闘わずして日が暮れて

2010年6月20日

午前10時に人と待ち合わせをしているので、また新宿に出た。
また新宿かよ、と言われても、相手のあることだから仕方がない。
待ち合わせの相手は「人」である。
こんな書き方に、ふと疑問を覚えた。
「人と待ち合わせ」
当たり前の表現である。
私は新宿でマウンテンゴリラやカモノハシと待ち合わせはしない。
どうもまた、くだらないことに引っ掛かって、先へ進みそうもないから、改めて書き直す。

午前10時に待ち合わせをしているので、また新宿に出た。
パチンコ屋さんの前には、開店を待つ人の列。
今日が日曜だからというわけではなく、平日でも、こんな光景をよく目にする。
射幸心は理解できるが、この人たちは、ふだん何をして暮らしているのだろうと考えると、そこが判らない。
勝負事だから、勝つことを信じて通っていることは判る。
勝てば次も勝つだろう、負ければ次こそは勝つだろう、と信じて通っているんだろうね。

私は二十歳でパチンコを卒業した。
歳が判ってしまうが、まだかろうじて、立ったままの手打ち台が残っていた時代だ。
玉が入ったのに出ないと、頭上のボタンで赤いライトを点ける。
すると並んだ台の内側にいるお姉さんかおばちゃんか知らないが、確かに玉が入ったことを確認し、ジャラジャラと出してくれる。
玉が入るたびにチューリップが開いたり閉じたり、なかなか面白かった。

換金はせず、さまざまな景品を持ち帰るのが好きだった。
当時は茶色の紙袋で、それに、あふれんばかりにお菓子や煙草(済みません、未成年でした、もう時効、時効!)やコンビーフ缶なんかを入れ、意気揚々と店を出るのが誇らしかった。
19歳の時、高校時代の仲間の、洋ちゃんと上原の三人で、国鉄の周遊券を使って、夜行列車で北陸へ旅行に行った。
朝、金沢駅に着くと、上原が突然、
「あ、俺ドライヤー忘れた!」
どこかで買えば良さそうなものだが、香林坊まで移動し、パチンコ屋が開くまで待って、三人で打った。
二人は負けたが、たまたま私が勝って、ドライヤーを手に入れた。
おまけに、せっかく来たんだから観光すれば良さそうものだが、夕方までビリヤードをした。
なんてバカだったんだろう。
一週間の予定だったから、その後は、真面目に能登半島をゆっくりと巡った。
ここで真面目というのは、ほぼスケジュール通りに日程を消化した、というほどの意味で、夏休み中の名古屋の短大のお姉さんたちとどうなったかは、また別の話である。

また前フリが長いぞ、とお叱りを頂戴しそうだが、今回は何も書くことがないので、今日一日の私の行動を、ダラダラと書き進めるだけである。
だから話にまとまりはない。
これからが中フリで、思いつくままに進行するだけである。
(この、である、とかの文体がエラそうと批判もあるが、こう書くしか能がないのである)
いつもまとまっていないのだから、これでいいのだ。

さて、話はパチンコ屋さんであった。
数年前、自宅近くのパチンコ屋さんに、今年の二月に亡くなられた藤田まことさんが来たらしい。
必殺なんとかのパチンコ台を導入して、その新装開店に呼ばれたらしい。
芸能人という職業も大変なんだなあ、大物になっても仕事は選べないんだなあ、と社会の厳しさを知った。
最近はテレビを観ていても、頻繁にパチンコ台メーカーのCMが流れる。
それだけ不況に強い商売という証しなのだろうが、そういえば、競馬や競艇のCMも、これでもかというくらいに流れている。
それだけ儲かっているんだろうし、傘下にはいくつもの法人があるらしいから、不況の今こそ稼ぎ時、と喜んでいるのだろう。
もっとも、射幸心を煽るのは宝くじも同じことで、こちらもたくさんの法人がぶら下がっているようだ。
宝くじは年に1度、気まぐれで年末ジャンボを買うのだが、還元率が一番低いという。

