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陰徳の功に敬意を表して

地域資源の調査をしている。個人の興味を兼ねた地域貢献ボランティア。主に、石碑や古い建物などの存在を掘り起こしデータとして残す作業だ。

ときには山の奥に分け入る。時の流れが止まったような空間で人々の信仰心を垣間見て、畏怖の念すら抱く。ボランティアや個人の興味を超えて、心の深いところに何かを残してくれるのだ。


移設された祠のあとを探し求めることもある。残った土台を確かめるため、山里へと分け入るのだ。

あるとき、一緒に行動していた先達の方に促され「陰徳塚」というものを見た。それは調査の対象ではなかったが、陰徳塚というものを知っておくのもよいとして、教えてくださったのだ。

陰徳とは、人知れずひそかに善行をなすこと。陰で人を助けたり、人の見ていないところで地道によい行いをするということを意味する。

そのような行為をしてきた人の功績を称え陰徳塚は建てられるのだという。要するに、自らの陰徳塚を見ることなく陰徳を積んだ本人はこの世を去るということだ。


私が見た陰徳塚はとても小さなものだった。

石に刻み後世に伝えるほどの善い行いとは、小さな心配りを分け隔てなく実行したことだという文言が刻まれていた。

時代が時代である。

今の世に、陰徳を積むことを説いたとしても、全くピンとこないだろう。陰徳とは、いわば「承認欲求」や「自己アピール」の対極にあるようなことだ。


「承認欲求」小さめの私ではあるが、「陰徳」を積みたいという気持ちで行動することは難しいだろうと思う。

だが、陰徳塚のことを思うたび、心の深いところに温かいものを感じることも確か。

私たちが生きている「今」は、見知らぬ方の陰徳から続く未来。

この先の未来のために、今できることは何だろうか?

そう問いかけながら今を生きることが、陰徳の功に敬意を表すことなのかもしれない。