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HSPの私が繊細だと言われなかった理由

幼い頃から、感受性が豊かで傷つきやすくて、よく泣いていた。
でも、周りの大人は誰一人として、私のことを「繊細」だとは言わなかった。

どうしてなのか、ずっと不思議だったし、そんなにも周りから見てもらえてなかったのだろうかと、悲しく思ったりもした。
(実際、学校の先生はえこひいきするクズばかりだったが…それはまた別のお話)

しかし、今朝になってちょっと思った。

めんどくさがりで大雑把だからじゃないか?

自律神経など、身体的な意味では神経質だが、性格的には神経質ではなく、むしろ大雑把なのだ。
しかもめんどくさがりだから、周りから見たら「繊細」には、とうてい見えなかったのではないか。

いやいや、もしかするとHSS型のせいもあり、「よく分からない子ども」だと思われていた可能性もある。

熱しやすく冷めやすい。
部屋で本を読むのが好きだが、外でみんなと駆け回るのも好き。等々、今思えば可能性はいくらでも考えられる。

今の時代、HSP/HSCという言葉が世の中に浸透してきているため、HSCは私が子どもだった頃に比べて、格段に見つけやすくなっただろう。

しかし、私のような、大雑把でめんどくさがりな性格のHSPもいることを、どうか分かってもらいたい。
「繊細」には見えずとも、心の中は「繊細」で傷つきやすく、常にさまざまな刺激を感じ取っては、周りにびくびくしているのだ。

あくまでもHSPは気質であり、いわば土壌だ。その上に育った環境による影響があり、性格や価値観が形成されていく。
このことをどうか、理解していてもらえるとありがたい。
HSPは、究極的には当人の主観で決まるものだ。
周りの人間がとやかく言うものではなく、当人が自分はHSPだと思うなら、それでいいのだ。

そう、大雑把でめんどくさがりな私でも、HSPを名乗っていいのだ。
周りから「繊細」だと思われなくても、自分がHSPだと思うならそれでいいのだ。
もちろん、この気質のせいで「生きづらい」と主張してもいい。
しかし、自分だけが苦しいわけではないこともまた、理解しておかないといけない。

私たちHSPの生きやすい社会というのは、他人を尊重するというごく当たり前のことが常識となり、人々の心や生活に根付いたものだと思うからだ。
今の日本には、あまりにも他人をないがしろにする人間が多い気がする。
そうではない。尊重してこそ、世界はよりよくなっていくのだ。

雨坂のいづ



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