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「それをするにはもう遅すぎる」という年齢感覚と、荒地の魔女の呪い

「もしも、あの10代のときに本気でダンスを学びはじめていたら、今頃どうなっていたんだろう…」という思いが頭をかすめることが、今でもよくある。

わたしは現在(39才)ダンスインストラクターの仕事を主業としていて、それを仕事としてやりはじめたのは去年(37才)からだ。ダンスに出会ったのは10代後半だったものの、その当時に「わたしはこれからダンスを主業としてやっていく!」と思ったわけではなくて。

それはあくまでも、他にたくさんある好きなことの一部であり、趣味のようなもの。それをわたしが仕事としてやれるなんて1ミリも思ってなかったし、まぁもしやるとしても来世(が、あるとすれば)だな、と思っていた。

それなのに、ひょんなことからこの業界にこの年齢で飛び込むことになって、あれから1年。わたしにとっては本当に挑戦の繰り返しで、自分のなかで常識と思っていたことを覆すようなことがたくさん起こった1年だったのだけど。

さまざまなことに挑戦して、もちろん壁にもぶち当たって。自分のなかで自分を塞き止めているストッパーがまだまだあるんだなという自覚もあって。その自覚があるだけでも可能性があるということなのかもしれないけれど、目指すゴールは恐ろしいほど遠くに感じていて。

そういうときはいつも「もしもあの10代の時にダンスをちゃんと学び始めていたら…」という思いが頭をかすめる。それは、この歳になっても未だなにひとつ成就できていない自分への言い訳。

なにごとも若いうちに芽が出なければ大成しないとか、「子どもの頃からずっと〇〇してました」とか、「学校で〇〇科を専門的に学びました」みたいな人しか物事は成就できないし、成功もしない。そういう無意識の感覚がずっと自分を巣食っていて、それは未だにわたしのなかにあり続ける。

しかし思い返せば、この発想は今にはじまったものではなく、10代でダンスに出会ったあの時だって、そう思っていたのだ。

「いまさら遅い。今からダンスを習い始めたって、子どもの頃とか、小さい頃からダンスをやっていた人には敵わない。」そう思って、好きなこと、やりたいことにちゃんと向き合うことから逃げていた。

「出会うのが遅すぎたんだ。」
「もっと早く出会っていれば、わたしだって今頃は…」
「もっと小さいときに、自分の可能性を見出していれば…」

そんなことをずっと思っていたけれど。

それは本当は年齢の問題ではなくて、笑われたり、バカにされることが怖かっただけで。

「なにを今更。今から始めてなにになるの?」「その歳から夢を追いかけるなんてムリだし、ダサいよ。ちゃんと現実見なさいよ。」と言われることが怖かった。10代の、あの時でさえも。

子どもたちが最近、ジブリ映画の『ハウルの動く城』にハマっている。何度か見たけれど、あれはまさに、“若さ”をテーマにしている映画だよね。

若ければいいのか?
若ければなんでもできるのか??

答えはNOだ。

荒地の魔女によって90歳のおばあちゃんにされてしまったソフィーは、まさに若さによってではなく、自分の信念にしたがって行動したことによって、それまで他人軸に生きていた人生を、あるべき自分のもとに取り返す。

そこに年齢という枠はなくて、何歳であっても、気づいたときにそのビジョンに従って進めば、誰だってその人がやるべきことを達成するために必要な時間はじゅうぶんに与えられている、ということを教えてくれる。

年齢という枠をおそれるのではなく、むしろ歳を重ねることを楽しむように。それを歓迎するように。

Age is just a number. 
年齢はただの数字。

わたしももしかしたら、荒地の魔女の呪いにかけられていたのかもしれない。その呪いを解く鍵は、ただ自分の信念とビジョンに従うことのみ。

はじめるのは、今この瞬間からでいいんだ。




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