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第四章 「残念」ふたたび

「哭きの竜」というバトルウォッチャーがいた

 二〇〇二年に、ある男がネット上に書いた。「昔ある人が「アイドルの常識が変わる。今にジャニーズ事務所は、対人恐怖症のアイドルを売り出すよ、絶対に」と語っていたのを思い出す。」*1、と。この「対人恐怖症のアイドル」というのは「残念なイケメン」を想起させる。だが、ここで後ろに下がって全体を見てみよう。二〇〇二年、誰がこんなことを書いたのか。
 書いた人間は、「哭きの竜」というハンドルネームでもって知られた「ザ・バトルウォッチャー」というサイトの管理人であった。このサイトは二〇〇五年に閉鎖されることになるのだが、閉鎖当時、ゼロ年代初頭のテキストサイトの流行を代表するサイトの一つ、「バーチャルネットアイドル ちゆ12歳」が彼の事績をとりまとめてくれている。

 ちゆ12歳は彼のことを端的にこう紹介する。「インターネットが普及するよりも前からネットバトルをウォッチし続けてきた凄い人」、と。
 「インターネットが普及するよりも前」とあるように、彼はパソコン通信の時代から活躍していた人物である。一九九八年、彼を取材した小西文子はこう紹介している。

 パソコン通信の世界には、さまざまなジャンルごとに同好の士が情報交換し合う電子会議室が存在する。
 そこでは、いつもは冷静にネット上で文章を書く人が論争になると、途端に理性を失ったような言動をするのにしばしば出くわす。「なにもそこまで厳しい言い方をしなくてもよかろうに」と眉をひそませるほどのののしり合いは、はたで見ていて恥ずかしいものがある。
 だが、そういう人間の恥ずかしい部分、嫌な部分をかいま見て面白がるという集まりも一方では存在するのだ。パソコン通信の最大手ニフティサーブ上で、今や登録者数1000人を越え、オタク評論家の岡田斗司夫氏も登場する勢いの「ザ・バトルウォッチャー」というニフティ上のパティオがそれである。*2

 この記事のなかで、「哭きの竜」はバトルウォッチの楽しさを、「結局一番面白いのは人間なんです」と語っている。このように考えるきっかけとなったのは、パソコン通信をはじめてからしばらくしたとき(一九九三年)、ネット上のいさかいを偶然目撃したことだった。「わたしはネットでマジで怒っている人をこの時始めて見たのである」、と言って「哭きの竜」は後に回想する。

わたしは本来趣味である歴史や軍事やゲームに関する情報を得るためにパソコン通信を始めた。しかし、そちらの方は残念ながらいささか期待はずれであった。
そちらは、結局は書泉や紀伊国屋書店の方がよほど情報がある。それは今でも改善はされているものの変わりない。
しかし、この「HP消滅事件」のバトルウォッチングを通じてわたしは別のものに開眼した。
パソコン通信の発言者・掲示者達にはそれぞれキャラクター性があり、人間関係があり、社会があり、そこから紡ぎ出されるドラマがあるのだ。
そのドラマが最も浮き彫りになるもの…それがバトルだ。
パソコン通信ではどんな情報よりもバトルが一番面白い。*3

 ここにあるのは人間への興味であり、もっと局限すれば激情、怒りに惹き寄せられたのである。
 われわれは、この「怒り」というものを、「秘密」において捉えることができるだろう。「怒り」は無視しがたい感じを与え、人を惹きつける。この点について、私はルドルフ・オットーの『聖なるもの』を参照することができる。ここで彼は、神という聖なるものは合理的に語りつくすことが不可能であるがゆえに人はヌミノーゼの感覚を与える表現をもちいて神を語ることにした、としてこれまでの宗教現象を捉えなおしている。その本のなかで彼はこんなことも言っている。

ハレルヤやキリエやセラといった祈祷語、さらにはまさに古臭くなって、もはや全く分からなくなった聖書や讃美歌の表現や「異様な」語り方とか、それだけでなく半分もしくは全く意味不明になった儀式用語さえもが、敬虔の念を減少させるどころか、むしろ高める*4

 これは、柳父章が「カセット効果」もとい「秘」の思想について述べていることを想起させる。ヌミノーゼの感覚を与えるような表現とは、つまり「秘密」を感じさせる表現ではないだろうか。
 さて、「怒り」についてであった。ルドルフ・オットーは「神が怒る」というさまざまな神話や聖書のなかでさえ見出すことのできる表現について検討する。理性的に考えるならば、神という万能の存在が「怒る」ことは不合理だ。神は自らの完全性に満ち足りてそのような卑賤な感情にとらわれないのではないか。だが「怒る」。オットーに言わせれば、このように「神が怒る」と表象されるのはそれ自体がヌミノーゼの感覚を与える表現であるからである。神仏をかたどった像が、怒気をはらんだ、おそろしい形相で描かれるのもそのためである。

