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ご先祖さまから引き継がれた価値観

もしも、過去生とかご先祖様からのカルマというものがあるまのならば、いや、実際の真実はわからない。ただ、もやもやっと気になるものがあり、少なからずそういったものに縛られているような不快感や違和感を感じるならば、それを

ご先祖代々からくるカルマや傷などと恐れるのではなく、子供への愛情や、親の在り方みたいなものが、単に、古い時代の価値観のまま引き継がれてしまっているだけのもの

 そんなふうに考えてはどうだろうか

ここでは、母へのヒーリングを通じて、浄化し切り替えたご先祖さまからのカルマ、古い価値観について体験したことを書きたいと思います

 私は、ヒーラーでこれまで、母に2回ヒーリングセッションをしたことがあります
1度目は、まだヒーリングスクールに通っていたとき、スクールの宿題をするためのヒーリングで

Noteに初投稿は、初めて母へヒーリングしたとき
母とハートで繋がって、初めて見えた母の本質 そして関係の結び直し
というタイトルでした

 2回目にヒーリングをしたのは昨年12月の年末、私の祖母(母にとっての義母)が102才で他界しとときです

母は、義母の看病をしていたとか、介護していたというわけでないのですが、それでも、これまで 重い蓋をして感じないようにしていたものが 姑の死を機にパカッと外れたようで、奥底にしまっていたような、結婚してからの何十年もの思いや、傷がどっと溢れて出てきてしまったようでした

様子がおかしかったのでコンサートに誘ったのですが、そこでも、ステージに義母に似ている人が出ていると錯覚をする始末(実際は全然似ていないのに幻覚を見ている)

それでも、素晴らしい音楽を聴いて、美味しいものを食べて元気になったのですが数日たつと、電話を掛けてきては、祖母とののこと、親戚のこと、同じ話を何度も 何度も 繰り返して話すのです

そこで、これは普通ではないと感じて、話しを聞くより、ヒーリングしたほうが早いなと思って、ヒーリングをしました

それ以降、お姑さんである祖母とのこと、それにまつわる親族のことなど、絡まったエネルギーが解かれたかのように全く話題に出なくなり、さっぱりとした様子に一安心していました。

 ところが、年明けすぐ、定期的に私のヒーリングをうけたいと話していたある日のこと、一緒にお茶をしている時に、ふと母から出てきた言葉を聞いて、
あっ これ 私は、母にはヒーリングできない....と 
私のハートが胸の奥の方でギュッと固まって、閉じてしまったことがありました

 それは、母が、佐渡島に住んでいた母の両親(私の祖母でもう随分前に亡くなっている)へ感じている積年の思いでした

母は私に、突然こんな風に語ったのです

母「今でも、じいちゃんと、ばあちゃんの近くに住んであげれば 親孝行できたのかなって思う。 娘が私1人しかいないのだから、娘の私が、せめて佐渡の人と結婚してそばに住んでいたら親孝行出来たのではないかなと思う」

 私は、それを聞いたとき、自分の息子のことを思い、同じ母親の立場として、
私「でもさ、親は子供に、好きな所で好きなように過ごしていて欲しいって思っているよね、」と言いました。

すると、母は

母「そこまで好きなことして好きなように生きてきたわけじゃないから、これくらいの生活しかできないなら、せめて、佐渡の人と結婚していたら、近くに住んでいたら親孝行できたのになって思う....」

母は何の悪気もなく、呟くのです
勿論 私の存在を否定しているわけでもない、と私もわかっている
それでも、私は、その言葉を聞いて、自分の心臓の奥の方がギュッと固まり、胸がつかえるような苦しさがこみあげ、涙が溢れ出てくるのを止めるのがやっとの思いでいました

恐らく、母は、前回のヒーリングで心が開かれた状態から、色々な過去の傷を思い出し、娘のころの気持ちにかえって、自分の気持ちをなぞらえていたのでしょう。  丁寧になぞらえる、その過程でふと浮かんだ、一コマの思いを、サラッと口にしただけのこと

