西田幾多郎『善の研究』を読む 純粋経験についての哲学的考察がなぜ同時に善の研究でもあり宗教哲学でもあるのか
以下の文章を院試のために提出する論文に組みこむ際若干改めましたので是非こちらをお読み下さい。おおよそは同じですが「判断すら加わらない前」についての考察が異なります。
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はじめに
經驗するといふのは事實其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てゝ、事實に從うて知るのである。純粹といふのは、普通に經驗といつて居る者も其實は何等かの思想を交へて居るから、毫も思慮分別を加へない、眞に經驗其儘の狀態をいふのであ