見出し画像

神は耐えられない試練は与えられない、には続きがある

今回はTwitterで人気の上馬キリスト教会(@kamiumach)さん…ほど、上手に伝えられるか自信がありませんが、私の信じるキリスト教がメインのお話です。最後にちょっとだけ、自分のクライミングの話もでてきます。

いつもと毛色が違いますが、思うところあって。

では。

なにかとても大きな大きな困難にぶつかったとき、それでもその困難の先に希望を持ちたいと強く願うとき、人はこの言葉を口にすることがあります。

神は耐えられない試練は与えられない

この言葉を耳に(目に)するとき、はたしてこの言葉には大事な続きがあることを、一体どのくらいの人が知っているのだろうかと思います。

私はクリスチャンなので、この言葉は聖書の言葉、つまり『神様のことば(御言葉)』として心に留めています。

聖書にはこう書かれています。

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう逃れる道をも備えていてくださいます。

新約聖書・コリントの信徒への手紙一10章13節の御言葉です。

メディアで『神は耐えられない試練は与えられない』という言葉が取り上げられる時、それはまるで「そうだ!あなたはこんな試練に負けるほど弱くない!その意気だ!頑張れ!」という意味で使われているように強く感じることがあります。

もし、この意味で使われているのであれば、これは私の全く知らない、キリスト教以外のなにか別の宗教か、自己啓発系の言葉です。

聖書が伝えているのは「あなたは小さくて弱い存在だよ、でも神様がそばにいて支えてくれるから、 困難の中でも希望を持てるんだよ」ということだからです。

神様は決して「あなたはとても強い人だから、このくらいの試練は『あなたの力』で乗り越えてね!そのくらいできるよね!」と言っているのではないんです。

『神は耐えられない試練は与えられない』の、大事な大事な続きは『試練と共に、それに耐えられるよう逃れる道をも備えていてくださいます。』です。

あなたが試練に耐えられるのは、あなただけの力によるものではなくて、神様の力が働いてくれるからだよ、という意味です。

逃れる道というと「逃げるのか!けしからん!」という声が聞こえてきそうです。

巷では、頑張らなくていいよ、無理しなくていいよ、あなたらしくいていいよ、など、優しい言葉が目立つ一方、実際はまだまだ、困難にあえて真正面からぶつかってボロボロになる人を、より称えるような風潮があるような気がします。

もちろん、困難に挑むのは悪いことじゃありません。

ただ、頑張らなくていいよ、という言葉は、その人があえてボロボロになった段階にならなければ、もしくは100人中が100人が「これは困難だ」と言い切れるような状況にいるのでなければ出てくることが許されない、そんな前提条件が必要とされるような空気が、うっすらとあるのではないでしょうか。

ボロボロになる前に、傷ついてしまう前に『逃れる道』を見つけたら、それは「甘え」だと言われるんじゃないかって、不安になる人もいるかもしれません。

でも、ちがいます。

聖書に書かれている、神様の備えてくださる『逃れる道』とは、甘えでもズルのことでもありません。『希望』のことです。

そして神様がその希望を人々に伝えるために、人間としてこの世に送ってくださったのが、イエス様です。

神様は、困難の中で人の望みを願い通りに叶えてくれることもなければ、具体的な解決策をたちどころに与えて喜ばせてくれることもなかったりします。そのかわり、いつでもどんなときでも、そばにいて、希望を与え続けてくれる存在です。

善い行いを積めば、きっといつかご利益があるとか、お祓いをすれば災難から逃れられるとか、お参りをすれば、ここぞという場面で自分の力を最大限に発揮できる、というような考えがある人が聞いたら、少しがっかりするかもしれませんね。

でも、これが聖書の伝える神様の姿なんです。

聖書の中では繰り返し、どんなときも神様がそばにいてくださることが語られています。

最後に、私の好きな聖書箇所を2つ紹介します。どちらも、あなただけの力ではない、神様の力があるんだよ、ということを思い出させ、励ましてくれる御言葉です。

主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。(詩篇37篇23-24節)
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(コリントの信徒への手紙二12章9節)

以前、”クライミングのタイムリミット”の記事で書いたように、私も今ちょっとした試練の中にあります。

怪我が順調に治らなくて、落ち込んだりもします。そんな時があっても、それでも、いいんです。

神様がいつも見守ってくれている、その希望の光が消えることはありません。

2020年2月8日(土)

Photo by Raul Petri on Unsplash
















この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとうございます!
37
81年生まれ♀。高校を一年で中退しフラフラした10代を過ごす。200%インドア文系だったのに理系学部しかない大学へ進学し、ワンダーフォーゲル部で山好きになる。運動オンチのクライミング初心者でクリスチャン。

この記事が入っているマガジン

かわうそ君の、ノボル考
かわうそ君の、ノボル考
  • 11本

見た目が某漫画のキャラクターに似ている、ビギナーアラフォークライマー。どこまでも運動オンチの視点から、クライミングについて感じたこと、考えたことを綴ります。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。