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7.公立劇場におけるワークショップの意味。「ケア」の考え方


 1.はじめに
 コロナ禍の影響で延期・中止が増えているが少子高齢化という社会情勢の変化があり、「こども」「高齢者」「障がい者」を対象とした参加型の事業が、市民から劇場に求められることがふえてきた。助成金の新たなスキームにおいても、特にこどもと障がい者への事業参画を要求するケースが、例えば地域における質の高い舞台創造といった、鑑賞の「質」を要求する助成金と比べ著しく増えている。多くの公立施設は指定管理者である財団もしくは企業、NPOが運営しているが、実態は市区と密接にかかわる外郭団体が運営していることが多い。そうした組織は部長以上のポストが市区からの派遣職員に占められていることが往々にある。行政と運営におけるさまざまな調整と交渉が必要であり、パイプがあることは必須であるといえる。調整がうまくいかない場合は、公的施設の活動が市民に示せなくなる、ということがある。
 2.効率化によって失われるもの
 昨今の行政改革により社会全体で効率化がすすんでいる。コロナ禍の影響もあり、急速にデジタル化へのパラダイムシフトがすすんでいる。一方でこれまで通りの非デジタルな対応も市民からの要望に沿って残す必要もあり、さまざまな変転を迫られている。
 現在コロナ関連に伴う予防措置や規制、補助金の申請等膨大な事務作業をすすめることに多大なエネルギーを行政は費やしている。各自治体の事情は異なるので一概には言えないところがあるが医療、福祉に割く人的な労力は急増している。高齢者支援の労力も増えている。「教育・文化」ついては、本来コロナ禍による支援が必要なところではあるが、中でも演劇・ダンスなどの実演芸術は、中止・延期となったイベントの保証が充分ではなく、動画配信などの費用負担がかかり、より厳しい状況が続いている。
 古来芸能は、茶道のように家流が継承されることもなく、演目の多くは興行が終わると霧散するのが常だった。公演による木戸銭のみでは賄いきれるものではなく、盛り場などで歌舞を披露し、その後出演者の買春などもあったようだ。時代が下ったとはいえ芸能のそういった性格は変わりようがないし、芸能の娯楽としての要素もまた、私たちが本能的につよく求めるところがあり、いかなる理由があれど、本能的な生理欲求を止めることはできない。
 現代においてはSNSの誹謗中傷や、ネットによるストーカー行為が流出して社会の不寛容さ、モラルの低さを露呈させることとなった。そうした「不寛容」社会の「受け皿」に文化はされやすい。社会学者の中には、リベラルな考え方が戦前の日本社会のように急速に萎みつつあり、国家統制が、市民の側から切望されてきているような風潮に、危機感を持つ人もいる。
 3.ワークショップの現場にて
 ふだん公共施設の演劇・ダンスのワークショップはどれも、舞台表現の面白さをわかりやすく伝えることを考えながら行うこともあって、集客で苦労することが多いが、人材育成に直結する身体表現のワークショップは、やりがいを感じられる劇場のスタッフ、事業なので施設担当者には人気がある。制作側は「事業の企画をたてアーティストに相談する」ことにウエイトが置いてしまい「誰に向けたワークショップなのか」というところが、参加者の確保が厳しいことが多々あるにもかかわらず十分に整理されない。そこのところが解消されないジレンマとしてある。一方でアウトリーチであれば集客の必要がない。アウトリーチとはout=外に、reach=手を伸ばすことの意味で、福祉の分野では支援が必要な方に積極的に働きかけ、情報・支援を届けるプロセスであるといわれている。地域においては高齢者施設などでワークショップをおこなうアウトリーチは非常に新鮮だった。
 以前ワークショップを企画したグループホームは大体30名くらいの人々が入居(一部通い)している市内の施設である。
演劇、オペラと同じくダンスのワークショップもまた、一般の方を対象とすることが多い。ストレッチなどで体をほぐした後テーマに沿った身体を使ったゲームをおこなうのが通例である。身体に負担をかけないことと、無理な動きをしないような工夫と、身体を媒介したコミュニケーションの楽しさを参加者自らが感じられるようなメニューになっている。
 グループホームの入居者は初期痴呆症が多く、過去のことは鮮明に覚えているが昨日今日のことはあまり覚えていない。ただ過去の感動など個人の記憶については鮮明でディテールが細かく、心を打たれたこともあった。私が出会ったグループホームの恒例の参加者には、北方領土からの引き揚げ者がいて子供のころに観た樺太の海の青さが忘れられないという人がいた。
 障がい者学校(病院隣接の小中高の一貫校)で数カ月アウトリーチをおこなったこともあった。その施設の特徴なのか身体的な障がい者と、精神的な障がい者が同一に一つのクラスに混じって授業をしているということに衝撃を受けた。それは「健常」の定義から外れた不健常をまとめている、ということの違和感と不思議さだった。健常者を対象とした一般的な学校が、学力や趣味的なバリエーションで多様化されていることと比べ、あまりの選択肢のなさへの驚きである。
 筋ジストロフィー症なのか、詳しいことはわからなかったが、「数か月後には上体を動かす筋肉の力すら失われてしまう」中学生が、車いすを操りダンス表現を利用した身体的ゲームを楽しんでおこなう姿には胸が熱くなった。ダンスの障がい者とともにダンスのワークショップをおこなうことで、身体をダンスする喜びみたいなものを参加者とファシリテーターで分かち合うことができたということと、それを見守る者たちにも何かしらの感慨を与えられる貴重な時間だった。
 4.誰が支援されるのか?
