020. 感情に優劣をつけない/地図を描くように心のマップをつくる
わたしという人間は、わりとライトにドン底に落ちる。
ついさっきまで太陽のようにポカポカと明るくあたたかい気持ちだったのに、なにかちょっとしたきっかけでポーンとものすごく深いところに落ちてしまう。そしてたいてい、一度そこに落ちたらなかなか上がって来れない。
きのうもそんな感じで、夕方までは順調だったのに、ちょっとしたきっかけで底に落ちてしまった。原因は、息子がご飯の時間になっても動画を止めなかったことに対する夫婦の対応の違い、という他愛もないこと。
しかし一旦オフになったスイッチはなかなか切り替えられず、すべての気力を失い、世界を恨み、自分を呪った。「あーもうみんな死ねばいいのに。でもそりゃムリだしなぁ。あ、そっか。わたしが死ねばいいのかぁ。」なんてライトに考えたりしながら、『世界一不幸なワタシ』を抱きしめていた。そんなことは、しょっちゅうである。
ほぼ毎日投稿するようになってから、改めて自分のnoteを読み返してみると、この20日間だけでもザッと3回くらい『ドン底note』がある。どんだけー。
もともと精神的な忍耐力だけはムダにあり、コミュニケーション力もまぁまぁある方なだけに、そこが仇になってしまうのだろう。内心では「しんどい。疲れた。やりたくない。」と思っていても、持ち前の忍耐力と笑顔で乗り切れてしまう。そして後からドッと疲れが出て、身近な家族に当たってしまう、いちばん面倒くさいタイプだ。
だからこそそのバランスを取るために、こうしてnoteに自分の内面を書きだしたり、人に話したりするし、そこに特別大きな抵抗はない。…というのは半分ホントで半分ウソでもある。抵抗がないということはもちろんなくて、もし本当になければもっとストレートなことをためらいもせずバンバン外に出せるのだろう。けれどそこはやはり「不幸自慢してるやつだと思われたくない」「うっとおしいと思われたくない」という感情が働き、ある程度セーブしている部分もまだまだある。
「自分のネガティブな面を人に見せられない」
「けみちゃんは内面を人に素直に話せてすごい」
という類のことを、ときどき周りの人から言われることがある。私の場合、単純に自分の内面を自分だけで抱えていられないという部分がおおきいのだと思う。
けれどそれ以上の大きいのは、自分の感情に優劣つけたくないということ。
「ポジティブな面だけを見せたい。それが大人としてのマナー。」と思っている人がいることも知っているけど、私はそこに「いい」とか「悪い」という言葉をつけたくない。
「落ち込んでいる自分はダメで、元気で明るい自分がいい」と決めつけてしまうのは、誰のためなのか。周りの人のため?子どものため?それともあの頃、悪いことをすると怒られてばかりいた親のため?
「泣いてもいいし怒ってもいい。笑ってても怒ってても泣いてても、どんなあなたでも大好きだよ。」そう言ってもらうことなく大人になってしまったのなら、今こそ自分にそう言ってあげればいいんだよ。
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