3ヶ月ぶりに電車に乗った話

いや本当に3ヶ月ぶりに。

僕は車で仕事場まで行っているので電車に乗る機会はもともと少なめではあったんですが、それでも外で酒を飲む日には電車で出かけていたので、なんだかんだ週に1-2度は電車に乗っていたと思われます(こうして思い出そうとすると自分が電車に乗る頻度すらあっという間に忘れているのがまた怖いのですが)。

そこでコロナですよ。

職場には来るなというお達しだし、子供は学校が休校だから家で面倒を見る人も必要だし、何より飲み屋がやっていないので「電車でないと出かけられないところ」がない。

というわけで早3ヶ月。

こんなに長いこと電車に乗らなかったのはどれだけ振りだろう。自転車通学だった高校生の時でさえなんだかんだ月に何度かは電車に乗っていたと思う。

それが子供の学校も半日だけど再開して、職場にも少しは顔を出したりするようになったりして、ちょっとずつ日常が戻ってきた矢先に自宅マンションの機械式駐車場がメンテの日だったわけです。

メンテね。大事だよね。カタパルトから水偵が飛べないと酷い目にあったりするしね。まぁ今の場合は車が出せないんですけどね。

車が出せないのでは仕方ない。ということで3ヶ月振りに電車に乗りました。

なんというか、なんていうんですか、「あぁ俺の知ってるニッポンだ」っていうんですかね。

Suicaをピッとして改札を潜って、プラットフォームにアナウンスが流れて、プシューっと開いた扉から電車に乗る。

コロナが中断させていた「ニッポン」が帰ってきたような感慨(まぁ電車はずっと動いてたはずだけれど)を感じてなんかちょっとエモっとしてました。

ロシアでの生活を切り上げて成田空港に降りた時もそういやこんな気分だったなと。

交通機関て、その国の文化というか社会そのものに対する記憶と密接に結びついているんですかね。外国に行ってその国の電車に乗ると、そういえば「あぁ外国に来たんだなぁ」という気分になるような気もします。

とすると『シン・ゴジラ』の無人在来線爆弾は「ニッポン」そのものがゴジラと差し違えて戦ってたんだなぁ。

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