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おばあちゃんがメールマガジンをはじめた話 #あの日のLINE

このnoteは、LINEみんなのものがたりから依頼をいただき、#あの日のLINE をテーマに執筆したものです。


おばあちゃんが、メールマガジンをはじめた。



これだけでも結構な驚きだと思うけど、もうひとつ驚くことがある。私のおばあちゃんは、とっくの昔に、お亡くなりになっている。



魚の食べ方がめちゃくちゃ上手で、「ティッシュ」の発音が壊滅的に下手なおばあちゃん。詩吟の先生をするほど歌が上手で、人からの頼み事を断るのが壊滅的に下手なおばあちゃん。

今回は、2010年にこの世を去った私のおばあちゃんが、お葬式の1週間後にメールマガジンをはじめたこと、そして今どうなっているのかを、書こうと思います。


死んだおばあちゃんからメールが来た


「おばあちゃん」や「おじいちゃん」というのは、自分が生きてる間に、高確率で死んでしまう。私の場合は、おじいちゃんが先だった。おそらくそれが、人の死に触れるはじめての経験だったかなあ、と思う。

でも結構小さかったので、本当に申し訳ないのだけど、お葬式の感想は、

「お坊さんあんなに長いおまじない覚えててすごいな」
「お焼香、お茶漬けのふりかけみたいでおいしそう」
「瓶に入ったオレンジジュースがもらえてうれしいな」

とかだった。人の死よりも、人生初の「お葬式」自体に興味津々だった。


おばあちゃんのときは違った。もう大学生だったし、人の死にきっちり向き合える時間だった。とは言え、死ぬことが予め分かっていたので、みんなの心はわりと穏やかで、こんなことをして見送っていた。


さて。ここからが世にも奇妙な物語。おばあちゃんが死んだ後、私の携帯に、おばあちゃんからメールが届いた。



「こんにちは。お元気ですか。私は元気です」



誰??????(笑) 

「私は元気です」って、嘘すぎるなあ。一番仲良しのいとこに連絡したら、「私も届いた、ママたちにも来た」と言っていた。


若い方々のために説明すると、その昔「センター問い合わせ」とか「iモード問い合わせ」っていうのをしないと、メールが届かない時代があった。2010年、スマホの人は20人に1人くらい。おばあちゃんの携帯は当然ガラケーで、問い合わせをするタイプの古い機種だった。

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なので例えば、生前ギリギリにメールを送信していて、それが何かの拍子にサーバーに残ってて、今届いた……という可能性はある。おばあちゃんは、親戚たちに何でもないメールを送るのが好きだったから、最後に送ったのかな、それだったらすごいなあ、とおさめていた。


メールマガジン、はじめました


数日後、またおばあちゃんからメールが届いた。


「今日は雨が降ります。空にいるので分かりますよ。傘忘れずに」

なるほど、天国にいるから天気が分かるのかあ。ちがうちがう。いや、助かるけど。誰なんだ。


まあでも、普通に考えれば、まだ解約していないおばあちゃんの携帯で、誰かが送っているんだろう。私はリビングに行った。母が、おばあちゃんの携帯を持って、子どものような顔をしていた。

「やっぱりなあ」
「ふふ、バレた?」



私のおばあちゃんは、大阪で小さな商店をやっていた。母が言うには、「業者さんや、おばあちゃんの知人からの連絡があるかもしれない」ということで、しばらくは携帯を解約しないでおくらしかった。

「で、せっかくだから、みんなにメールでもしようかなって。ちょっとホントにおばあちゃんからみたいで、楽しいでしょ?」


携帯代は余分にかかるけど、値段は知れてるし、天国のおばあちゃんからメルマガが届くっていいな。親戚たちも、じきに私の母の仕業と気づいた。とてもとても、面白がってくれた。


「皆さん、今日は暑くなります。水分補給してね」
「サッカー日本が勝ちました。おやすみなさい」
「今日は◯◯おじちゃんの誕生日!おめでとう」
「△△ちゃんがもうすぐ1年生になりますね。友達100人できるかな」


最初は読むだけだったメールマガジン、親戚たちは次第に、返信をしはじめた。みんな、私の母だと分かっていながらも、「天国に暮らすおばあちゃんとの連絡」として、やりとりを楽しんでいた。

母は、笑ったり涙ぐんだりしながら、おばあちゃんのふりをして返した。ある時には、「天国で再会したおじいちゃんと、毎日早起きをして、元気に魚つりをしている」という報告もあった。何がつれるんだろ。

