園の先生で控えめな性格で家庭的な関口さとみの、正反対と言える女性の間で揺れる、主人公・永尾完治(カンチ)が描かれる。

当時は、リカ派・さとみ派でいったら、私はリカが大好き。子ども心に、「さとみってずるい!」と感じ、だから、当然、リカとカンチのハッピーエンドだと信じていた。

最終回(みたことない人はここから、置いてけぼりにしますね)、
リカとカンチが別れ、カンチの故郷・愛媛でリカがローカル線で一人号泣しているシーンで、私も、「どうして?!なんで?!」もう悲しくて悲しくて、号泣した。

30過ぎて、もう一度全話を見直したとき、小学生の私、全然わかってなかったな、と気がつく。

カンチが最後にさとみを選ぶこと、そしてリカの敗北は最終話の手前でもう明白だったこと、したたかでずるいと思ってたさとみも、そんな悪いやつじゃなかった、などが理解できた。

お!オトナになったぜ、私。

もう二人の別れはわかっているのに、愛媛まで追いかけてきてくれるカンチ、優しいじゃん。もうさとみという答えは出ているのに、これまでリカと二人で過ごしてきた時間に責任とろうとしてくれてるじゃん。まあ、だからリカもカンチが好きになったよね、と。その優しさが別れには酷だけどな。なんなら、愛媛まで来んでもよかったぞ、カンチ。

で、やっぱりローカル線でリカがひとりなくところで、号泣しました。
それは、子どものころ感じた、カンチとハッピーエンドにならなかった悲しさではなくて、これは「手に入らないとわかっていたけど、欲しかったもの」への憧憬と確認の涙だったんだ、と。

2014年1月に、わたしはその時使っていたツイッターアカウントでこんな感じでつぶやいている。

今朝、ちょうどミカンのことを考えてた。東京ラブストーリーで赤名リカがカンチと決定的に別れて、ひとりローカル線の車内で号泣してたら、車内で地元の子どもがミカンを渡してくれたのだ。あれは、あのドラマでリカを唯一救う一番いいシーンだ。ミカンは救いだ。私にミカンを下さい。

ツイート主が病んでるのは置いておいて、ここで大事なのはミカン。

物語の中盤で、カンチとリカは、カンチの故郷の話をする。小学校の柱に刻んだ自分の名前の思い出。そこでリカは一度行ってみたいと話し、カンチは連れてってあげるよと約束する。シーンはうろ覚えなのだが、二人でこたつ囲んで愛媛のミカン食べてたかもしれない。
これは幸せだった頃の二人の記憶で、別れを予感したリカは、それを確かめに愛媛に行く伏線になっている。お別れの儀式みたいなもんだね。

帰国子女であるリカは、日本という場所への帰属意識が薄く、カンチのように確固とした故郷を持たない。
海外勤務を希望するキャリアウーマンで、自由な恋愛と東京の都市生活を謳歌する、80年代半ば以降にメディアで散見される「自立した女性像」。その時代における「新しい女」である。

東京ラブストーリーというストーリーは、カンチの上京物語が一つの軸だ。彼が、仕事で成功(恋愛中心で仕事は多く描かれてはいないが、第一話で頼もしい一面をみせチームのピンチを救い、自立した女性像のリカの相手としてふさわしいように描かれる)をし、将来のパートナーを見つける型をとっている。

二人の恋は、故郷を持たない都会人と、田舎から上京したもの交差する東京でこそ成り立つ恋である。このとき、リカにとって、カンチのミカンは故郷と強固なバッググラウンドを持つものへの憧憬といえる。そして、この故郷という言葉には「家庭を持つ」という意味合いも含まれる。こたつでミカン的な暖かさのイメージ。

カンチの上京物語は、関口さとみというパートナーを得ることで、一人前の男と認められる。リカが消えてから3年後、部長が、バリバリと仕事をこなすカンチを見て「今のお前なら赤名(リカ)を幸せにできる」という内容のセリフからそれがわかる。

一方、リカのサイドからいえば、リカが「故郷をつかみ損ねる話」だ。

そこで、ローカル線で手渡されるミカンである。
泣いてかわいそうなお姉ちゃんに、笑顔でミカンを渡すのは、女の子なのである。

ミカン考:だからあのミカンがさいごに手渡されたのは、新しい女たちに、故郷と家族という、失わざるを得なかった生き方に、もう一度、新しい女のままで、向かわせるための一縷の希望なのだろう。

あの女の子が当時5歳くらいとしたら、29年後の今は、大人になり、結婚をして、子どもが二人くらいいて、ワーキングマザーかもしれない。

当時はまだ揶揄されたり、新しい存在であった仕事も家庭も手に入れる女性像というのは、いまや当たり前になっている。当たり前になったけど、ジェンダー問題はまだまだあって、当たり前のように上手くはいかず、直面する壁も多い。

あのとき、赤名リカに憧れた女の子たちは、今、リカのように、まっすぐ自分の欲望とぶつかって生きているのだろうか?

一人でも、家族と一緒でも、どんな生き方を選んだとしても、こたつでミカンを食べて幸せな気持ちでいたらいいな、と思う。

ミカンは希望である。