その怒りはまた同時に、多くの宗教にも見られる神秘に充ちた「神々の怒り」(ira deorum)の観念のうちにも明らかに対応するものを持っている。「ヤハウェの怒り」の奇妙さはすでにつねに注目されてきた。そこでまず最初に旧約聖書の多くの箇所で誰にでも分かることは、この「怒り」がもともと道徳的な特性とは何の関係も持っていないということである。ヤハウェは「燃え出す」のであって、みずからを謎として現すのである。*5

 ただしオットーの記述で問題になっているのはあくまでも「神の怒り」なのであって、普通の「怒り」とは関係がない。だから、「怒り」もまた「秘密」の現象であるという説は私の責任で提示しよう。何で怒っているのか、何が起こっているのか、われわれは人が怒りだしたとき、とっさに注目せざろうえない。だが、「怒り」というものは何かを語るよりも「交渉決裂」「有無を言わせぬ」という具合で周りの人に迫る。この「よく分からない」ということは、無意味を帰結せず、それだけその人の怒りが強いことを示し、それほどのことが起こったのだということを暗示する。「よく分からない」ことがその重大さを暗示する、これは「秘密」と同じ構造と言えよう。
 話を戻そう。このようにしてバトルウォッチに目覚めた彼は、ネットバトルを観察したり時には参加したりといった活動をおくる。そして一九九八年の一月十六日に「秘密結社 ザ・バトルウォッチャー」というパティオ(ニフティにおける掲示板のようなもの)を開設する。それからの盛況は上にある小西の紹介の通りである。
 さて、しかし彼の最盛期はまさにこの短い期間だったのかもしれない。「インターネット」が登場して、「パソコン通信」は衰退の歩を進みはじめる。二〇〇〇年、インターネットで「真ザ・バトルウォッチャー」を開設するが、しかしそのインターネットでは「2ちゃんねる」という巨大な匿名掲示板が成長をはじめていた。彼はこの「2ちゃんねる」を嫌った。お株を奪われたように感じた。その管理人ひろゆきは、彼の眼に才能ある若者として映り、これもまた彼を苛立たせた。その上に、「2ちゃんねる」の登場は、かつての個人対個人の泥沼の論争というネットバトルの様相を一変させ、「名無しさん」という彼の表現を借りれば「電網群生生命体」を登場させ、それがネット上で覇を唱えているのだった。これもまた気にくわなかった。
 それどころか、彼はスランプにおちいり書くことに苦痛を覚えつつあった。だが、なんとか伊藤剛と唐沢俊一の確執を題材にした『伊藤さんの物語』を書き上げ、これを夏コミの同人誌とする。しかし依然として書くことは苦痛だった。バトルのログを読むことさえ苦痛だった。不眠症と慢性疲労が彼を悩ませた。希死念慮が彼の頭脳に居座るようになった。
 そして、ある日、彼は豁然と決意する。もしも二〇〇一年の一月十六日までに何がしかの成功が得られなかったなら、自分の存在を消す、と。
 だが、事態は彼を裏切る。決意を新たにしてからしばらくしたとき、彼の携帯電話に電話がかかってくる。怒声。それは激怒した伊藤剛だった。伊藤剛は頼まれて彼の同人誌に寄稿さえしたのだが、その同人誌の中心となる『伊藤さんの物語』がどうみても不当に唐沢俊一側へ偏向しているというのが、その怒りの原因だった。
 さて、この伊藤剛と唐沢俊一の確執なるものについては、その実態を論ずることは困難であるし、今更不要であろう。このバトルの詳細についてはわれわれは立ち入らない。だが、こうした状況のなかで「哭きの竜」が自分の立場を自己弁護し文章化した「あらすじ文学論と伊藤氏と唐沢氏の問題に関するわたしの意見」は、当時の彼の姿勢を知るにあたって重要である。
 彼は自分の仕事を「あらすじ文学」と呼ぶ。「あらすじ文学」とは、ネット上のトラブルもといバトルのあらすじだけを抜き出したもののことだが、この登場は必然だった。なぜなら、こうしたバトルのログはきわめて膨大長大なものとなり、さらには横槍やノイズが入るので、普通の人には追いきれなくなるからだ。そこで、そうした需要に答えるために「あらすじ文学」が登場する。
 さて、このような情報の取捨選択、そしてその物語への再構成にはどうしても作者の恣意が入ってこざるをえない。しかし、彼は語る。

「あらすじ文学」はネットの事件を後世に語り伝える史書であり、われわれ「あらすじ文学者」は「史記」「三国志」「三国志演義」を書き残す司馬遷であり陳寿であり、そして羅貫中なのだ。歴史をつくるのは当事者たちである。だが、歴史を残すのはわれわれ史家「あらすじ文学者」なのだ。
〔中略〕
誰も「三国志」を書かなければ、「三国志演義」だけが歴史として後世に残る。ただ、それだけのことだ。
理系の人々にとって真実とはただ一つの動かしがたいモノである。
だが、政治学を修めた文系人間のわたしは知っている。真実は後からつくられるものであり、それは無数に存在しえ、または消滅し、そして解釈によって幾らでも変化するモノなのだ。*6