還元率の高そうなパチンコを卒業して(麻雀も二十歳で卒業しました)、逆に還元率の低い宝くじを買うのは、やはり今でもバカを卒業できていない証明のようで、困ったことだ。
でも、中にはパチンコを始めとしたギャンブル依存で、人生を棒に振る人も多いらしく、社会問題にもなっている。
やめようと思ってもやめられないのは、意思の弱さだけでなく、一種の病気でもあるらしい。
誰だって一攫千金を夢見たことはあると思うのだが、脳内バランスが崩れるきっかけはあったはずだ。
罹病の治療だけでなく、予防策も当然必要なわけで、そう考えると、日本にもカジノを作ろうなどと目論んでいる人たちに、その辺りの対策も考えているのかと問いたい。
人間の射幸心を当て込んだ商売は、人間の弱さをピンポイントで狙ってお金を稼ぐ行為である。
ここでその是非は論じないが、狙われないよう、近づかないよう、私は周囲に注意を払うだけである。

最近のパチンコは、まったく訳が判らない。
煙草の煙りも不快だが、あの機械音が嫌だ。
ドギューン、バギューン、ピコピコ、ピョロロ~ンなどの音は苦手です。
昔のように指でレバーを弾き、チューリップが開いたり閉じたり、チン、ジャラジャラと玉の流れるシンプルな音の、単純な台が懐かしいなと思う。
店内の音は、軍艦マーチだけでよろしい。

昭和レトロブームで、探せばそんな店もあるのかも知れないが、あってもやらないだろうな。
パチンコが趣味の高齢者夫婦を知っているが、負けても負けても通っているらしい。
それが趣味で唯一の娯楽らしいから、私とは一切関係ないけれど、私の趣味である読書を、「時間の浪費!、黙って活字を見ていて何が楽しい?」と言われたことがある。
人間の価値観は多彩だ。だから面白い。

午前中の「思い出横丁」はアンニュイの香り。
それでも朝から開いている店も数軒あり、朝酒を楽しんでいる人もいた。
朝寝、朝風呂と並んで、朝酒も人生の醍醐味なのだろう。
夜勤明けの人にとっては、その一杯が、帰宅前の至福のひとときなんだろうね。

話は最初に戻って、また新宿かよ、と思われるのも癪なので、両国に向った。
もちろん用事があるわけだが、どうだ、新宿じゃないんだぞ、との思いもある。

そういえば、角界の不祥事も相変わらずだ。
麻薬に汚染されたかと思えば、新弟子をリンチまがいの暴力で殺してしまったり、八百長疑惑があったり、そして今度は暴力団がらみの賭博疑惑。
今や角界は、社会に蔓延する犯罪集団のひとつになってしまった感がある。
恥部はすべてさらけ出し、虚心坦懐で再出発するのが当たり前。
でも協会は法人だから、ここにも傘下にたくさんの子や孫の法人を抱えているのだろう。
と考えるのはここまでで、相撲中継はたまにテレビ桟敷で観戦することがある。
観ている分には面白いが、どんなに素質と体力があっても、絶対にお相撲さんにはなりたくないなと思う。
互いの回しを取り合い、汗まみれになって裸の男たちと密着するのはゴメンだ。
じゃ、きれいなお姉さんが相手ならどうなんだ、などの問いは受け付けない。

帰りの電車の中吊りに、西武園遊園地の広告があった。開園60周年で、入場料が60円だという。普段の入場料がいくらかは知らないが、もし70円とかだったら笑っちゃうなあ。こうして、何も起こらない平凡な一日が、つつがなく終わった。

シャワーを浴びていると、なぜか中島みゆきの「ファイト」を口ずさんでいた。

闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう

闘いもせず、他人を嗤いもせず、これが私の日常です。





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