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ショート小説『通学路』

 間違えた。

 文化祭委員の集会は、朝礼前じゃなくて、昼休みに変更になったんだった。そう気づいたのは、家を出てから十分ほど歩いたときだった。

 今から引き返すのも、かといって教室に早く着きすぎるのも癪だ。学校前のコンビニにでも寄ればいいか、とわたしは仕方なく足を進めた。

 五月山池公園の脇道を抜けた先の信号で立ち止まる。

 歩車分離式の信号で、いつもは苛々と点字ブロックの上で足踏みをしながら待ち時間を過ごすが、今日は早い時間のせいか、顔を上げて周りを見渡す余裕があった。
 広い車道の向こう岸が目に入ったとき、私は反射的にしゃがみ、公園の生垣の陰に身をかがめた。

 三組の、沙織と由宇だ。

 隠れなくてもよかったのだろうけれど、咄嗟に隠れてしまった手前、今更出て行くわけにも行かない。わたしは、痺れ始めた脚を抱え込んだまま、信号を一回分、見送ることにした。

 二人とは、同じ小学校だった。

 同じ中学に向かって登下校しているとはいえ、登校中に二人を見かけたのは初めてだし、特に沙織とは、中学に上がってから一度も話していない。

 小学校時代の沙織と由宇の印象と言えば、二人はいつも一緒にいるということだった。家が近い親友同士で、小学生の頃から毎日欠かさず一緒に登下校していた。中学では、学校で一緒にいるところは見かけないが、今でもやはり仲が良いのだろう。

 沙織と由宇が、仲良く大通りの方へ消えて行ったのを見届けてから、わたしはようやく腰を上げ、横断歩道を渡った。

 中学校の正門に向かうには、彼女たちが行った大通りの方を回っていく(一応こちらが正規の通学路だがほとんど誰も使っていない)道と、学校の前にそびえる団地群の間をすり抜けていく近道とがある。

 二人が大通りコースを選んだので、わたしはいつも通り、団地の方へと足を進めた。

 団地のわき道を抜けて、学校の前の通りに出ると、校門の前に由宇の姿が見えた。

 由宇は、ひとりで校門をくぐり抜けて行った。

 沙織はどこへ行ったんだろう。

 気になり出すと、途端に落ち着かなくなる。
 痺れを切らして、わたしは、通学鞄を背負い直すふりをして身体をひねり、大通りの方を振り向いた。

 すると、数十メートル後方に、沙織が歩いていた。

 由宇と沙織の距離でいえば、数百メートルだろうか。
 
 沙織が忘れ物を取りに帰ったとは考えにくい。
となると答えは一つだ、とすぐにぴんと来た。

 由宇は、沙織を守っているのだ。


 三組で、由宇はいじめられている。

 マイペースで授業中も始終ぼーっとしているような由宇とは違い、沙織は周りの目を過剰に気にして、合わせようとするところがある。
 万が一いじめの標的が向くことがあれば、沙織は耐えられないだろう。

 比較的朝早い時間に、うちの中学の人たちがあまり使わない大通りの道なら、クラスの人に遭遇することなく自然と別れられる。
二人が並んで歩いているのを目撃されることさえ防げれば、クラスの人たちも、沙織を由宇の仲間だとはみなさないだろう。

 普段、何を考えているのかよく分からないと思っていた由宇だが、案外しっかりと周りを分析していて、友達思いの一面があるのだ。そう思いながら、わたしはコンビニに寄り、時間を潰した。

 結局、わたしは教室に到着したのは、予鈴が鳴る一分前だった。担任の三浦ちゃんは、予鈴前に教室にいないと、出席簿に遅刻のチェックを入れてしまう。

「穂乃花、今日ギリギリじゃん」

 教室の窓枠に座り込み、かしましくダベっていた女子三人組が、わたしに笑いかけた。

「コンビニでお菓子買ってた」

「まじで? 余裕なの? 一時間目英語の小テストだよ」

「うわー、忘れてたあ」

 わたしがわざとらしくのけぞると、女子のひとりが「おーい」と教室の前方に向かって叫んだ。

「穂乃花にノート!」

 じっくりと眺めていた水色のノートを掴んで立ち上がった由宇は、半分笑っているようにみえる口を開け、机の間を飛び跳ねながら、走ってやって来た。

 由宇のこめかみからまん丸い目元に、汗がひとしずく流れ込む。その小さな粒をじっと見つめながら、わたしの右手はノートを受け取った。

(完)

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