承認欲求について本気出して考えてみた

おはようございます。雨坂です。

ここ最近、また不眠気味になっているせいか、今朝はメンタルがどん底まで落ちて、ひたすら辛くて苦しく、本当に何で自分は生きてるんだ? くらいまで落ちこんでいました。

が。

そこで自分の心の中にあった問題は何かと言いますと、いわゆる承認欲求でした。
「私の小説読んで~!」「もっとみんなこっち見て~!」というやつです。

しかしながら、この承認欲求というものは実に厄介です。
小説書きとして、やはり読者の存在を感じられないと不安になりますし、考えれば考えるほど、もやもやとした黒い感情も沸いてきます。
どれだけ宣伝しても効果が出ないと、ますます承認欲求は大きくなるばかりの悪循環。
これが一番辛いです。本当に苦しいし、幼子みたいに泣きわめきたくもなります。

しかし、私はいい年をした大人です。
そこで、「承認欲求とは何だ?」と、考えてみることにしました。

承認欲求とは、分かりやすく言えば他者に認められることです。
実力だけではなく、存在そのものを認められることにもなります。
中には存在することを許されたような気持ちになる方もいるでしょう。
背中を押されたと感じ、今後のやる気につながる方も多いはずです。

ということは、承認欲求とは、他者がいて初めて成り立つものなんですね。

しかし、他者を動かすことは容易ではありません。
自分が幼子なら振り向いてもらえるかもしれませんが、大人がどれだけ泣きわめいても、普通は無視されるものです。
そう考えたら、承認欲求がどれだけ滑稽なのか、分かるような気がしませんか?

他者がいて初めて成り立つわけですから、言い方を変えれば、他者に振り回されているわけでもあります。
それでは時間がもったいないですよね。
自分の人生なんだから、好きなことに時間を費やしたいものです。その方が絶対に楽しいし、気持ちも自然とポジティヴになります。

ええ、絶対にその方がいいです。

というわけで、私の中にあった承認欲求は、今やもう小さな点となり、すっかり鳴りをひそめてしまったのでした。



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