ペルーで素麺を奪い合う


髪をばっさりと切った。だいぶ伸ばしてから美容院に行ったせいなのか、切り終わるまでにだいぶ時間が掛かった。

カットが始まるまでの待ち時間が長かったのもあって、途中から雑誌を読むのにも飽きてしまい、隣のお客さんと別の美容師さんの会話に聞き耳を立てるほうが楽しくなってしまった。出歯亀みたいですみません。

いや、だがしかし。会話の端々から聞こえるフレーズが何やら、こういう日記を書いている物好きからするとどうにも聞き捨てならないというか、

「素麺をね、奪い合うんですよ。島の中で。参加者はね、島民全員。そんで、奪った素麺を食ったら勝ちなんです」

とかいう、パッと聞いただけではよくわからない祭の話をしている。

いや、どんな奇祭だ???雑誌を広げたまま、何も聞いてない風を装いながら、私は興味津々で隣の席の会話に思いきり耳を傾けた。

「ええ~、どんなお祭なんですか、それ」
「いや、ホント、そういうお祭があるらしいんですよ。どっかの島で。行ったことは無いですけど、流石に」

半信半疑に笑いながら相槌を打つのは客のほうで、謎の奇祭について語るのは美容師である。イッテQにでも紹介されたのかな、と思いながら、私は無言で二人の会話に耳をそばだて続ける。

「日本ですか?」
「日本です。え~と、どこだったかな、確か九州だか沖縄のほうで……で、素麺を食ったら勝ちなんですよ」
「勝ちってどういうことですか?」
「えっ、何だったかな~……いっぱい素麺食えたら勝ちなんじゃないすか?多分」

怪しい。美容師の話の雲行きが凄く怪しい。うろ覚えの匂いがプンプンする。でも何だか、実際にありそうな、けれど細部が微妙に間違っていそうな、実に際どいラインを彷徨いながら話が展開しているような気がひしひしとする。

「素麺、投げるんですよ。高いところから、素麺投げる役の人がいて。で、みんな踊ってて。素麺食べるときも、踊りながら食べなきゃいけないんですよ」
「めっちゃ食べにくくないですか?」
「多分ね。で、素麺、乾麺のまま投げられるから、家帰って茹でなきゃ食べられないんですけど、油断すると他の島民に素麺盗まれちゃうんです」
「やば」
「やばいっすよマジで。島って、家の玄関の鍵とか常に開けっ放しじゃないすか。あ、島ってか、俺の田舎がそうだったんですけど」
「私の田舎もですよ」
「ね。そんな感じなんすよ。で、その祭のときだけは、どの家も自由に出入りしてよくて、だから茹でた素麺放ったらかしとかにしといたら、入ってきたやつに食べられちゃうんですよね」
「やばいですね」
「警察とか居ないんじゃないすかね。島なんで。なんかとにかく、そんな感じで、やばいんすよ」

なるほど、それはやばいな。そう内心頷いていたところで、自分の担当の美容師さんからシャンプーに案内され、会話の続きに心を残しながら席を離れた。



美容院を出た後、少し遠くまで足を伸ばして、久々に妹に会った。前から行ってみたかったペルー料理屋に同行してもらって、互いの近況などを話しているうち、先ほど美容院で耳にした会話をふと思い出し、うろ覚えながら件の奇祭について話題にのぼらせたい気持ちがムクムクと頭をもたげてきた。

「さっき、美容院に行ってさ。隣の席のお客さんと美容師さんが、よくわからない祭の話をしてて」
「うん」
「えーと、素麺を投げ合う?祭なんだけど」
「うん???」
「あ、えっと、違ったかな。違うわ。素麺は投げ合わない。投げるんだけど、違うわ。食べるの。踊りながら」
「はあ?」
「でなんか、えーと、素麺は自由に盗んで良いんだって言ってた」
「どういうこと?」

この時点で妹は、マジの理解不能の目をしていた。

「え、ごめん、なんかわかんなくなってきちゃった。難しいな。どっかの島のお祭で、島民全員で参加するって言ってた」
「島民全員で素麺を盗んで踊りながら投げ合う祭?」

私たち二人の脳内で、どこかの島の空中全域を、島民たちの投げ合う盗品の素麺が銃弾のように飛び交う図が過った。地上では、島中の人間たちが素麺を手に踊り狂っている。

いや、違う。奇祭は奇祭でも、多分ここまでの奇祭じゃなかった。

「えーっ、なんか違うな……。素麺を島の人たち全員で投げ合うんじゃなくて、確か素麺は投げる役の人がいて……や、待って、なんかもっと情報の根本的なところが修正不能になってるんだよな……」
「素麺を何で盗むの?何でそれが祭になるの?」
「何だっけ……素麺を食べると強くなれるんだっけな……」
「食べたら強くなれそうな食べ物、絶対他にあったでしょ」
「確かに素麺弱そう」
「すぐ折れる」
「貧弱なやつだな」

修正はおろか、あまつさえ素麺のdisになってきた。

「盗んで良いの?てか盗むってどういうこと?そこまでして力が欲しいか?」
「強くなりてえやつしかいないのかな……その島……」
「週刊少年ジャンプの主人公しか住んでない島かよ」
「強くなりてえ……」
「チクショウ……強くなりてぇ……!」

脱線に脱線を重ねながら、次々と運ばれてくる料理を二人で平らげる。ペルー料理は世界五大料理の一つと言われるだけあって、どの皿も美味しかった。そして最後に、チチャ・モラーダ(トウモロコシの甘いジュース)を飲みながら、妹は呟いた。

「それにしても、世界って広いね。ペルーの変な祭で素麺がそんな使われ方してるなんて、思いも寄らなかった」

なるほど、物語というものはこうやって、伝播の過程で変質するものなのだなと私はこの時しみじみと得心した。

最後は特に訂正も何もしなかったので、今頃はきっと妹からの口伝により、踊り狂いながら素麺を投げ合うペルーの奇祭が誰かの心の中に誕生している。

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