 ファシリテーターをおこなったダンサーは、初めての養護学校とのやり取りの中で「メニューをどうしたら参加者に伝わりやすくするか」綿密に考えてきた。養護学校での参加者は4名で、そのうち2名が不登校などから発した精神的な障がいを持った生徒、あとの2名が身体的なハンデを背負った生徒だった。(車いすに乗らない生徒のほうは、内臓疾患があると聞かされていた)年齢は13歳~15歳。担任の先生以外に2人の先生がワークショップを受け持った。
 座学とは一味違う体育館での「運動を伴う授業」は、安全が担保できないので、そのような手厚いサポートだったのかもしれない。その障がい者施設でのワークショップで今も鮮明に記憶しているのは、車いすの中学生の喜びに満ちた顔である。ダンスというよりは、身体を使ったゲーム(鬼ごっこ、もしくはボールのパス練習のように簡単なもの)を心から幸せそうに他の生徒やファシリテーターとしていた姿は忘れられない。
 コロナ禍の影響もあり身体表現のワークショップは中止や延期が相次ぐ。コロナによる災厄が収まったとしても、他者同士が身体を使ったコミュニケーションを気軽におこなうことは、身体の接触によるリスクを考えてしまうので無理かもしれない。世田谷パブリックシアターをはじめとする、人材育成事業をメインにおこなってきた創造型の公共ホールでは、ワークショップの知識を整頓し記録したアーカイブ情報をweb公開している。ワークショップ未経験者が、学校や病院、職場などで、ゲーム感覚で気軽に行うことも可能だ。
 一方地域のワークショップについてはファシリテーター、劇場の担当者が読み解くことで、試行錯誤しながらも、質の高いすぐれたワークショップをここ数年はおこなってきたと考えている。2010年以前の「首都圏の教育普及事業を行う劇場」のみの独占性みたいに、首都圏のファシリテーターが地域に派遣し講師をおこなうようなこともこのところ減っているのではないかと思う。2009年頃から、地域創造をはじめとする助成申請の際、ワークショップ・アウトリーチ を奨励した事業戦略を奨励されてきた結果、地域の公共施設は、採択団体である地域の公共施設により相当数のワークショップ・アウトリーチが量産された。玉石混合であったかも知れないが、総じて継続的なワークショップ・アウトリーチを担える人材が、経験を積むことのできた意味は大きい。おそらく国内の公共施設周辺には、その時期に各地域のグループホームなどでアウトリーチのファシリテーターを行ったアーティストが少なからず存在するが、アフターコロナにそうした人々がファシリテーターとして残っているかは不明である。
5.ファシリテーターの仕事
 演劇・ダンスのファシリテーターについて述べさせていただく。ファシリテーター=進行役はワークショップ中の全体の「空気」を敏感に嗅ぎ分けて、次なる方向へ導くという作業がある。ファシリテートがうまくいくと記憶に残る素晴らしい体験を提供できる。しかしながらファシリテーターは、経験や性格だけでうまくいくというものではない。ファシリテーターは講師ではなく、目的に向かって参加者を連れていくのが仕事だ。参加者が自発的に目的地に到達できるようにいざなうという、少し手の込んだ能力が必要とされる。そんなファシリテーターの労力というものは、実はあまりこころみられることはない。演劇ダンス公演のように、観客も存在しない。しかしながらワークショップはまさに「見るもの・みられるもの」のみが存在する舞台芸術の始原的なものともいえる。
 ウイルスの感染拡大が、現代社会にこれほどまでに影響を与えるとは予想がつかなかった。特に医療の世界では、都市部で医療崩壊目前であると報道された時もあり、未だ危機的な状況が続いている。医療体制全体にまで、ウイルスの状況が大きな影響を与えてしまった結果、内臓疾患や外科的な治療にも大きな影響があるが、なかでも高齢者医療と、精神的な疾患について、時として逼迫した状況であるといわれることがある。
スキンシップや、他者とのコミュニケーション機会の喪失を、すこしでも和らげることのできるような方法として、オンラインのレッスンをはじめとしたツールは日々増えている。従来型のワークショップに代わり、ワークショップのメニューを紹介するオンライン動画が今後は増えていくのではないだろうか?
