ひとすぢの秋風なりし蚊遣香


草刈りをサボっていたせいで荒れるに任せた雑草たち。
そのせいで時々藪蚊たちにせせられている。

小さくとも命があるのだから殺生は良くないよと、風流を気取って蚊帳を吊ったりしていたが、面倒でもあるし、もう我慢がならぬ。

キンカンとムヒの減りが半端ではない。
ということで、昼間から縁側で蚊取り線香を焚くことにした。

蚊だって、危険な匂いの気配を少しでも察知すれば近寄らなければいいだけの話で、果たして話が通じるかはわからぬが、こちらは殺生与奪の権限を行使した。

これは専守防衛であって、核の傘ならぬ燻煙の傘である。

敵の出陣基地を探し出し、先手を打って叩けばいいのだろうが、そこまで大袈裟にすると過剰防衛になってしまう。


くだらぬ文章で始めてしまったが、秋の蚊も早く子孫を残さねばと必死なのだ。
昆虫は、命を繋ぐためにだけ存在していると考えるのは人間の驕りだろうか。

ひとすぢの秋風なりし蚊遣香 渡辺水巴

季重なりで取り合わせは平凡ながら、真っ直ぐに立ち昇る一筋の煙りのかすかな乱れに秋を感じている風情である。

この水巴の感覚は日本人ならではのものと思うが、三十六歌仙の一人、藤原敏行が詠み、古今和歌集にも採られた歌と同じ趣きの句とわかる。

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

有名な歌だから説明の必要もないが、詞書に「秋立つ日詠める」とあるので、立秋の日だったことがわかる。
但し、こちらの風は低気圧通過中の強風であって、その強風によって初めて秋の到来を感じたうっかり屋さんだ。

藤原敏行の嫁さんつながりで、在原業平は義兄弟(お互いの嫁さんが姉妹)である。

この歌以上に有名なのが、小倉百人一首に採られた、

すみの江の岸による浪よるさへや夢のかよひぢ人目よくらむ

で、「寄る」と「夜」が掛詞になっていて、人目のない夜にだって住の江の岸に波は寄せているのに、どうしてあなたは人目を避けてさえ来てくれないの? と、女性の立場になって詠んでいる。

個人的には「秋きぬと」の方が好きだが、歌詠みの定家の感性が優れているに違いない。


今夜は蚊取り線香と添い寝することにしよう。

夕月の友となりぬる蚊やり哉
 一茶

立ち昇る燻煙が揺れている。
これは蚊にとっての高濃度放射能のようなものだろうが許してくれ。

いとまなき身にくれか ゝる蚊やり哉 蕪村

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