 彼はこのように自らの恣意を正当化してしまう。彼はこうも語る。

ネットはその創世記からコミュニティが形成されて、ハンドルというバーチャルな名前をぶらさげたネット人格によるさまざまなネット特有の人間ドラマが織り成されてきた。
それは時としてヘタな小説よりも遥かに面白いモノである。
なるほど、人間ドラマならばリアルの実生活でも悲喜こもごもおりなされている。だが、それはその場に直面した当時者以外には窺い知ることのできないプライバシーである。
一方、ネット上で織り成される人間ドラマはその当事者が意識するしないにかかわらず不特定多数にさらした公開情報となる。それを観た第三者にはそれに介入するのはもちろんのこと、それを批評論評する権利が発生するのだ。なぜならばそれは発言と云うかたちで不特定多数に向けて公開された作品だからだ。当事者たちはわれわれ第三者にとっては、ネットというシナリオのない舞台の上でネット人格を演じている登場人物なのだ。
〔中略〕
「あらすじ文学者」にとってその対象はあくまでもネットつまりバーチャルの舞台で織り成される人間ドラマであり、ネット人格という演技をする魅惑的な登場人物たちなのだ。実社会つまりリアルで、実はどう言うことが起きていようが、ネット人格を演じている役者が実はどういう人であろうがそれは枝葉的な興味関心対象に過ぎず原則的に作品として扱う対象外である。*7

 かつての人間への興味は、ここに至って一転、虚構と創作の世界に着地する。彼は、自分の興味はあくまでログの上に行われる、バーチャルな人格たちによるドラマである、と弁解するのだ。
 さて、「哭きの竜」の物語に戻ろう。彼は、命を賭けて何がしかのことを成そうと考えていた。だが、同時に、そのまま何も成せなかったとしても、きれいに自殺するのも良いかもしれないと自己陶酔に浸りつつあった。掛金は命だが、事態は遅々として進まなかった。ただただプレッシャーが彼の上にのしかかった。
 そしてある日、彼はこの計画を唐突に破棄してしまう。クーデター、と彼は喩える。「竜の脳味噌内でクーデターが発生した。ドーパミン青年将校団が突如として決起し、海馬国会議事堂へ突入」「「ダメならこの世からきれいサッパリ消え去ろう」計画が無謀かつ無計画にして体力と気力を無意味に浪費し全肉体を死に至らしめる危険極まる計画であるとこれを激しく非難し、本計画の即時中止、全面破棄を体内全臓器に向けて布告したのである。」*8こうして生命を賭すことの無意味さを悟った「哭きの竜」はそれからどうなったのか。
 彼はその後もいくつかの事件を追い、まとめた。だがその間も彼のやる気は着実に下降線を描きつづけていた。
二〇〇一年七月十三日の日記、「昔のニフティはよぉ、量産型一般ピーの自作自演なんかじゃねぇ、天然の本物のがいたんだよ」、二〇〇二年八月二十八日の日記、「スランプが重症になると、書けなくても平気になるのか…」、二〇〇三年十二月十七日の日記、「サボり過ぎで、とにかく根本的に電網世界の世の中の流れが分からなくなっている。もっと根本的に、そもそもそんなものはわたしの人生にとって知る必要があるのかとも思ってしまう…」。
 二〇〇三年以降は、更新も稀になり、そして二〇〇五年、サイトの閉鎖を決定する。こうして、「哭きの竜」と名乗ったバトルウォッチャーは消え去った。後には、その名前を捨てた一人の男がこの世界のどこかにいたはずだが、しかしそれについて語ることは不可能であるし不要である。

「吉野ヶ里に遷都して縄文時代からやりなおすべきである。」

 少しばかり後ろに下がり過ぎたようで、問題の発言を素通りしてしまった。「残念なイケメン」を想起させるあの発言は、二〇〇二年、ゆるやかにやる気を失ってゆくなかでかろうじて「哭きの竜」の筆を動かしたいくつかの事件のうちの一つに対する文章のなかで現れたものだ。その事件とは「1ch. tv騒動」であった。
 これは株式会社アスキーの特別顧問でもあった西和彦をはじめとした人々が、2ちゃんねるを「失礼な、酷い、めちゃくちゃな」掲示板であると見、対抗して「人にやさしい」掲示板として「1ch. tv」を開設したことに端を発する騒動である。
 理念については今も賛同する人がいるかもしれない。だが、出来上がったものはセキュリティの甘いボロボロの掲示板と悪質な発言の削除に関する運営の恣意的であいまいな基準、その上に2ちゃんねらーの冷やかしをふりかけて、2ちゃんねるへの憎悪に凝り固まったスタッフの狂気じみた言動を添えたものだった。この1ch騒動全体の経緯については今さら取り上げる必要はないだろう。私が取り上げたいのはただ一人「富士見いおた」についてである。
 「2ちゃんねるへの憎悪に凝り固まったスタッフ」の一人に「富士見いおた」という人物がいた。彼は恣意的な発言の削除についての批判に対し、「ここは電子雑誌」「編集者に公平さは必要ではありません」と述べ、掲示板の体裁を早々に投げ捨てた人物であり、「反2ちゃんねるキャンペーン」なるものを張って1chの方向性を定めてしまった人物である。
 1chはもはやどうしようもない状態だった。「人にやさしい」という理念ははるか昔に投げ捨てられ、「反2ちゃんねる」についても敗色が濃厚だった。そんななか、「富士見いおた」は唐突に次のように宣言する。

