見出し画像

なぜ、好き嫌いをしたくなくなったのか

まず初めに、
不愉快に思う方がいらっしゃったらごめんなさい。

今回は「占い」についての話


そして、こんなだらだらと言葉を綴るのが好きだけど、

思考に持ってかれがちだが
実はわたしは、
感覚人間で
知識も少なく
頭がよくないことを先にお伝えしたい。

______

わたしの母は、自分の好き嫌いがはっきりとしている
ずばり、占いやスピリチュアルな話は嫌いだ

そして、今でこそ考えが柔らかくなってきたが
ヨガに対しても良い印象がなかった

わたしが10年以上前、
ヨガを始めた。と、なんとなく言い出しにくかったり
なんとなく気を使って、ヨガ=ストレッチ と言い換えていたり
養成講座の勉強をしているときもなかなか言えなかったりした

「言ったところで」なのだけど、
あの頃は、今よりもずっと、
家族に気を使って生きてきた気がする

家族が良い状態ではなかった
そこにわざわざ荒波立てるようなことをしたくなかったのだ


「言ったところで」なのだけど。

_____
そんな好き嫌いがはっきりした母に育てられたからか、
わたしは、好き嫌いはっきりさせることに違和感を感じた時期がある

どう伝えたらいいのだろうか

自分にはない、
好き嫌いはっきりさせる自由さに、憧れを抱いている気もするのだけど。

特に、嫌い から発せられる
負のエネルギーが、耐えられなかった。

好きとか嫌いもない、フラットなものの見方をしたい

気付いたら、そんな感覚で生きていた

_________
ここから、本題
(いつも前置き長いね、ごめんなさい)

フラットな見方をしたい というのは願望。

占いやスピリチュアルが嫌いな母親に育てられたので

10年ほど前、やはり自分の中で
占いやスピリチュアルは抵抗のある世界だった

ヨガをしていると、この世界に詳しい人や、興味のある人が多い

自分には関わりのなかった世界が、
少しずつ身近に、そして当たり前になっていった

そんな感じだろうか。

今でも、そんな知識があるわけではない。
ただ、当たり前にそんな世界が身近にあるので
言葉の選択や、感覚的にいわゆる「あやしい人」かもしれない。
知らんけど。

________

今年、生まれて初めて占いをしてもらった

手相占い
しっくりはこなかった 笑

知り合いの紹介
ということもあり、タイミングが合ったので2回目。
やっぱりそんなしっくりこなかったのだ 笑

感覚的に。

なんだか、魂が震えない
そんなもんだよなー
なんて思っていた

先日、また機会があったので3回目
(ごめんなさい、ちょっとお遊び感覚でしてしまうの)

やっぱり何も震えなかった
のだけど、3回目にして、しっくりきた部分があった
しっくり、というのか
興味深い というのか


先ほどの一文
「自分にはない、
好き嫌いはっきりさせる自由さに、憧れを抱いている気もするのだけど。」


自分にない、と思ったのは何故なんだろう
いつから、そう思ったのだろう
何か、そう思うべく物事があったのだろうか

わたしは、好き嫌いはっきりした子供だったのだ
記憶がある
(と、はっきりは言えないが)
好き、嫌!があった

嫌だと思えば、必死で抵抗した

そりゃ子供なんてそんなもんだ、と言われたらそうなのだけど

女の子っぽい格好が嫌いだった
タイツを履くのも大嫌いだった
大人数で遊ぶのも
外で走り回るのも
女の子らしい遊びも嫌いだった
みんなと一緒に、ができなかった

自分にもあったのだ
好き嫌いをはっきりさせる自由さが。


手相鑑定の詳細は、さておき
自分と向き合っている今、
向き合わざるを得ない、自分が育った環境のこと

やっぱりここか。

そう思ったのだ

__________

なぜ、フラットなものの見方をしたい と思ったのだろう
好き嫌いがあることがいけない と思っている自分がいる気がした


好きも嫌いもあっていい

どっちもあっていいことを認める

フラットに見るって、そういうことよなあ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?