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眠れぬ夜は最高の恵みであった

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不眠症だった私が、当時思っていたこと、考えていたこと。 若かりし日に、自分自身が「自分のためにたどり着いた考え方」について。 生き方が楽になるヒントを綴ります。
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#思考整理

後ろを見るために前に進む

遠くを見渡せる場所が好きだ。 山のテッペンや灯台などの「高いところ」から遠くを見渡すと、全てがうまくいくような晴れやかな気持ちになるからだ。 ◇ 日々の暮らしでは、見通しが悪い中であっても暗中模索で進まなくてはいけないことが多々ある。 暗中模索とはいえ、進むための情報は、ある程度集めることも可能だ。知り得た情報を分析して、現時点での最善と思うものを選択して進む。 だが、不可避な問題が沸き起こり、右往左往することも多い。予想ができなかったことを悔やむとしても、そもそも

「努力」って楽しいよね?

それは、私が、30歳くらいの頃だった。 眠れぬ夜に、努力について考えてみた。 友人に「ガンバラなくていいよ」といわれたことが引っ掛かり、モヤモヤとしたことがきっかけだった。 当時の私は自分に超絶厳しい人間であった。それを見ていて気の毒に思った友人の言葉だったのだろうが、「努力をしたい」という自分の気持ちを否定されたように私は感じたのだ。 努力を否定している人はなぜ努力をしないくていいっていうのだろうかというところから考察を始めた。 なぜ「努力」は忌み嫌われるのか努力

眠れぬ夜は最高の恵みであった

最近、少し睡眠の質が落ちてきているように思う。 不眠というわけではないのだが、年齢のことを考えると、無理をするとしわ寄せが何倍にもなって跳ね返ってくることを心して生活しなければならないようだ。 私は、若かりし日、不眠症であった。 10歳代後半から40歳近くまでであっただろうか。 眠る薬を処方され、3時間かそこらウトウトとするのだが、それ以上に眠るのは時間がモッタイナイと思って、活動をしていた。 当時は、パソコンなどない。 テレビも夜遅くには「砂の嵐」という情景が映