皆様、熱意溢れる誠実な御議論お疲れ様でございます。

電網に奇胎として宿りし2ちゃんねるが、現実社会へ迫り出し、人心を浸潤せしめんとしている昨今おいて、我ら電網に住まう者たちにより、自己批判及び改革の動きを行わんと、1ch.tvは旗揚げをした。
現在の1ch.tvの惨状を鑑み、我々はあからさまな敗北の証したる屍を電網に晒していると言わざるを得ない。
そして、この状況を露ほども不可思議と感じずに、全くの放置状態の電網界隈における住民の感性と、それを基台にさも世の必然であるかの如き論調の日本社会は、長い年月をかけて編み上げた織物の如く緻密かつ、豊潤なる図式を成す国際社会から滑落し、茫洋たる荒野に墓標も無く眠る事になるだろう。

此処に至って、日本国は日本文化の熟成に失敗した事が証明されたのある。
よって、日本政府は吉野ヶ里に遷都して縄文時代からやりなおすべきである。*9

 この奇怪で堂々たる宣言に対し、「哭きの竜」は「脳天にズズーンと来た」と言うほどの衝撃を受ける。彼は言う。

先の富士見いおた氏の「日本政府は吉野ヶ里に遷都して縄文時代からやりなおすべきである。」云々の投稿は、オレは観たときにマジでガツンと衝撃を受けた。
ほんと、仕事中ズっと富士見いおた氏のこと考えていた。
帰って観たら消えてた。オレは怒ったね。「なんてコトしてくれた!(怒)」と。
だけど冷静に考えると、巡行したことこは正しい。巡行して消したことで、あのカキコのアートが完成するんだ。だから、巡行しないといけない。
なんか、オレ、書いていて興奮で震えてきたよ。

富士見いおたは天才だ!彼は天性の芸術家だ!!

あのカキコの意味を噛み砕くと

悪いのは全部2ちゃんねる
僕のやっていることを認められない電網世界も日本社会ももう知らん

と云うことだ。
本当にこの人は根が真面目で他人に厳しく自分に優しい人で、世間が自分をどう見ているか気になって仕方がなくて、自分に自信がないのだな…と、このカキコとその後に巡行したことで分かる。
そこで「他人の目を気にするな」「自分に自信を持て」とオヤジどもは説教するけど、そんなん月並みなんだよ。下らねぇ。
いいか、富士見いおたの行動はそれ自体が芸術なんだ。アート。
「他人の目を意に介せず、自らの思うところを邁進する」そんな北大路魯山人やエド・ウッドみたいな天才は20世紀のものなんだ。
21世紀の天才は「他人からの評価を意識しまくって、それでも自分を頑なに守ろうとして、他人と自分との境界線で懊悩する」これなんだ。
昔ある人が「アイドルの常識が変わる。今にジャニーズ事務所は、対人恐怖症のアイドルを売り出すよ、絶対に」と語っていたのを思い出す。

 ここで、はじめに取り上げた言葉が出てくるわけだ。
 なお、「巡行」とは当時の1chをウォッチする人々の間で使われた、発言を削除することを意味する言葉である。ただし、元々彼らの間で共有されていた意味は、「1ch.tvがカチンときた発言を削除しまくる行為 」であり、自分自身の発言を後から取り消すというかたちでの「巡行」というのは本来の意味ではない、と言えるかもしれない。だが、「巡行」という表現は、単に「削除する」という意味だけではなく、自分に対する発言がどうしても気になって無視することができず、あちこち巡り行っては削除してまわる、というニュアンスがあるように見える。そうすると、一度堂々たる宣言として書き込んだことを後になって思いかえし、放っておけず、取り消す、という動きは「巡行」という表現こそふさわしかったのかもしれない。彼は言う。