心が開かれて軽くなっているからこそ、言葉にできたのかもしれません

 しかし、私の心には、グチャグチャな思いが、うぁっと一瞬にして浮かび、心の奥の方複雑にこんがらがらせ、固く張り付いてしまったのです

私がそんな風に反応してしまったのには、幾つか理由が考えられます

ひとつは、幼いころから、ずっと、この『後悔している』「苦労している』 母の姿を見てきて、母が、せめて、父と結婚して、娘である私を産んで良かったと、そのことで自分の人生を良かったと肯定出来るように、そんな存在でありたいと常に心のどこかに、思いがあったこと、そんな幼い頃のけなげで頼りない気持ちが、急に思い出され切なくなったこと

二つ目は、母が佐渡島の人と結婚したら良かったと思うことは、娘である私や父、弟の存在を否定されているようで悲しくなってしまったこと

三つ目は、今の私の状況とは違い、遠くに年老いた両親を残し上京している方への思い、母だけで無く私の友人でも遠くにすむ両親を心配している人がいる そんな人の思いが重なり、切なくなってしまったこと

四つ目は、私が母とこうして気軽にお茶するたびに、母は自分の母とはそういう関係でいられなかったことを悔いてしまうのではないか…..私が良かれと思ってすることが母を苦しめる….

そんな気持ちが瞬時にうぁっと湧いてきて、母に気づかれないように溢れ出てきそうな涙を必死でこらえました

 事業がうまくいかず、忙しく苦労している両親に安心して喜んでもらえるように、生きていくことは、(実際にそうできていたかは別として)、私は娘としての使命のように感じていたことがありました
 もしかしたら、主人と結婚したのも、両親に安心してもらえそうな相手だから 選んだのかも...と思えるほど、深く、私のなかに、染みついた感覚が、呼び覚まされてしまったのです

 こうなってくると、もう、これが母の課題なのか、私の課題なのか 分からない、ヒーリングされる必要があるのは、勝手にそんな使命に縛られていた私のほうで、常に“正しさ”というものに縛られて生きてきた、自分への課題が、思わぬ形で浮き彫りになってしまったのです

 そんな状況で、ヒーラーとして母と繋がり、母の思い 真っ直ぐ受け止めたら 恐らく 私の方が崩れてしまう... もっとエネルギーがゴチャゴチャに絡まってしまう

これは絶対に無理

そんな事情から、信頼できる同じスクールでともに学んだ仲間に 母のヒーリングをお願いしたのは、コロナ騒動の前の2月のことでした

本郷綜海校主宰のヒーリングスクール・LifeArtSchoolで共に学んだスピリチュアルヒーラーのさん、同じ学びをしていても、ヒーリングはその方の個性が出てくるもので、ヒーラーの栞さんは、私とは違うタイプ

直感で私が受け止めきれない、母の純真さと繊細さを彼女なら受け止めてくれるのではないかと、超感覚知覚で、そのように感じて2月にお願いしたのです

母は4月で76歳になりました

何歳になっても、人は、いつからでも人生を創造し、好きなように生きられる
私は、ヒーリングを通して、人々が何度も生まれ変わり、そこから新しい自分に目覚め、生きていく場面に幾度も立ち会いました

 だから、母が、過去の傷から浄化され、新しく軽やかな気持ちで、より美しい余生を歩めるであろうと感じて、信頼できるヒーラーからヒーリングをうけることを勧めました

 母のセッションの日、私は自宅にいながら、過去の映像が浮かんできました。小さな私が まだ若くて大きな母の背中の抱きついていたり 元気になってほしくて慰めている。そんな映像が 浮かび、思い出しては涙が出てくるのです。

 それでも、その傷の先にある本質がどれだけ美しいものか、これから起こることを、既に予知して 感動している喜びの涙も混ざっていることを感じながら、 朝から落ち着かない気持ちでいました

セッションの時間になると、もう、始まったかな?と緊張し もう終わったかな?と家事をしながら何度も、時計で時間を確認しました

それは、例えるなら、まるで初めて自分の息子を保育園へ預けたときの気持ち、自分以外の他所様に大切な物を託し、どんな気持ちでいるのだろうかと思いを馳せていた時の気持ちに似ているものでした。 親子って不思議です