 ワークショップは高齢者の負担を軽減し、あるいは精神のストレスを和らげられるような効果があるといわれている。ひとりで何かを行うというよりも対面して、相手の身体と対話しながら、ある部分はファシリテーター、ほかの参加者と相互に依存しながら、目的に到達しようとする。そのことの成果は、このような状況の中で、得難い貴重なものであると推察する。お互いを尊重することと相互依存が、ケアの考え方の基本である。ワークショップを通じて、そのことの意味を考えていくことは重要である。
 6.ダンスのアウトリーチについて
最後に高齢者と障害者のワークショップ・アウトリーチ をおこなうことの契機となったダンサー砂連尾理さんとの出会いについて触れてみたい。
 砂連尾さんは寺田みさこさんとのコンビで、多くの公演をおこない、いくつかの賞を受賞といった目覚ましい活躍をすると同時に日本のコンテンポラリーダンス界を牽引されてきた方だ。そんな砂連尾さんがコンテンポラリーダンサーとして、「老人」(と語っている)「障がい者」と一緒の作品を作るきっかけのひとつが、寺田さんとのコンビの解消と、ドイツへの留学体験であった。砂連尾さんの著書「老人ホームで生まれた<とつとつダンス>〜ダンスのような、介護のような〜」には、ダンサーとしての葛藤と、老人や障害者と一緒に作品を作ることが、現代に生きる砂連尾さんにとっては必然であったことが「とつとつダンス」の上演に至るプロセスに合わせて丁寧に描かれている。
 はじめて砂連尾さんのクリエーションに触れたのは、エイブル・アート・アワードの授賞式での映像だった。ビルの廃墟のような場所での映像による記録は、障害者とのセッションがどこか生々しく、作り手の「美意識」がはっきり息づいて深く印象に残る作品だった。
 シンポジウムでは限られた時間の中で主に地域のダンス事情の聞き取りと、ダンサーたちがふだんどのように活動していくのが望ましいかなどを、参加者全員が話し合いの場を作って議論した。いまはそのようなことはなくなったが、コミュニティダンスは一時期、「ダンスが福祉と接近して、あらたな治療につながる」といった考えのもと、福祉とダンスに興味を持つ人々に強い関心を与えられた。関西を拠点にコミュニティダンスとしてクリエイションをしている砂連尾さんの意見と、コミュニティダンスに関心の高い地域のダンサーがお互いの経験、方法論、地域性などを議論するのは、時として劇場側の運営への言及につながっていくことになるので、担当者としては双方からの緊張感を保ちつつも、自分たちの立場を表明していくことが時としてあり、その進行として砂連尾さんの存在は非常に心強かった。
 砂連尾さんのそうした振る舞いは、私以外の札幌のファシリテーターにとっても心強いものと感じられたようだった。ダンス事業の予算は微々たるものだったので、こちらのリクエストをつよく求めることは、翌年以降も引き続き、講師としてお招きするなど、交流を続けることができた。
 ダンサーとして幼いころからバレエや日本舞踊などで鍛錬していく中で、自らの表現にたどり着く人もいれば、何らかのきっかけからダンス作品を作るようになる人もいる。あるいはリタイアしてから再びダンサーとして活躍する人などさまざまだ。ダンサーが今の時代をどのようにとらえ、そうしたなかでダンサー固有の世界観を、自らの身体を駆使して感覚と思考を表現するために、テクニックを各々の能力で研ぎ澄ます必要があると思う。
 一方作家として、テクニックよりも、ダンスを通じた作品をつくることに注力する人々もいて、砂連尾さんはまさにそうした人である。そうした中で自らのダンステクニックを磨いているともいえる。コンテンポラリーダンスというジャンルは、ダンスの可能性を飛躍的に増大させたのと、多ジャンルの才能をダンスがつなぐきっかけになったのではないか。あまり目立たないがメディアの影響も(例えばモデルのポージングや、TVなどの振付)においても突出していると思われる。
 ダンスの作品づくりにおいては、即興的なクリエイションにスポットが当たることが多い。演劇のように、台本の読み合わせからはじめて、形象化の段階において台本を話して稽古していくというプロセスを取ることはあまりない。しかしながら大人数でのユニゾンにおいては、どこかに意図が、統一した振りなどの全体の意図がある方が効果的である。
 その後砂連尾さんは立教大学の特任教授となり、現在は都内を中心に幅広く活躍している。お会いできる機会も減ってしまったが、今後も「砂連尾さんだったらこんな風にするかもな。。。」ということを話しながら、ダンスを通じたさまざまな試みを続けていけたらと考えている。

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