富士見いおた氏の2ちゃんねるへの異常な執着と批判。これは「共同体幻想への無批判な依存の否定(と、嫌悪の証明)」なんだな。
2ちゃんねるこそが正にこの「共同体幻想」なんだ。そして、一般大衆は「名無しさん」に埋没し、この「共同体幻想」に依存している。「名無しさん」…これは自己を殺していることなんだ。
富士見いおた氏は、この「共同体幻想」を嫌悪(というよりも憎悪)している。この嫌悪は社会のためなんかじゃない、そんな月並みで下らないそれこそ「共同体幻想」の為じゃない、富士見いおたという自我を守るための、闘争なんだ。自我を守るためには「共同体幻想」を打破しなければいけないんだ。
ここで重要なポイントは「他者からの評価を意識しまくる」こと。自我を守るために社会から隔絶して己が信じる道を行く、なんてのは20世紀的なマッチョニズムなんだ。これこそ幻想だ。
人は社会的な生物であり、一人では生きられない。まして、膨大な情報が渦巻く現代社会だ。一人で生きることなんて、そんなの幻想だ。一人でなんか生きられない。死んでしまう。
「他者から評価されたい…皆から認められたい…僕を分かってよ!」という血を吐くような思い。にもかかわらず「共同体幻想」へ埋没することを拒否する自我との葛藤。自分と他者との境界線に懊悩する。
皆と一緒に名無しになって「共同体幻想」へ埋没すれば楽になるのに、苦しくないのに…
「共同体幻想」を徹底的に嫌悪して自我を守るために、彼は何度でも巡行し、そして何度でも自爆する。
そこまでしても守らねばならない自我とは何のか?
「富士見いおた」はそれを人々に問いかけている。

 自我を守る懸命な戦い。だが、しかし社会や他者に背を向けて「我が道をゆく」というかたちで自我を守ることはできない。「他者からの評価を意識しまくる」こと。他人からどう見られているか、それが気になって仕方がない。巡行して巡行して、それを確認し、確認しては消して行き、修正しようとする。見られたい自分のあり方を守るために。言ってみれば、自分のキャラクターを守るために。
 自分のキャラクターを守るために。これは、さやわかが『一〇年代文化論』のなかで秋葉原通り魔事件の犯人、加藤智大の動機を分析する際に重要になる考え方だ。
 さやわかはまず彼の動機に関する従来の理解を批判する。オタク趣味だから異常者だ、というのは論外だとして、学歴や女性に関するコンプレックスをネットの掲示板に書き込んでいたからそのコンプレックスが原因だ、というのも実際とは異なる。さやわかは犯人の獄中手記、『解』『解+』を参照して、彼にとってこうしたコンプレックスは「残念」な自分のキャラクターとして受け入れられていた、とみる。「加藤は虚実織り交ぜつつ、自分のコンプレックスを「ネタ」として面白おかしく他人に提供し、交流することができた」*11のだ。これは、さやわかがその著書で示した一〇年代の「残念」の思想であり、加藤はそうした感性をすでに生きていた、というのである。
 だが、彼は凶行に走った。それは何故か。荒らしの登場によって「彼は掲示板という自分の居場所を奪われ、自分のキャラをも剥奪されてしまった」*12、このことが彼の不満を募らせた。彼は「ならば通り魔事件を起こす」と荒らしに脅しをかけるが、しかし聞き入れられなかった。よし、ならば。彼は実行した。
 こうして見ると、彼の動機は「自分のキャラクターを守る」ことにあったのだ。
 さて、「富士見いおた」の話に戻ろう。彼は自分を「残念」とは思っていなかっただろうし、そういうものとして受け入れる気もなかっただろう。彼は自分を憂世の志士として時代に刃向かった人物として理解していただろうし、「残念」なのは自分の志を認めないインターネット、日本社会、世の中であると信じて疑わなかっただろう。
 しかし、「哭きの竜」が衝撃をおぼえたのは、自分のキャラクターを守ろうとして、かけずりまわり、巡行する彼の姿であった。「巡行して消したことで、あのカキコのアートが完成する」「富士見いおたの行動はそれ自体が芸術なんだ」、自分のキャラクターをとりつくろおうとかけずりまわる、この空回った行動こそが、「哭きの竜」をゆさぶったのである。
 「富士見いおた」は行動において「残念」であった。そしてこの「残念」が人を惹きつけたのだ。

