冷蔵庫の中でピッコロさんが気を溜めている。

夫が、私の作った料理を覚えられない。結婚してから今まで作った料理で、何が美味しかった? などと聞いても、窮して答えられないのだ。多分、何を作ったのか自体を覚えていない。

こう書き始めると愚痴のようだが、そのことに対して不満は何も無い。恐らく私の作る食事だけでなく、料理全般、もっと言うと食べることに対して興味の薄い人なのだ。興味が無いなら覚えられないのも当たり前だろう。食も細いので、体型はとてもスリムだ。羨ましい限りである。

そもそも、美味しかった料理を私が尋ねたのだって、夕食の献立を考えるのに楽をしたかったというだけのことなのだ。答えてくれないならくれないで、私の好きなメニューを作るだけなので、特に問題は生じない。もっとも、昨日は何を食べたか? と聞いても答えがスムーズに出てこないのは、記憶力のほうの心配をしてしまうが。

しかし元来、夫は物覚えの悪い人ではない。むしろ自分の興味のある範囲のことなら、こちらが驚くほどの記憶力を発揮する。格ゲーのごちゃごちゃした操作コマンドを覚える早さなんかは、私などとは比べ物にならないし、そうでなくとも些細なこと、たとえば友人の誕生日や遊んだときに着ていた服の柄など、周囲がえっと騒ぐほど細かなことを覚えていることがある。

ここまで書いて気が付いたのだが、服の柄以下って、食にどれだけ興味が無いんだ。すごいな。逆に。

夫の趣味はゲームと漫画で、私が見ている限りでは一番記憶力が発揮されるのもその分野である。特に好きな漫画、「ドラゴンボール」は小学生の頃から何度も読み返しているせいだろう、このページの次のコマで誰それがこういうセリフを言って、というのを一字一句違えず覚えていたりする。

そのことに対して本人は、些か子供じみたプライドをもってもいるようで、私が「ジャンプ+」というスマホアプリで更新されるドラゴンボールを毎週一話ずつ読んでいると、先の展開やセリフを嬉々として教えてきたりする。

まるで小学生なのだが、本人がこの上なく楽しそうなのでまあ、別にいい。なぜ毎週毎週、緻密なネタバレを受けながらドラゴンボールを読んでいるのかはよくわからないが。

意識して記憶しよう、としているわけでも無さそうなので、完全に好きが高じた結果なのだろう。ただその記憶力、他の所に生かせないのかな。思わずそう思った(変な日本語だ)ので、聞いてみた。

「たとえばなんだけど、料理の名前がドラゴンボールの技だったら覚えられるの?」

いや、何わけわかんないこと聞いてるんだ。言った直後、自分でもそう思った。

夫もそんな顔をしていた。双方微妙な表情のまま、3秒くらい間が空いた。

「……覚えられる、かも」

マジかよ。覚えられるかもなのかよ。そう思いながら、私は提案する。

「たとえば……昨日作った牛肉のトマト煮込み、あれは魔貫光殺砲でどうかな」

夫は神妙に頷いた。「覚えた。魔貫光殺砲ね」。覚えてくれたようだ。いや、まあ、魔貫光殺砲ではなく、牛肉のトマト煮込みなんですけど。

双方に意見の交換がなされ、次にさつまいもの天ぷらが「気円斬」と命名された。私はパプリカのマリネを気円斬にしようとしたのだが、これには夫から反対意見が出た。色と形がそぐわないと言うのだ。

なるほど、筋の通った意見だ。初期案をブラッシュアップし、外形が似通ったものを探した結果、さつまいもの断面の形に着目することとなり、こちらのほうを気円斬とした。

何だかドラフト会議のようで楽しくなってきた。ドラゴンボール食材必殺技ドラフト会議である。調子に乗った私は、最近自分の中で流行っているゴボウの漬物をかめはめ波にしてはどうか? と持ちかけた。これには即座に、夫から厳しい「NO」が突きつけられた。

「かめはめ波は、そういうんじゃないから」

ファンの思い入れを感じる、重みのある一言であった。確かに主人公・悟空の必殺技たるかめはめ波を、あたらゴボウの漬物なぞに使うのはファンとしては頂けない事態であろう。思いやりが足りなかった、と私は反省する。

いや、ゴボウが悪いってんじゃないんですけど、悟空はなんかゴボウじゃないじゃないですか。ゴクウとゴボウは似てるんですけど。

かめはめ波は、鶏の唐揚げに決まった。鶏肉好きの私としてもこれは嬉しい結果だ。和やかな空気が互いの間に流れ、会議の緊張がやわらいだ。

「最後に一つ、良い? やっぱり、魔貫光殺砲は牛肉のトマト煮込みじゃないと思う。色にもう少しこだわりを持ちたい」

夫の提案に、私は少し考えてから返答する。

「じゃあ、最近よく作ってるゴーヤのスープとかでどうですかね……?ピッコロさん、緑だし」
「OKだと思う。ありがとう。実りのある会議だった」

私たちは最後に、かたく握手を交わした。こうして我が家での料理の呼び名はそれぞれ、さつまいもの天ぷらは気円斬、鶏の唐揚げはかめはめ波、ゴーヤのスープは魔貫光殺砲と決まった。

我が家ではゴーヤのスープを作るとき、一度ゴーヤを茹でてスープに味をつけたものを一晩冷蔵庫で寝かせてから、翌日調理することにしている。ゴーヤの苦味を取るためだ。私なぞはこの苦味こそが好きなのだが、夫が苦手なのでそうしている。

「明日の夜ご飯は魔貫光殺砲だよ」

朝からゴーヤをグツグツ煮ていると、夫が匂いで顔をしかめる。私は笑ってそう教える。

「今夜はまだ、魔貫光殺砲は食べられないの?」
「魔貫光殺砲だからねえ。寝かさないと苦いんだよ」

そんな会話をして鍋の火を止め、冷ましてからフタをして冷蔵庫にしまう。その様子を見ながら夫が、「魔貫光殺砲は、撃つのに時間がかかるからね。気を溜める必要があるんだ」としたり顔で言う。

奇しくも調理法と漫画の設定が噛み合っていたわけである。誰がうまいこと言えと。

そういうわけで、今朝は冷蔵庫の中に魔貫光殺砲を仕舞ってきた。今頃はピッコロさんが、冷蔵庫の中で魔貫光殺砲のために気を溜めている。ピッコロさんのおかげで、美味しい魔貫光殺砲が出来上がるはずだ。明日の夜が楽しみである。

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