人間にとって必要なのは感情です

Cです、こんばんは。
今日は地元の国定公園に行ってきました。大切な方と2週間ぶりにお会いし、その流れで以前話に出たそこに行きました。

まあそんなことはどうでもいいんですがw

表題に記載していることは大切なことであり事実なので敢えて触れたいと思います。

例のひとつとして認知症患者への接遇としてまずは『疾病』であることを強調されるのですが、疾病だからといって100%受け入れなければならない理由などないと思うんです。
利用者だからって何でもアリじゃないんですよね。この人はこうだからあの人はうんちゃらで……。
プロだからっていうけどさ、それ相当のものを貰ってるわけでもないのに負担は倍々ゲームってどういうこと?

そんなことがうっーすく降り積もってくとどうなるか!

人としてのエモーショナルな部分が上記に比例して徐々に消えてゆくというか、薄れてってしまうんですよね。
何か楽しいことをしたいとか、面白おかしいことを見付けようとかそういう気力が削がれていきます。
看取りで利用者が亡くなる場合もあり、そういうことが増えると人の『死』に鈍感になってしまいます。TVの画面の向こう側で起きてる凶悪事件を見聞きしても現実感が希薄になるというかサラッと流す感じ。親兄弟や友人や最愛の人が死んでも何とも思えなくなってしまうようで怖いんですよね。

若い頃ならファッションやコスメやアクセに気を遣おうと思えるんですが、現実に還って自分の収入と欲しいものを秤にかけると後者の方が圧倒的に金額がかかりますよね。それ以前にどこに小奇麗な格好をしてお洒落して出かけるんだろうとなってしまうんです。
心身共に業務で疲れ果ててそんな気力なんて沸きはしない、最低限の買い物ですら億劫になってしまう……ってこれガチでヤバいよ鬱になっちゃうよ!日常でメイクをするのも叶わない(入浴介助や夏場の気温でメイクが溶けてしまう)、アクセは服務規程によって禁じられている(これは仕方ないにしても、基本的に離床/臥床介助が利用者への多大な身体的負担となり、それが介護者への腰痛等の身体疾患に繋がることもわかっていない法人の多いことよ)。

国家試験にマズローの5大欲求とか出てきても最低限の底辺を這ってるだけじゃねーかとどっか斜に見てしまった自分自身に自己嫌悪しました。

うん、バカじゃんwww意味ないじゃんwww

おしゃれしたいよね?
美しくなりたいよね?
面白おかしく充実したいよね?

じゃあ介護辞めよう?
今すぐにとは言わないけど辞めちゃおうよ。

覚悟を決めて腹括って介護の世界に飛び込んだとか意味ないっすよ?
自分がしたいことを優先してもいいんじゃない?
明後日の方向にいっちゃった高齢者の介護であなたの時間を潰してもいいっての?
その拘束9時間で何ができる?
腰痛は序の口としていつしか心身共にやられるよ?
いやいやそんなのおかしくね?

職業選択の自由~あはははーん♪
職業選択の自由~あはははーん♪
職業選択の自由~あはははーん♪

……ってこれ25年以上前に高橋幸宏さんがやっていらしたサリダのCMかよ古いなw
仙道敦子さん可愛いすね。
『セーラー服反逆同盟』の仙道さんが好きです。でも『noa』の仙道さんがもーっと好きです。
って脱線しかけた。

うーん、介護って何も生み出さないよなー。
職務としてやる意味ないじゃん馬鹿馬鹿しいとすら思えてくるのでした。
まあそんなことを思ってしまう事態が非常に不味いわけですが。

美しい景色を見て感動出来る気持ちくらいは残しておかないといけませんね。

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