恒心教

 このようなインターネットの黎明期の事件に一体何の意味があるというのか、と思われるかもしれない。急にインターネット老人会をはじめて、なに、どうしたの、という声が聞こえてきそうである。だが、私の見るところ、このように「残念」な人へ好奇心を抱いてウォッチする、という行動は今日に至ってもインターネットではよくあることなのである。
 一〇年代における、その最も代表的な事例が「恒心教徒」と呼ばれる集団と、彼らによる集団的なある一人の弁護士に対する嫌がらせである。
 ついにこの話題になってしまった。二〇一二年からはじまったこの騒動には馬鹿馬鹿しい点が数多くあるが、その馬鹿馬鹿しい点のうち最たるものと言えるのが「まだ継続中」という一点である。つまり、「恒心教徒」は依然活動的であり、騒動に関わった人間の個人情報をとりあえず暴いておく危険な習性は現在も発揮されないとは限らない。触らぬ神に祟りなし、できれば言及したくない集団だ。そしてもう一つ、私の懸念材料となっているのは、この騒動を「残念」への好奇心として捉えるという自分の立論であり、つまりは嫌がらせの対象となっている弁護士の「残念」な点についても若干の記述をすることになる、という点である。その記述が「恒心教徒」の行為の正当化するものとして受け取られることを私は恐れる。後に見るように、彼らの活動は、どう考えても弁護士のいくつかの失点に見合う程度のものではない。そのことについては強調しておきたい。
 インターネットの残念さ。それも一〇年代の。というふうにもしも誰かが題を提示されたならば、この騒動について語ることを回避することは不可能だろう。誰かが語ることになるはずだ。ただ私は少し早めに語るだけである。「今」について語ろうとしたばっかりに。
 まず、二〇〇九年に「八神太一」という固定のハンドルネーム(コテハン)でなんJ板に書きこむ者が現れた。それが大本の元凶である。コテハンとは、2ちゃんねるの普通の匿名者、「名無しさん」(なんJ板では「風吹けば名無し」)と違って、特定の固定したハンドルネームで発言する者を指す。「哭きの竜」はかつて『2ちゃんねる中毒』という本に寄稿した文章のなかで「固定ハンドルは一方的に叩かれるのみ」と書いていたが、しかし当時のなんJ板において、コテハンは「八神太一」以外にも多くおり、少なくともその存在は許容されている環境だった。
 ここに「八神太一」は「常識は守るしお前らに好かれるように頑張りたい」と言って登場したのだ。
 だが彼は三年間のうちに最も嫌われるコテハンへと成長してしまう。「俺なら恥ずかしくて自殺するね」と低年収者を煽りたおし、別のコテハンとレスバトルを繰りひろげ、東日本大震災では初期微動でオナニーをし、そして「【速報】 八神太一外野手、○○○○」といったタイトルでほとんど誰も興味のない彼自身のプライベートを語る「自分語り」をほぼ毎日欠かさない。二〇一二年三月、彼はある別のコテハンとバトルになり、そして負けてしまう。そんな「八神太一」を見て、なんJ民は煽り罵倒する。なんJ民は「Fラン私大」と彼を決めつけるが、「八神太一」は反論する。泥沼のバトル。この有様にうんざりしたある名無しが「さっさと寝ろよ」「皆嫌な思いするだけだし」と忠告するが、この忠告に対する返答は実に印象的である。

俺は嫌な思いしてないから
それにお前らが嫌な思いをしようが俺の知った事ではないわ
だって全員どうでもいい人間だし

大袈裟に言おうがお前らが死んでもなんとも思わん
それはリアルでの繋がりがないから
つまりお前らに対しての情などない

 この切り詰められた表現たるや! 当然、言葉の応酬は止むことなく、大学の合格さえ疑われる。「合格証明書を見せてみろ」という声はますます大きくなる。もう「八神太一」はその罵声に耐えきれない。自分の大学合格.を証明してやろうじゃないか。合格証明書の画像を、もちろん本名を隠した上でアップロードする。すると、どこからか各大学の合格証明書の様式をまとめたwikiが見つかる。照合して大学名が判明する。彼がこれまで投稿してきた自分語りの書き込みが突然活用され、「八神太一」の身元を明らかにしてゆく。ついに本名まで周知されてしまう。
 これが発端となる炎上である。
 しかし、これは発端にすぎない。この後彼は弁護士を雇う。そしてこの弁護士こそが「恒心教」の騒動の中心なのである。
 この弁護士について、仮名とするか本名で記すか、非常に迷った。社会的立場をもって行動している人間の職務上の活動を紹介するに際し本名を隠す必要はない、という考え方もある。本名とともにこの騒動を紹介することで、彼に対する嫌がらせがさらに増えるかもしれない、という懸念もある。だが、彼の近年の活動を見て、私の心は決まった。当初は顔をできるだけ隠し、「表にでない弁護士」のイメージをもたれていた彼は、近年ではテレビや雑誌といったメディアに積極的に顔を出し、勇気をもって自分の経験を告白している。ならば私も勇気をもつべきだろう。彼の経験を単なる個人的不幸として捨て置くことは、私には許されない。
 弁護士の名を唐澤貴洋と言い、当時「恒心綜合法律事務所」の所長だった。「恒心教」の恒心とはここに由来する(残りの「教」の方は、当時オウム真理教についての番組がNHKで放映され、なんJ板でオウム真理教ネタが流行ったことの結果である)。「八神太一」がはじめ弁護士を雇ったとき、なんJ民は震え上がった。だが、ネット上の発言についての訴訟がきわめて難しいこと、また個人情報曝露による損害賠償が高いものでも十二万程度ということが知られるにつれ、彼らは平静さを取り戻した。そして平静さを取り戻してこの弁護士を見てみると、色々と粗があるように見える。まず彼は「ネットに強い」「IT分野に詳しい」はずなのに2ちゃんねるのスレの立て方すら知らないようだ。それに「弁護士唐澤 貴洋」という名前欄もちょっと妙じゃないか。と思ったら「弁護士 唐澤 貴洋」に修正された。おや、Twitterの事務所公式アカウントでアイドルを何十人もフォローしているぞ。その多くがジュニアアイドルじゃないか。と思ったら公式アカウントが非公開になった。
 弁護士唐澤貴洋は今この瞬間掲示板を覗いていて、まさに今自分がどのように見られているかを取り繕おうとしている。この事実、あるいはシンクロニシティはなんJ民の関心を一気に惹いた。それからさらには、依頼人ではなく自分に対する誹謗中傷の書き込み――「うんこたれ弁護士」、「唐澤貴洋のちんこの皮あまり過ぎじゃね? あれはやべーよ」などなど――のIPを開示するようになると、もう唐澤貴洋は騒動のもう一つの中心になってしまう。どこまでが彼の気に障るのか、どこからが開示せずにはいられないのか、反応を求めて書き込みは過熱する。六月以降、唐澤貴洋はなんJ民の悪口を開示しなくなるが、誹謗中傷の書き込みはなおもさらにエスカレートしてゆく。ある名無しはこう言った。

