見出し画像

ボランティアは休会するのも自由意志だから


地域のボランティア活動を、少しの間、休ませてもらうことにした。

作業は分担制で成り立つ。複数の作業を担当していたから3月4月は地獄の苦しみだった。「休むため」に、キリのよいところまで終わらせようと考えたからだ。

そして、キリのよいところまで作業を終わらせ、5月末の活動をもって一時休会ができるところまできた。安堵してる。



そこまでしてボランティアをする必要があるのか?

3月と4月に味わった地獄の中で、自答していた。ボランティアとは何かと。

「ボランティアは自由意志です」という話を耳にした方もいるだろう。

自由意志ではじめ、自由意志で辞める。

大きな意味では、それは本当にそうだ。だが、細分化された作業の中で、「やります」と引き受けたことは、「けり」のつくところまでは、任務を遂行する義務を負う。

不測の事態があれば、随時上部の人と相談をしながら、問題があれば撤退中止という選択肢はもちろんある。けれども、「やっぱりやーめた!」というような自己都合では、辞めることができないものとして成立している活動なのだ。



そもそも、多くの作業を抱えてしまったのは、私にも落ち度があった。その点を反省しながら、引き受けていた複数の作業を終えて、ちょっとした解放感にひたっている。

なぜ、ボランティアやってるんだろうかと、思うことは何度もある。いや、何万回もある。

なぜボランティアをはじめたのかというところはさておきだが、私はやっぱりボランティアをやっていてよかったと思っている。だから、辞めるつもりはないが、休んでみてからでないと、結論は出ないような気がしている。

ボランティアを始めるのも自由意志。辞めるのも自由意志。

ならば、休むのも自由意志だ。

しばしの休息期間を経て、また新たな気持ちで、取り組めるように、しっかりと体と心を休めたい。