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隣の人は何する人ぞ~松尾芭蕉を偲んで

いまや名言か格言かのようになっているこの言葉。

松尾芭蕉の句

秋深き隣の人は何する人ぞ

が由来であることを知っている人はどれくらいいるのだろうか?

この句は、芭蕉が亡くなる前に詠んだ最後の俳句といわれている。

松尾芭蕉の辞世の句といえば、

旅に病んで夢は荒れ野をかけ廻る

が知られているだろう。

最後の俳句と辞世の句。その違いとは何なのだろうか?



そもそも俳句とは?

俳句のことを「5・7・5」のリズムで詠む短い詩歌と思っている人も多いだろう。現代では、そのような考えのほうが主流のようだ。

しかしながら、もともとの意味では、俳句とはそのようなものではなかった。

俳諧連歌(はいかいれんが)と呼ばれる、連句の歌会にて発句(ほっく)なるものが、俳句なのだ。

連句とは?

細かい決まりがあり、捌き(さばき)と呼ばれる人により、会の進行が行われるもの。その連句の中では、厳密で細かいお作法がある。

言葉や事象を繰り返してはいけない。カタカナの使用は決まりを守らねばならない。細かい決まりを熟知しながら連句、即ち、「歌仙(かせん)」を巻くのは容易なことではないのだ。

まるで知力のスポーツのようなもの。

季節は「当季当月」よりスタートする。時の流れに則って、連ねていく句の季節は指定される。季節の移り変わりとともに、原則「季語」が入ってる句を詠むのだが、ところどころ季節を入れなくてもよい句が差し込み可能になり、その変調さも取り込んでリズミカルに連句は進行されていく。

発句としての俳句

松尾芭蕉が最後に詠んだとされる、

秋深き隣の人は何する人ぞ

この句は、元禄7年10月の9月28日に詠んだ最後の「発句」とされている。病気のため翌日の歌会への出席は難しいだろうとして、発句のみを弟子に託したのだという。

それに対して、元禄7年10月12日(現在の暦では1694年11月28日)に松尾芭蕉は亡くなっているのだが、命日の4日前である元禄7年10月8日に病中吟として詠まれた歌が、

旅に病んで夢は荒れ野をかけ廻る

なのだ。

歌で対話を楽しむ芭蕉のこころ

松尾芭蕉は、俳句を連句の発句として捉え、言葉遊びの中に対話を求める俳人であったという。

現在、カジュアルな俳句を詠む人が増えているが、それらの俳句は、自分の心情を吐露するタイプのものが多いように思う。

と同時に、誰かがコメントをすることを拒むような障壁が張り巡らされているような冷たさを感じる。

孤独を詠ったものでも、孤独から生まれる人への親和能力は皆無で、むしろ、孤独を楽しんでいるかのようだ。孤独への賛歌とでもいうのだろうか。

それに対し、松尾芭蕉は、旅を住処とし、孤独な生き方をしてはいたが、その孤独の中だからこそ、他者と分かち合う瞬間に一点の曇りもなく喜びを感じていたように思う。

現在の暦に換算すると、ちょうど明日、11月14日は、芭蕉が「秋深し~」の句を詠んだ日だ。

隣人の物音に、人の気配を感じた句。

病床にあっても、隣の人の気配を感じ取り、そこに僅かながらも人の温もりを受け取っていたのだろう。芭蕉らしい最後の「発句」として、この句を覚えておきたい。

秋深き隣の人は何する人ぞ  芭蕉

おまけ......結びにかえて

私は松尾芭蕉が好きで俳句の世界に入った。(過去には連句のサークルに所属したこともある)

小学生の頃に強制的に詠まされた歌の存在も根底にはあるのだが、本格的にのめりこんだのは芭蕉の世界観に触れてから。

そのためか俳句に「あるべき姿」を求めてしまい、カジュアルな俳句を楽しむ気になれない。そういう自分を責めたこともある。

だが、人は人、自分は自分。

固定観念ガッチガチで、松尾芭蕉をしのびながら俳句を詠んでいけたらと思う。

『芭蕉全句集』はインデックス式で芭蕉の句を辞書のように引くことが可能なので推薦したい。

for reference