先生が開示してくれないからこんなことに…
早く開示しないと開示中毒者が更なる暴走を始めてしまう

  開示は待望された。そして、ついに殺害予告まで書き込まれるようになる。以降の「恒心教徒」の活動、つまり殺害予告をし、サジェスト汚染をして「核兵器保有」の風評などをばらまき、何度も事務所に訪れ、撤去しようとするとカッター刃が裏から落ちてくる表彰状を玄関に飾り、雪見だいふくを送りつけ、恒心綜合法律事務所の公式アカウントを装ってTwitter連動アプリ「Plays Now」に引っかかり児童ポルノ視聴履歴を垂れ流し、カランサムウェアという唐澤貴洋の似顔絵をかかげた悪質なマルウェアを拡散し、その同じ絵の書かれたシールを街のいたるところに貼り付け、グーグルマップ上で原爆ドームの名称を「恒心教核実験場」に改め、そして各地の自治体に唐澤貴洋名義で爆破予告を送りつけるなどの活動は、すべて唐澤貴洋の反応を引き出すために行われている。なんJ民に対しIP開示をすることはなくなっても、唐澤貴洋が彼らの活動に対しFacebookを更新(彼らの間では「恒心」と表記され、最終的には唐澤貴洋が何か行動を起こす事それ自体が「恒心」と呼ばれるようになった)し、声明をだすその一挙一動が「恒心教徒」を惹きつけたのだった。

人間への関心

 「富士見いおた」の「巡行」と唐澤貴洋の「恒心」は、相似している。どちらも自分に対する発言が気になって仕方がなくそれを放っておくことができない。そして、さらに相似しているのはこのような行動がウォッチャーを、「恒心教徒」を惹きつける、という点だ。ただし、かつてのバトルウォッチャーらと現在の「恒心教徒」とでは行動における倫理が多少異なることに注意を促す者もいるかもしれない。
 かつてのウォッチャーの間で、その観察の対象のことは「鳥」「鳥さん」と呼ばれていた。その言葉は、山本弘がある時、と学会に入会を希望した人に対して「あなたがと学会へ入会されるのはバードウォッチングの会に鳥が入るようなものです」と断った故事に由来する。こうして観察対象である「とんでも」さんを「鳥」と呼ぶようになったという。
 この喩えから、バトルウォッチャーらは自らの行為をバードウォッチングに喩えることがしばしばあった。そして、この喩えから一つの倫理が生まれた。ある時、「鳥」からの反応を求めて、「ファン」が「鳥」のいるところへ押し寄せるという事態になった。そのとき、「お笑い”裏”モノ探偵団」という唐沢俊一の議長をつとめる当時のバトルウォッチャー系のニフティ上の会議室では次の発言がなされた。

バードウォチャーたるもの、鳥に「卵をよこせ」だの「羽をくれ」だのと言ってはなりませぬ。
我々のたのしみ、いえ、尊敬の対象であるあのかたを疲弊させ失っては当会議室、ひいてはニフティ全体の損失となりかねません。*13

