見出し画像

死ぬ方法をググるってことは生きたいってことなんじゃないのかな。


noteで記事を書いて早1年。

好きな人に対してのラブレターや、仕事の愚痴、漫画のことなどなんでも吐き出してきたこのnoteで、一番読まれている記事がある。
(念のため言うが私のnoteの中で、である。)

こちらだ。


タイトルが重々しい。
いかにも病んでる人が書いたものっぽいが、このときの私は病んでいない。
正確に言うと、病んでた時期を過ぎてからパソコンに向かう気になったので、わりとリアルに、当時自分が行動したことや思ったことが綴られている感じだ。

どれくらい読まれているかというと、大体2万ビューくらいで、2位の記事とはケタが3つも違う。(それはそれで死にたくなっちゃう←)

スクリーンショット 2019-11-21 22.40.46

検索ワードに引っかかりやすいタイトルやタグ付けをしたのももちろんあるだろうが、みんな「自殺」に興味ありすぎなんじゃない?と思ってしまった。


私が毎朝乗る電車はJRなのだが、週に一度は人身事故が起こって電車が遅延する。都内の誰かが朝や夕方に線路に飛び込んで命を落としているのかなと想像してしまう。
それに慣れるのは早かったし、東京とはそういうものなのだと感じた。
人の死が軽んじられているわけではないが、みな自分のことに必死で、誰がなんで死のうとしたのかなんてどうでもいいのかな。

そんな風に、死にたいと思う人に向けて、私の知見というか、死ぬのって結構大変だと思うよと書いたのが上記の記事である。自殺の方法を調べたことがない人は、是非読んでみて欲しい。


仕事でミスをして上司にギャンギャンどなられたり、大失恋したり、大好きな家族に不幸があったり、死ぬたくなる瞬間なんて人生で山ほどある。


本当に辛くて、どうしようもなくて、なんで自分は生きてるんだろうって感覚に溺れそうになる。周りみんなが敵に見えて、全てがどうでもよくなって、自分を愛してくれている人さえ信じられなくなる。世界に味方は誰もいなくて、どうやって生きていけば良いかわからなくて、悲しいと感じる前に目から涙が溢れる。南極の氷が急に溶けて海に沈んでいくように、陣地がなくなって一歩も踏み出せなく感じることもある。

だが、心が壊れる瞬間、脳は機能するのだろうか。

どうやって死のうかなんて考えずにリビングの包丁を持ち出したり、それこそ駅のホームに飛び降りたり、首を吊ったり、調べるまでもない死に方は山ほどある。

なのにどうしてみんな自殺の方法を調べるのか。

それは、「生きたい」からだろう。

生きるための方法を調べるために、自殺方法を調べ、逆説的に自殺ができないことがわかるのと、自殺対策のコールセンターにあわよくば聞いて欲しかったりするのではないか。

ちなみに上記記事内でも言っているが、グーグルは死ぬ方法なんて教えてくれない。自殺したい人にとってはかなり意地悪な仕組みを採用し、アルゴリズムを組んでいる。

こんな記事を書いている私も、今週、仕事でキャパオーバーして職場で泣いていた。
辞めたい逃げたいしか考えられなくて、トイレに逃げ込んだら後輩が居て目元を押さえながら個室に入った。

その日は彼氏に助けを求めた。忙しいのにわざわざ仕事を切り上げてくれた。
彼に話を聞いてもらって楽になって、次の日はわりと元気に仕事ができた。

このことから、自分が一人じゃないことを認識することが生きるために必要なことだと学んだ。

ツラい時は吐き出して良いし、わんわん泣いたらいいと思う。
話せる友人が居なかったら、私に電話したらいい。

死ぬ方法をググる前に、人に頼ることを体験してほしいなと強く思った。




いただいたサポートは本や漫画への勉強代に使わせていただきます^ ^♡