「べき」で生きるのはつらい
市役所で働いていると、「〇〇すべき」とかの「こうあるべき」論がけっこうあって、生きづらいなと感じることがよくあります。
「〇〇すべき」に共感する部分もあることはありますが、「〇〇すべき」に縛られているのってどこか生きている心地がしません。
なんでこんな風に感じるのかなと考えてみると、「〇〇すべき」という類いの話はだいたい他人基準のものが多いような気がします。
どこかの誰かが「〇〇すべき」と言ったところに自分を寄せにいっているので、違和感を感じるのではないかと思います。
こういうのって、市役所で働くことだけではなく、生きていると多かれ少なかれ「〇〇すべき」の壁に遭遇することがあります。
「若いんだから〇〇すべき」、「後輩なんだから〇〇であるべき」、「30代だから〇〇すべき」といったように自分自身で振り返っても何度もあるなと思います。
こういうのは社会で生きる上では、そうしておいた方が当たり障りがないよといういわば教訓みたいなものだと思うのですが、時にはそれが足枷になってしまうこともあると考えます。
そうしたときに、自分としては「〇〇すべき」じゃなくて「〇〇したい」で生きていきたいなと思います。
せっかくの人生、他人基準ではなく自分基準で、自分の思うまま考えるままに行動し続けていきたい。
そんなことを考える今日この頃です。