  ここでは「鳥」に対する行動は咎められた。「鳥」の悲劇=喜劇を鑑賞するにあたって、不介入、観察するのみ、というのが彼らの原則だったのである。だが、すでに見たように「恒心教徒」にはそのような抑制は見当たらない。
 だが、しかし上の発言によく注意すれば分かるように、この原則は「鳥」のためというよりも「鳥」の観察によって維持されている「我々のたのしみ」のためにあるのである。
 このパソコン通信の時代、「鳥」が嫌になって発言を止めてしまったらもう誰にも観察することはできなくなる。だが、現代の唐澤貴洋の騒動でいえば、「恒心教徒」が何も活動をしなければどんな反応も示されないに違いない。「恒産なくして恒心なし」という孟子の言葉を、彼らはまったく異なる意味で用いる。ここではむしろ介入することが求められているのである。
 もっとも「恒心教徒」においても「我々のたのしみ」を維持するために時期尚早な介入を咎める程度の「倫理」はある。たとえば、ある恒心教徒は「八神太一」の弟のTwitterアカウントに突撃したために、他の教徒の怒りを買い、ついには彼自身の身元を特定されてしまう。だが、それはもちろん「恒心教徒」の自制などではなく「まだアカウント内部の情報を収集・魚拓保存してからしばらく泳がせておくべき段階だったものを、早急に彼のアカウントに凸ってしまったせいで鍵が掛かってしまい、事実追求を不可能にさせてしまったこと」に対する制裁だった。
 なお、この恒心教徒が当時自身のTwitterアカウントで「残念系学生です☆」と自己紹介していたことは興味深い。彼はどうやら「残念」に関する一〇年代的な感性の持ち主だったようだ。
 さて、私は人間への関心として、これらの事件を捉えたい。すでに論じたように、インターネットでは自分をどのように見せることも原理的に可能であり、どんな「自分語り」をしてみることも可能である。しかし、そこではそうした見せかけの全てが信用ならないものになり、うっとうしいノイズのようなものになってしまう。そこでは信用しうる何かは、むしろそうした見せかけを取り繕おうとするその動きに現れる。この「動き」を垣間見るために、人が押しかけ詰め寄せる。
 一人の人間に対するこのような異常な好奇心は、そうでもなければ説明がつかないのではないか。単なる嫌がらせにしては彼らは個人情報というものに執着しすぎている。それはただ対象の生活を妨げるための道具では終わらず、それ自体を目的として集められているように見える。
 他方に眼をやれば、「八神太一」、「俺は嫌な思いしてないから」と言い放ったあの少年もまた、「お前らに好かれるように頑張りたい」と言って登場したのだったし、合格証明書を見せないで済ますことができなかったことも、彼にとってなんJ民が「どうでもいい人間」ではなかったことを示している。
 唐澤貴洋は「声なき声に力を」「愛なき時代に愛を」と叫ぶが、このような人間への関心こそが彼を縛り上げ、しょうもない発言の一つ一つにどうしようもなく傷つき、空回りを続けさせたのではないか。
 なお、この二つの言葉は唐澤貴洋のfacebook更新(faithbook恒心)の中で述べられたもので、二〇一三年に起きた2ちゃんねる個人情報流出事件に対する反応の中に出てくる。彼はこの事件に対して、ひろゆきに責任を問い、2ちゃんねる運営に損害賠償を要求すると息巻いた。その使命感に高揚した気分がこの文章を生んだのだろう。だが、結果を述べるならば彼はこの事件に対して何事も成せなかったと言えるし、さらに思い返せば、かつての依頼主「八神太一」についても三〇万円の依頼料に対してやったことといえば、二十二人のIPを開示しただけではなかったか。あるなんJ民は「デカいこと言ってるけど1人の少年の炎上騒ぎすらまともに解決できてへんやんけ」と彼を批判する。
 だがあえて言おう。私はこの唐澤貴洋の言葉、「声なき声に力を」、「愛なき時代に愛を」につよく共感する。実効性はともかく、それはわれわれの問題を深く照らし出しているように思われるからだ。
 ここで、さやわかが加藤智大について述べたことを引用しよう。

しかし少なくとも言えるのは、彼はそうやって常軌を逸した理屈を組み立てつつも、荒らしとのコミュニケーションを望んでいた、ということになる。「残念」な部分をさらけ出して人と対話しようとしたように、また著書を2冊も書いて自分の動機についてわかってもらおうとしたように、彼は基本的に他人との意志の疎通を求めている。
 ただ、そうした対話への試みはすべて失敗した。*14

 他人と対話を求めることが、どうしようもなく空回りしてゆくこと。われわれの問題はここにあるのではないか。

*1 「共同体幻想への無批判な依存の否定(と、嫌悪の証明)
*2 「パソコン通信でひそかに流行する「バードウォッチング」とは何か? 「ダカーポ」405号(1998年9月16日号、マガジンハウス)より(著者の許可を得て転載)
*3 「お花畑の狂詩曲(ラプソディ) 第一部
*4 ルードルフ・オットー『聖なるもの』華園聰麿訳(創元社)、138頁。
*5 同上書、37~38頁。
*6 「あらすじ文学論と伊藤氏と唐沢氏の問題に関するわたしの意見
*7 同上。
*8 「第48装甲軍団の死闘
*9 「共同体幻想への無批判な依存の否定(と、嫌悪の証明)」 以下「哭きの竜」の文章はここから引用。明確な誤字は筆者が修正。
*11 さやわか『一〇年代文化論』(星海社新書)、170頁。
*12 同上書、171~172頁。
*13 「鳥とは
*14 さやわか『一〇年代文化論』(星海社新書)、172頁。

 なお1ch. tv騒動の経緯については「ちゆ12歳」がまとめているので、興味のある方はぜひ。


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