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バイクショートショート ドートン/エスケイプ〜

 ある冬の夜、アベレージスピードのやたら速い田舎の国道で友也は原付のスロットルを千切れんばかりに捻りながら
「大学生になったらソッコーでバイク買うぞ!」
と叫んでいた。

 同級生のほとんどの進路が決まりかけた2月下旬のある金曜日、友也が下駄箱で靴を履き替えていると、去年の秋から付き合い始めたガールフレンドの萌が近づいて来てこう言った。
「明日の夜、ウチに来ない?」
「え?」
「誰もいないの。」
こう言う場面で高校三年生の男子が事情を飲み込むのは電撃的に速い。スーパーコンピュータも顔負けの速さで状況を理解した友也はふたつ返事、いやみっつ返事とでも言うのか
「行く行く行く!」
と反応していた。友也の脳内ではパブロフの犬よろしくドーパミンが激しく分泌されていた事だろう。

 萌の家はすごくちゃんとした家で、お父さんは何かの会社を経営していてお母さんはお茶の先生、お姉さんは教員で僻地の小学校の寮に入っている。お兄さんは野球で強豪の大学に行っていて、ちょうど今は千葉に合宿に行っている時期だ。そこに今夜はお父さんとお母さんが温泉旅行に出掛けているのだという。
 末っ子で甘やかされて来た萌だけど、進学先も決まって両親も安心したのだろう。友也は友也でやはり第一志望である東京の難関私大に指定校推薦で合格していたから家族の信頼は厚く
「友達の家に泊まりに行く。」
という息子の言葉を誰も疑わず、家から脱出することが出来たのだった。部活も勉強も生徒会も一生懸命やって来て良かったと、心から感じる瞬間だった。
とはいえ、やさぐれOLである5つ歳上の姉さんにはバレていたようで出掛けに
「持ってくか?」
と言って銀色の小さな包みを差し出されたが丁重にお断りした。友也は時々この姉の性格と性別が分からなくなる。

 国道を走る事20分、萌の家に着き玄関前のポーチに原付を停めるとオートライトが辺りを照らした。一瞬ビビったが気を取り直しインターホンを押す。
「ピンポーン」
するとすぐにジーンズにセーター姿の萌が出て来た。何の根拠も無くパジャマか部屋着で出迎えてくれると思っていた友也がおや?っという顔をすると萌も何?と言う顔を返した。
「ううん、何でもない。」
と取り繕う友也を萌は迎え入れた。
家まで送る事は何度かあったけれど、家に上がるのは今日が初めてだ。広いリビングに通されて革張りのソファに腰を下ろす。
 誰もいないと分かっていても友也はドキドキしていた。遊びに来ない?とは言われたものの、泊まりに来ない?とは言われていないし下心がバレないよう、着替えなどは持って来ていない。一緒に見ようという体で持参したDVDと萌の好きなチョコレートの入ったボディバッグをようやく肩から外した所で、萌が隣に腰掛けた。
心臓が高鳴った。

「ねぇ、今からバイクで出掛けない?」
「は?」
「ユウ君、免許は持ってるけどバイクはないでしょ?」
友也達の通う高校は一定の距離以上の通学生に免許取得と原付での通学を認めていた。その際友也はちゃっかり普通自動二輪免許を取得していたのだった。この辺りではいまだにバイクを禁止している学校も多いが、田舎すぎると逆にバイク通学が認められているのだった。
「お父さんのバイクでちょっと出かけようよ。」
そう言うと萌は友也をガレージに案内した。
「うわぁ…」
灯りの点いたガレージで友也は声を上げた。そこには国産スポーツカーメーカーの雄、ドートン社伝説の名車「スパイダー1000」が鎮座していた。最近復刻されたロードスターではなく70年代に発売された本物である。ガレージにはその他数台のバイクが並んでいた。バイクもすべてドートン社のもので、1600ccのクルーザー「ヴァイパー」と、250ccの高級スクーター「エスコート」がピカピカに輝いている。
「すっげー!!」
もう一台シートで覆われているのは何だろう?友也はシートを外して息をのんだ。スパイダー同様、70年代ドートン社の傑作であるオフロードバイクがそこにあった。友也が大学に入ったら買おうと思っていたドートン「ホッパー」はいわばこのバイクの復刻版である。

「こいつに乗ってみよう。」

 年式なりにやれた車体のバイクはしかし、キック一発で目覚めた。元々なのか白が日に焼けたのか、淡いアイボリーの小さなタンクに華奢な車体、薄く大きな冷却フィンが存在感を示す空冷250cc単気筒エンジンを載せた50年落ちのスクランブラーは弾けるような排気音を響かせ、ジェットヘルにゴーグルの若い二人を乗せて夜の街を泳ぐように走った。
 軽快でありながら力強いエンジンの鼓動に萌も初めて乗ったのか、興奮気味に
「すごい!このバイク面白い!」
と声を上げた。そして友也に訊いた。
「ねぇ!このバイクなんていうの?」
友也は風切り音にかき消されないように大声で言った。
「ドートン エスケイプ!」

数日後、萌が神妙な面持ちで友也に告げた。
「今夜ね、お父さんがユウ君に来てもらいなさいって…。」
友也は絶句した。
やばい、お父さんに怒られる。終わった…。

 夜、今度は自転車で萌の家に向かった。
通されたのはお父さんの書斎だった。ドアを閉めても部屋の外で萌が聞き耳を立てているのが分かる。あ、あいつめ。余計緊張するじゃねーか。
「私のバイクに乗ったね?」
笑いながら怒る人を友也は初めて見た。
「は、は、はいぃっ!すみませんでした!」
これ以上ないくらいの姿勢で直立したまま、鉄拳制裁も甘んじて受け入れよう、ん?甘んじて?先んじて?用法は合っているか?あまりの緊張で友也の思考がおかしくなり始めたところでお父さんは笑ってこう言った。
「あんな娘だけど、よろしく頼むよ。」
意味がよく理解できないまま
「は、はいっ!」
と友也は返事をした。
「急に呼び出して悪かったね、気をつけて帰りなさい。」
そう言われて友也が部屋から出ようとした時、お父さんはこう付け加えた。
「そういえば…」
「はい」
「エスケイプに乗ったのは君が初めてだよ。」
「は?」
ドタドタっと、萌が廊下を逃げて行く足音が聞こえた。

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