 そして、その日の夜、不思議な体験をしました。布団のなかで、私は咳がでて、呼吸が荒くなり、軽く痙攣を起こすように身体が動きました
何か、自分の奥にあるものがはき出されたような、何かが切れたような感じがしたのです。


 母から報告の電話があったのは、翌朝でした

第一声から興奮気味に


「あんなた!もう~凄かったわよ!」と鼻息荒く、興奮して話す母

 ヒーリングの最中に、ものすごく呼吸が荒くなり、肋骨が上下に動き、人生でこれまでで感じたことのないほどの、身体の奥の方から、これでもかというものが、呼吸とともにはき出され、なにごとかと、ちょっと怖くなるくらいに自分の身体ではないような動きだったそう。

「一晩寝て、起きたら、何か奥の方につかえていたものが取れたようで、スッキリしている、今朝、全然呼吸が違うのよ~~勝手に息が入ってくる、こんなに呼吸ができるの初めて!
あの人は、何の知り合いなの? 霊媒師みたいだったけど…..

先祖代々のもののようとだと言われたけど」

と興奮気味に話してくれました。

 昔、佐渡にも、そういえば、霊媒師がいて、通っている人がいたとか、そんな話をしている母の声が以前より太くハッキリしているように感じました

私は安堵し、そして、同じように私自身もすっきりしていることに気がつきました

それから数日、何度も佐渡島の祖母のことを思い出しました。

自分のことを二の次にして、娘や孫のためにお金や、労力を使い、そして、母はそのことに、もっと自分のことにお金を使ったらいいのに もっと自分の好きなことをしたらいいのにと、よく苛ついていたこと

そして、同じように、母も私に、自分のことよりも、お金や時間をかけては、何やってるんだろうと気がついて苛ついたりする...

母親にしてもらったことは、つい、自分も子供にしてしまいがちで、ご先祖代々からくるカルマというのも、そんな恐ろしいものではなく

単に、子供への愛情や、親の在り方みたいなものが、古い時代の価値観のまま、時代を超えて 無意識に引き継がれてしまい、それが現代の時代や親子関係にあっておらず、不必要に縛ってしまたり、苦しめてしまうというだけのものではないか 自分の望みではまるでないのに...

そんな風に思えてきました

コロナ騒動の渦中も、以前の母とは考えられないほど、家にいながらできることを楽しんでいる様子で、マスクを90枚も作って、体操の仲間や友人、近所の人に配ったり、今を楽しむ様子に、解放されたんだなって感じます

最近、そんな母を見て、ふと、もしかして、亡くなる準備に入ったのかな?なんて思ってしまうことがあります
あまりにも純粋で、以前の苦労ややっかみの面影が消えているからです

でも、それで良いって思うのです

誰しも、死に向かって生きているのだから、誰も過去からの価値観を引き受けて生きる必要などなく、それぞれが自分の望みを叶えることに、一生懸命になれたら、それが一番よいはず 
誰もが死ぬ準備に入ったかのように、無邪気に好きなことをして生きたらいい

そして、そう思うたびにに、また何度も佐渡島のじいちゃん、ばあちゃんを思い出す

祖父もまた、父を早くになくし、教員をやりながら沢山の兄弟の授業料を全部払ったという苦労人で立派な人でした。

そして、祖父母を思い出すたびに

『ありがとう、そして、もう時代は変わったので、新しいやり方で生きていくからね。新しい生き方で、私の望みを叶えるからね、本当にありがとう」

手を合せて、そう何度も伝えました。感謝の気持ちとともに
会ったことの無い、祖父のお母さん、更にご先祖様にも伝えました

これからも、大好きなじいちゃん ばあちゃんの顔が浮かぶことがあるだろう

そのたびに私は、そっと手を合せて、おまじないのように呟く

もし、過去生からのカルマというものがあるのならば、ここで終えたらいい
次に引き継ぐことはない
感謝の気持ちとともに終えよう

そして、母に 産んでくれてありがとうと呟く 感謝をこめて



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