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旅と、香りと、記憶と

 「匂い」と「記憶」には密接な関係があるという。
それは私自身も日々強く感じていることだ。ふとした瞬間に香ってくるにおいに、とある日の景色や空の色、自分でもそれがなんなのかハッキリとは思い出せないような、けれど驚くほどに鮮明ないつかのワンシーンがフラッシュバックしてくることがたまにある。いや、多々ある。
「プルースト効果」というやつらしい。
なんでも、マルセル・プルーストというフランスの小説家の著書の記述から命名されたそうだ。自分の著書に記した出来事が、学術的な事柄のネーミングに採用されるなんて格好いいなあ。うらやましい。……って、そうじゃない。

 匂いは、鼻から伝わり、嗅上皮⇒嗅細胞⇒嗅球⇒大脳辺縁系へと伝わっていく。大脳辺縁系というのは、たとえば「お腹がすいた」「眠い」などの本能的な行動や、喜怒哀楽などの感情を司る部分。視覚や聴覚などの五感の中で、この大脳辺縁系に結びつく感覚は、「嗅覚」だけなんだそうだ。
そんなわけで「におい」と「記憶」の関係性は、学術的にも研究され(おそらく)証明されているものなのだ。
……とまあ小難しい話は苦手なので、それはまた別の方のサイトやブログでどうぞ〜ということで。何が言いたいかと言うと、私はこの「におい」と「記憶」の関係性が好きだということ。そして私がこの現象を通じてよく思い出すことが、旅先での記憶だということ。

 たとえば、夜ごはんの前菜にタコのカルパッチョを作っていたときのこと。自画自賛したくなる程、色合いも考慮し丁寧に美しく盛り付けたタコとベビーリーフ。そこにフレッシュなレモンを贅沢に絞った時に、カプリ島の碧い海と青い空、照りつける太陽の光が一瞬にして頭に甦った。カプリ島へ旅した時、現地産のレモンを使ったレモンジュースを飲んだり、それこそランチの前菜にタコ(茹でてあったが)のサラダをつついたりしたからかもしれない。
またある時は、雨の降る5月の午前中。少しひんやりとした空気と雨の匂い。それから、その時自分が身についけていた香水――Jo Maloneのバジル&ネロリ――の香りとが相まって、ちょうどその日から1年前の5月のロンドンでの日々が脳裏をよぎった。5月なのにかなり肌寒くて、どんよりとした曇り空と時折降る雨。雨はあまり好きではないけど、その天気がすごくイメージの中のロンドンとリンクしていて、映画の中にでも飛び込んだかのような気持ちになったものだ。そんなロンドンで手に入れた香水が、そのJo Maloneのものだった。

 みたいな感じに、私にとって旅と香りと記憶は三位一体のようなものだったりする。もちろん、旅以外の記憶を呼び起こしてくれるときもあるけど、圧倒的に多いのが「旅」なのだ。日常生活の中でめったに嗅ぐことはないけど、きっとどこかで「革なめし」のにおいを嗅いだら、モロッコのマラケシュでの活気溢れるカオスな日々を思い出すだろう。

 そんなわけで、自己紹介の記事にも書いたけれど、旅に出たらなるべくその土地の香りを連れ帰るようにしている。香り=記憶なので、その土地のことを忘れないように。ふとした瞬間にその旅先に帰れるように。
完全に造語なのだが、個人的にそれを「一旅一香」と呼んでいたりする。

 前述の通り、Jo Maloneの「バジル&ネロリ」はロンドン。
Acqua di parmaの「Mirto di Panarea」はシチリアの香り。
Santa Maria Novellaの「Iris」はフィレンツェ。
Carthusiaの「MEDITERRANEO」はカプリ島。などなど。

直近で訪れたイスタンブールでは色々あって香りを持って帰ってくることができなかったのだけど、幸いにも(?)現地で嗅いだ強烈なにおいが割と容易く日本でも出会うことができるものだったので、そのにおいに出会うたびにイスタンブールの記憶が呼び起こされる。……なんのにおいかというと、まあ……「鯖」なんだけど。
(興味のある方は「イスタンブール さばサンド」でググってください)

 もともと「香り」は好きだったけど、大好きな「旅」の記憶と「香り」が密接に交わることに気づいてからは、より「香り」というものが好きになった気がする。よくニッチ系のフレグランスブランドなんかでも、調香師の旅先での記憶が香りのモチーフにもなっていたりするしね。きっと、様々なストーリーが、記憶として香りに込められているんだと思う。それと同時に、ひとつの香りが思い起こさせる記憶も、十人十色だったりするはずだ。


――旅と、香りと、記憶と。
いつかそれを題材に、何かストーリーを作ってみたいなと思う今日この頃でした。

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