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祈りの形を作ること

私はBlue Millefeuille(ブルーミルフィーユ)というブランド名で2011年からアクセサリーの製作をしています。立ち上げた当初は Web Shop に定期的に新しい作品をアップしていましたが、ここ数年はプライベートが忙しくなって製作時間が思うように取れず、現時点ではオーダーのみの受注とさせていただいています。

ネックレスがメインですが、イベント時にはピアスも作りますし、オーダー内容によってはお揃いのブレスレットを作ることもあります。作品はすべてシリーズに分けられていて、そこに生まれる物語と触れ合うことは、製作者として楽しい時間だったりします。石と向き合い、心をよぎる風景を追いかけて、気がつけばシリーズは8つにもなりました。

アクセサリー作りがまだまだ趣味の範囲内だった頃、初めて天然石で作ったものが妹からもらった「奇跡のメダイ」のためのロザリオもどきだったこともあり(アメジスト、ペリドット、アトランティサイト)、シリーズの中にもメダイやクロスを作ったものがあります。それらはただのアクセサリーというよりは少し特別な気がしていました。お守りのようなものというか。そんな私に周りから「ロザリオを作らないの?」という声がかかったのは6年前の夏でした。

ロザリは宗教的なお品ですから戸惑いはありました。キリスト教徒ではない自分たちが扱っていいものかどうか。けれど、その形に惹かれていたのは本当です。人が祈るという行為、その想いの深さ、ロザリオはそれらすべての結晶のように感じていたからです。美しいものだと思いました。とてもとても、大切なものだと思ったのです。

ですから、ものすごく勝手な言い分だとは思いましたが、ここにはキリスト教的な意味はないと明言した上でなら、祈りの形としてのロザリオをシリーズに加えていいかもしれないと考えました。それでもまだ心はグラグラと揺れていました。本来のロザリオと同じ形なのです。売れてなんぼの仕事ですから。果たして需要はあるのだろうかと悩みは続きます。

さらに正直なことを言えば、ロザリオは他のネックレスよりもお金も時間もかかります。59個の天然石、アンティークのクロスセット。作りだしていいものかどうか答えを出せず、私は一旦は燃え上がった気持ちを押さえ込もうとしました。でも一方で、この美しさを手元に引き寄せたいという願望は日々、募っていくばかりだったのです。

その夜も堂々巡りのまま、取り寄せたロザリオセットをじっと見つめていました。と、日本にいる親友からメールが届いたのです。彼女は通勤電車の中でした。どうやら新しい本を読んでいるようで、今、とても素敵なシーンに出会ったのだと書かれていました。

黒田官兵衛がね、祈るシーンなのよ。深い夜の中、誰にも胸の内を打ち明けず、一人で悩み考えて。でもその手にはね、ロザリオが握られていて、冴え冴えとした月光の中にその姿が浮かび上がっているの。

その瞬間、何かが刺さったと思いました。いや、切り開かれというか。よく一目惚れなんかで「雷に打たれたような」と表現されますが、まさにそんな感じでした。これでもかという力で、でもまったく強引でも騒がしいわけでもなく、逆にどこまでも静かで凛とした空気を伴って、月光の中に祈る人が鮮やかに私の中に飛び込んできたのです。

そうですよね。祈りは誰かとキャッキャと共にすることではありません。たとえ、多くの人が同じことを、同じ場所で祈ったとしても、そこには各個人が想いの丈が詰められている。誰かに見せるものでも、誰かにわかってもらいたいと思うのでもない。だから、いいんだって思いました。私はそんな想いを形にしたいのだから、作りたい、それだけでいいんだと。それがロザリオシリーズ petit fleur : プチ フルール の始まりでした。

私の記念すべき最初のロザリオ「月光」。深く強く、私を奮い立たせてくれた人。月光に浮かび上がるその姿に向けて石を選び、紡ぎました。53個のミャンマー産グレー翡翠、5個のレインボームーンストーン、1個のレピドライト。線細工ロザリオセットはシルバー925です。

