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「私なんかと友だちでいてくれてありがとう」という言葉は

ステキな時間を過ごした後、友人にメールを送る習慣はあるだろうか?

私の周りでは、そういう流れが自然と生まれていた。帰りの電車の中で高速バスの中で「今日はとても楽しかったです!」という内容のメールを一往復させる。それが習慣になっているのだ。

今から20年ほど前、いろいろなことが重なり辛い時期を送っていた。人生のドロップアウトをするしかないのかなと諦めいっぱいの時間を過ごしていた30歳代前半の頃だ。

大学時代の友人らと過ごし、いつも通りメールでのあいさつ文を送ったところ、ひとりの友人からメールの返信がなかった。

不思議な気持ちにもなったが、きっと別の急ぎの用事でもあったのだろうと思うようにした。みなそれぞれに社会人として働き多忙な毎日を送っていることを承知していたからだ。

ところが、その翌日、返信がなかった友人から次のような内容のメールが届いた。

「私なんかと友だちでいてくれてありがとう」という言葉は、今後2度といわないで。もしそのような言葉をいうのであれば、私はもうあなたを友だちと思いたくない。

私は、あなたのことが大好きだ。だから、たとえその言葉の発信者があなた自身であったとしても「私なんか」という言葉を聞くと、あなたのことを貶めていると感じて、腹が立った。

あなたのことを「一角(ひとかど)の人」と認め、尊敬している。尊敬しているこの気持ちを踏みにじるような言葉は聞きたくないから、今後2度といわないと約束して欲しい。

普段穏やな友人からのメールに私は驚いた。

内容は理解できるものの、私自身、人生ドロップアウト覚悟の崖っぷち状態で、私なんかと思えない状況など実現不可能だと思えたのだ。だから、そのことを正直に伝えた。

すると彼女は、次のような内容のメールを送ってきた。

「私なんか」という言葉を口にしないと覚悟さえできれば、それだけでよい。あなたは「私に選ばれた素晴らしい存在」であることを認めてくれればそれだけでよいのだ。私が認めたということを信じて、自分自身も信じてほしい。

彼女の強い気持ちに促され、私は2度とそのような表現を使うことをしないと誓った。

今でも、自分のことが好きかどうかもわからない。(たぶん、ほとんどにおいて嫌い。)

自分に自信があるようでないような「自信の有無なんて、どっちでもいいよ」自己像を是とした生き方をしている。

だが、彼女とのやり取り以降、少なくとも、「私なんか」という言葉が出てくることはなくなった。

実際、「私なんか」というような言葉を「思う」ことはあるのだが、「私なんか」という言葉が出そうになるとき、彼女の顔が浮かんで、ぐっと堪えることができるのだ。

人生に迷ったり、将来に不安を覚えたり、いつもご機嫌な気分で生きているわけではないけれど。

自分を思ってくれる存在が「ひとり」でもいれば、道は拓けるのだ。

それを教えてくれた友人とは、今も友情が続いている。

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エッセイを書いています。 生きていくというのは誰にとっても辛いこと。 そう思うから、もう限界だと思ったところからでも生きていける。 踏ん張って自分の宿命を受け入れ、運命を切り拓いていける。 このような「人生観」とともに生きています。 ★Amazonアソシエイト参加中★

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