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父と私とジャイアンツ

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2019年6月に他界した実父との回顧録です。
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#死生観

カンゾウの花に亡き父を想う

カンゾウという花をご存知だろうか? オレンジ色で花弁の形はユリに似ている。 八重咲の「ヤブカンゾウ」。一重で咲く「ノカンゾウ」など、いくつかの種類がある。一般的には朝に咲いて夕方には枯れる花と思われているようだが、夕方に一旦しぼみ、翌朝に再度花弁が開くモノもあるのだという。 正直、私の感覚としては、カンゾウは、一日限りの花だと思っていた。朝に咲いて夕方にはしぼむ花だと思っていたのだ。 そう思ったのには理由がある。 一日限りの花であることを理由に、亡き父はカンゾウの花

托鉢の僧侶に施しを

先日、都心へと出かけていたときのこと。 日本橋の下で托鉢する僧侶がいた。 僧侶のほうをチラッと見ながらも、私は急ぎ足で通り過ぎた。時間に追われながら所用を済ませる必要があったからだ。 そして私は目的地へと向かう間、父との記憶を手繰り寄せていた。 初めて「路上で托鉢をしていた僧侶に施しをした」と父に伝えたとき、諭された言葉を思い出したのだ。 父の考えによると、托鉢をしている僧侶の中には乞食のような考えの者もいるのだという。僧侶の恰好をしてタダでお金をもらおうとするとい

春の記憶。理想の最期について

ここ数日、自分の中に「日常」が戻ってきたような気がする。 春の記憶が戻ってきているからだ。 引越しした直後、仕事と確定申告でテンパっていた2月下旬。父が緊急入院した知らせを聞き、寝ずに仕上げた申告書を提出して、実家に向かったあたりから、私の生活に「日常」はなくなっていた。 表向きには「平静を装った」ことも災いしている。「自分の病気のことは誰にもいうな」という父の願いを聞き入れたためだ。 なぜ、父は病気のことを明かしたくなかったのか? それは、自分が自分らしく死ぬため