展示会のために初めて作ったポストカードの写真も月光にしました。そこには大好きなリルケの言葉を添えて。それは、好きなものをためらわず作っていこう、そんな決意表明になったような気がしてなりません。

人は皆、自分が好きでいいと思うんです。自分を大切にできることはいいことです。でも時々、誰かのことを想う。対価なんて関係なくその人をまっすぐに想い、その人の行くべき道を祈る。人生にはそんな時もあるのではないでしょうか。世界のどこかで今、祈っているであろう人たちに、私は想いを馳せました。

見たこともないような雄大な砂漠の中で、一面の星空を見上げながら祈っている人がいるかもしれません。小さな木造の窓が大切な定位置の人もいるでしょう。慌ただしい雑踏の中でも、想いはきっと純粋なまま。

基本、6mm玉を繋ぎますが、それではいわゆるネックレスとしては長くなりすぎます。4mmにすれば見た目は可愛く仕上がりますが、かぶる事は不可能になります。装飾品としてではないので当たり前です。でもそれでいいのだと思いました。

宗教的に欲しい方にも、胸(というかおなか?)に飾りたい方にも、持ち歩きたい方にも。これは想いの形ですから、好きなようにすればいいと思うのです。私のロザリオには正解も不正解もありません。あるがまま、思うままで。もし小さいものを胸にかけたいのなら、石の間にマンテルを入れらるようにします、と提案したのその為です。

私にとって、59個の石を繋いでいくという作業はもはや祈りも同じでした。無心になって繰り返すメガネ留めは私に意義深い時間を与えてくれたように思います。売れ行きはもはやどうでもいいことでしたが、購入してくださる方やオーダーしてくださる方が続き、想像もしなかった反響にしみじみと喜びが増えていきました。

これは私のロザリオ「恋文」です。たった1つだけ色の違う石には大好きな人のイメージを重ねています。色は私にとって、ある意味形よりも雄弁です。その色と向き合い、いつまでもいつまでも、その人への想いが途切れることなく続いていけばいいと思うのです。

古いロザリオセットですからクロスもずいぶんと痛んでいますが、ずっと持ち続けていれば当たり前。色だって溶接だって剥がれるでしょうし、欠けたり凹んだりもするでしょう。けれどそれは自分とともにあったという証拠。想いの積み重ねられた日々が作り出した形なのだと感じました。

もちろん新しいものに、自分の日々を刻んでいってもいいのです。形は想いの数だけあるのですから。これだと思うものがあればそれを手に取っていただければいいですし、思い描くものがあればそれをお聞きして、形にしていきたい。私は生み出す手として、その橋渡しができればいいのです。

現在、Web Shop は閉めていますが、手元にいくつかあるロザリオは求められる日まで大事にとっておこうと思っています。祈りの心は永遠です、朽ち果てることも、時の流れを憂うこともありませんから。すべてを受け止め包み込み、共にある。

最後に、私のもう一つのロザリオをご紹介。mémoire という名前。フランス語で記憶、思い出。未来に祈る人がいれば過去に祈る人もいるかもしれません。大切な人、大切な時間、それがどこにあるのかは問題ではありません。

私はこのロザリオに、遠い日の幸福な時間を閉じ込めました。これは私の祈りの根っこなのです。始まりの始まりに戻ること。純粋の中の純粋に耳を傾けること。4mm玉の小さなものですから、いつもは親友がプレゼントしてくれた小さなケースに入れてあります。

Blue Millefeuille がまた本格的に動き始めるまでにはもうしばらくかかりそうですが、焦らず腐らずゆるゆると、その日まで想いを繋いでいくつもりです。もちろん、美しき祈りの形であるロザリオシリーズも、変わらず作り続けたていきたいと、心から願っています。

サポートありがとうございます。重病に苦しむ子供たちの英国の慈善団体Roald Dahl’s Marvellous Children’s Charityに売り上げが寄付されるバラ、ロアルド・ダールを買わせていただきたいと思います。