【官能小説】幸せの堕ち場所(02)
オリキスは男の店員に声をかけ、二人きりで話せる人気の少ない場所を教えて貰い、エリカと店を出た。
足の甲が覆い被さる程度に雪が積もった道を踏み歩く。オリキスは真綿のような優しい雰囲気を漂わせたまま、何も言わない。
現在地から五軒離れた所まで来たら階段を下りて、木々に囲まれた清涼な空気が満ちている場所へ入り、石畳の道に出る。
木漏れ日の下、せせらぎが聴こえる小川の横を通ると、日陰を好んで飛ぶ雪の蝶とすれ違った。
「綺麗……」
羽を黄色く発光させる幻想的な姿にエリカは見惚れて顔を動かすも、移動中とあって直ぐにふいっと前を向く。
先ほど居た店から階段に着くまでと変わらない距離を歩いたら、雪が薄く積もった小さな橋が見えてきた。
手すりには鮮やかな緑色の蔦が巻き付き、薄紫色と水色の、二種類の小花を咲かせている。
オリキスが橋の中央で立ち止まると、エリカは二歩通り過ぎてから足音が一人ぼっちになったことに気付いて止まり、振り返った。
彼は穏やかな表情で優しく言う。
「君の前に居る僕はオリキスだと、昨夜、話したよね?」
「……はい」
「僕は君の恋人になりたい」
気持ちを知っていたエリカは真摯な告白に驚かず、眉尻を下げて困った。
「……でも」
ワンピースの袖口を握り締めて呟くように声を落とし、また言葉を選ばなければと考え込むが、浮かんで来ない。
表情がどんよりと曇りつつあるのを見たオリキスは横に視線を外し、わざと何か思い付いた顔をして言う。
「違った」
「へ?」
エリカの間が抜けた反応を見て、小さな笑みを浮かべる。
「城に帰るまで、君は僕の恋人だ」
「」
「幸せな気持ちで過ごすことに、遠慮しなくていい」
「…………」
「君は島に居た頃から変わってないね。周りを気にしてる」
「……」
「僕が幸せにしたいだけだ、君は応えなくていい。好きに笑ってればいいし、怒ってもいい。泣いてもいいし、楽しんだっていいんだよ」
エリカは呆気に取られたが、言葉を咀嚼して泣きたい気持ちになった。
島を出てからシュノーブで目が覚めるまでのあいだ、世界の呪いを受けた者であるがゆえに個人の幸せを諦めること、望んではいけないこと、それらを納得するよう言われるたび、理解できずにいた。
世界に呪われている者たちは、いつだって不変を望む。
自分の幸せを叶えるために呪いを切ったら、悪いことが起きるに違いない。
国が損害を被る。
平和が大事だ。
たとえ身内になじられ、利用されても、
不自由な宿命を受け入れることが、さも当然のように言う。
サラですら、初めて会ったときは卑屈だった。
医師の助手を名乗る少年が呈した苦言を、エリカは思い出す。
『君のためにみんなは居ないし、みんなのために君の生死を決めるのは違うと僕は思うよ』
『軸が無いんだろうね、こう在りたいって生き方や目的が』
『頑張りなよ、君の運命を他人任せにせず』
決めてもいいのだろうか、自分のために。周りが否定する幸せを選んでも。
幸せな気持ちにして貰ってもいいのだろうか?
恋じゃなくても。
好きの種類が違ってても。
冷たい雪が春の息吹きで溶けるように、瞳からは不安の色が段々薄れ、心は枝から落ちて自由を得た葉っぱとなり、ゆらゆら揺れる。
自然と、足が一歩前に出た。
オリキスは少し屈み、言葉が喉に引っかかっている彼女の唇へ、表面が触れる程度の口付けをした。
「いいね?僕は君の物だよ」
慰めるように、エリカの右頬に口付ける。
「愛されていい」
次に左頬へ口付け、左耳に唇を寄せる。
「僕が許す」
オリキスは顔を後ろへ引いて眼鏡を外し、折り畳んで左手に持つと、また顔を近付ける。彼女は合わせて瞼を閉じた。
外気で少し冷たくなった唇。重ねることで二人の口から漏れる白い息を閉じ込め、熱を灯し合う。
寒さを忘れ、唇のやわらかさと形を確かめるように。乞い求めて深く交じらせる。
「…………ん、」
くぐもった切なげな声を耳にしたオリキスは、口付けをやめた。
二人は瞼を開け、至近距離で見つめ合う。
「………………拒否権、ないんですよね?」
彼女の声は、微かに震えていた。
「あるわけないだろう?」
愚問。
オリキスは微笑み、再び唇を重ねて抱き締めた。
体の芯が熱くなる。
エリカは前身を寄せて、オリキスの上着にしがみ付いた。
(捧げよう)
幸せにしたいと言いながら、心も体も奪って支配したいと望む残酷な人。逃げることを決して許さない。
それでもいい。与えてくれる優しさは本物だから。
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