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送り主(私のいとこ)、故人の風邪の心配してるけど、本人は夫婦揃って胃腸炎かよ!笑  いやー、知らなかったな……そんな時期があったんだな。


中でも、みんなでお墓参りをした翌日のメールは面白かった。

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「沢山のお供え有り難うございました」って。笑 あと、この「----END----」って入るの、めちゃくちゃ懐かしいな。


そんなおばあちゃんのメールマガジンは、時に、さみしい気持ちの窓口にもなっていた。

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「携帯持ったら お母さんに メールしたくなります。ごめんね」

ここに書かれた「お母さん」は、おばあちゃんのこと。私からみて、おじさんにあたる人からのメール。子どもが生まれても、50歳を超えても、「お母さん、さみしい」って言いたいときが、きっとあるんだな。



ローマ字で届いた、最後の一通


おばあちゃんがメールマガジンをはじめて1年半の頃、母が言った。
「そろそろ解約しようかと思ってるの」

すぐに反対した。
この携帯を解約してしまうと、本当の本当に、日常からおばあちゃんがいなくなるような気がした。

でも、母の気持ちも納得できた。
「送ってると楽しいけど、いろいろ思い出して泣いてしまうのよ。次に進めてない感じがする」

日常からおばあちゃんが旅立つことも、娘である母にとっては、大事だと思った。少し話し合って、あと半年、2年目が終わるまで続けてみてから、解約しようということになった。



忘れた頃に、その日はやってくる。

おばあちゃんから1通のメールが届いた。平日の昼間だったこともあり、すぐには反応できず、仕事の合間に気付いて読んだ。なぜかローマ字だったから、一文字ずつ、ゆっくり読んだ。


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待って!
やっぱり解約したくない。
絶対解約しちゃいけない。
そんな気がしたから、急いで母に電話した。

「もしもし」
「どうしたの?」
「おばあちゃんのメールマガジン、やっぱり続けへん?私がやる」
「……ごめんなさい。もう解約してしまったよ。」


遅かった。もう一度契約して…とかは物理的にできるけど、母のけじめでもあることを思い出し、自分の心を落ち着けた。

「ローマ字、どうして?」
「最初は日本語で打ち始めたんだけどね、自分の打つ、おばあちゃんの最後の文字を見てると、かなしくなっちゃって。ローマ字だったら、ちょっと考えながら打つでしょ、それでなんとか送れたの」


解約直前、最後に返事をくれたのは、いとこのお兄ちゃんだった。それを最後に、おばあちゃんのメールマガジンは、2012年2月29日に配信終了した。

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それから8年が経った今日。

LINEさんから寄稿のお話をいただき、LINEにまつわるエピソードを書く上で、最初に思い出すのは、この、おばあちゃんのメールマガジンの話だった。LINEじゃないけど、携帯を通した文字でのコミュニケーションで、これに勝る思い出がなかった。


ひとまずその時のことを辿りたくて、実家の母に頼んで、おばあちゃんの携帯を探してもらった。充電して、電源を入れて、やりとりの画面を送ってもらった。そしたらやっぱり、おばあちゃんのメールマガジンをもう一度やってみたいと思った。そうだ、今度は「LINE」で。


こうして、私とおばあちゃんによるメールマガジン…ではなく、「LINEマガジン」がはじまった。

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配信は、お店とか芸能人がよく使ってる「LINE@」を使ってみた。おばあちゃんが生んだ子ども、子どもが生んだ孫、孫が生んだ曾孫………いろいろ合わせて、全部で16人の読者がいるマガジンになった。

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8年ぶりにおばあちゃんへ届く返事には、親戚たちの近況が書いてあった。写真を送ってくれる人もいたし、当時、小学生だったいとこの子どもからのLINEには、「ご無沙汰しております」とか書いてて、二度見した。


親戚とか家族って、いろんなかたちがある。だから、仲が良くても離れていても、何でもよいと思う。私たちの場合は、おばあちゃんが繋いでくれてたんだな、という感じ。だから、生前はよく集まってたけど、それからは疎遠になっていた。

でも、こうやって軽やかに声をかけられる場所をつくってみて、良かった。久しぶりにいとこたちと会いたくなった。すぐ会えるかわかんないけど、会えたら、おばあちゃんにLINEで報告しよう。写真も撮って、LINEマガジンで、みんなにも送ってもらおう。


あ、おばあちゃん。
今日も、あなたの娘からLINEが来たよ。

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