見出し画像

必ずブランディング通になれる3分で読めるエッセイ〜ブランドのチカラ(22)

ブランディングこそ広告で作るべきではないのか、と前回書きました。ここをもう少し深掘りする。

1)いったん誕生したブランドは、維持のために広告が必要(The 22 immutable Laws of Branding)

2)パブリシティのネタが尽きたら広告の出番? 掛け捨て保険?

3)パブリシティはネタの仕込みまでしかコントロールできない

4)広告はOne-Wayだけど、打ち込むイメージをコントロールできる

5)むしろ広告の役割はブランディングにあり





  ブランディングは広告ではつくれない、とするライズ親子の主張には続きがあるんです。
  曰く、ブランドはパブリシティで作られ、広告でメインテナンスされる。

  The 22 Immutable Laws of BRANDING (ブランディング22の法則)の「第4章 広告の法則」で以下のように説いています。サブタイトルは、”いったん誕生したブランドは、その健康を維持するために広告を必要とする。(Once born、a brand needs advertising to stay healthy.)

(要約)
 ”パブリシティは強力な武器であるが、ブランドは遅かれ早かれパブリシティの潜在力を飛び越える・・・成功したあらゆるブランドは同じ過程を辿っている。コンパック、デル、SAP、オラクル、シスコ、マイクロソフト、スターバックス、ウォルマートといったブランドはパブリシティの炎の中で生まれた。パブリシティの力が衰えるにつれ、これらのブランドも自分の立場を守るため、いつしか大がかりな広告に比重を移さざるをえないだろう。初めにパブリシティ、次いで広告というのが一般的な原則である・・・広告はそれ自体では引き合わないかもしれない。しかしもしあなたがリーダーだとすると、広告によって競合企業はあなたと張り合うため無理な出費を強いられることになる・・・”

引用が長くなっちゃいましたが、簡単に言えば、パブリシティするネタが尽きたら、広告の出番です、競合他社を寄せつけないための掛け捨て保険と思うべし・・・ということですね。
これ、広告必要悪論みたいなもんですね。

  でも私はそうは思わないんです。別に広告を庇うわけじゃありません。

  広告もパブリシティもブランディングに寄与する大きなリングの一部でしょう。

  どちらが先か? スタートアップの時期には企業は大きな広告費を確保できませんから、必然的にパブリシティに傾注するしかないですよね。だから否応なくパブリシティが先行するわけです。

  パブリシティのネタが尽きたら、広告の出番というも違うかなと思います。

  ブランドって好意的イメージの累積によって出来る顧客の脳内幻想です。CX =customer experience のすべての接触点で好意を獲得していくことが必要となります。パブリシティも顧客の接するコンタクトポイントですが、その一部に過ぎません。広告も並列する一部です。

  パブリシティは企業の理屈で製品周りのあれこれを伝えても大きな効果は出なくて、好感できる企業の行う「事実」によって巷間に伝播します。この好例はいずれ詳しく書きますけど、毎年恒例となった、すしざんまいの喜代村の木村清社長の参加するマグロの初ゼリです。

  反対に、テレビ番組でよく放映されている新CM発表の記者会見、有名タレントが出てあれやこれや喋っていますが、皆さん何かひとつでも覚えてます?
  タレントが誰だったか以外にです。タレントの背後のパネルに企業のロゴがどこから映ってもいいように沢山配置されていますが、あれはほぼ企業の自己満足で終わります。

  広告は企業側発信のメッセージです。性質上、それは one-wayになりますが、それを頭に置いて企業側が忘れてはいけない事は二つあります。

ひとつは、広告を見たいなんて誰も思っていない事。

  山本良二・近畿大学教授は元電通社員で、面白いCMを連発する同社の梁山泊のような通称”堀井チーム”に長くいたクリエイターです。ユニークな広告をたくさん作り多くの広告賞を受賞した人です。

  その彼が、宣伝会議 AdverTimesのインタビューで以前務めていた電通での仕事をこう振り返っています。

「広告を見たい人なんて、ひとりもいない。そういう前提に立って企画する事が大事なんや。ずっと(堀井チームで)そう言われながらで仕事をしてきました。」

「しかも15秒CMなんてあっという間に終わってしまいます。あなたが冷蔵庫から缶ビールを取り出してひと口飲む前に、僕たちがつくったCMは既に終わっているのです。当然のことです。CMなんかを見るよりもおいしいビールが飲みたい。そう思うのが人間というものです。」

そうです。二つ目は、15秒のTVCMなんてあっという間に終わってしまうということなんです。

 広告費は多くがTV広告に費やされ、そのほとんどは15秒のTVスポット枠です。デジタル広告は別として、広告=15秒TVCMと言っても過言ではないでしょう。

山本さんはこうまとめています。
「広告を見たい人なんていない、しかもCMはあっという間に終わってしまう。だから工夫する。」


  だからこそ企業はfunctional benefit 機能的便益を15秒のTVCMにこれでもかと詰め込んでも、意味はないんです。誰も覚えていない、というか覚えられない。

  ダリル・ウェーバーという元コカコーラのGlobal Creative Directorだったブランド・コンサルタントがブランディングを脳の働きから分析した「誘うブランド(Brand Seduction)」という名著があります。

  脳の情報処理から見ると、学校での勉強などは脳が全力で記憶しようとする「高関与型処理」であり、逆にテレビコマーシャルは、ほとんど記憶に注力しない「低関与型処理」だと彼は説いています。

  つまり、いくら企業が15秒のCMにメッセージを詰め込んでも、そのほとんどが記憶されない表層的メッセージでスルーされてしまう。

  じゃ、CMなんて意味ないじゃん、と言いたくなりますよね。さにあらず。実は脳には暗黙的学習能力というのがあってテレビコマーシャルは低関与型で処理は浅くても、脳には無意識で覚えている能力があり、これは感情の動きを脳が記憶するものだ、というのがウェーバー氏の主張です。

意識下に刻まれ、無意識に覚えているのはその広告、ブランドに対するポジティブな感情、またはネガティブな感情です。その感情がブランドに接するたびに発動します。だからこそ、One-Wayで打ち込むイメージをコントロールできる広告こそブランディングに有効だと思うんです。

パブリシティは、コントロールできるのはネタの仕込みまで、そこから先は企業側の手を離れてコントロールできません。

  世界的調査会社Milward Brown※の会長 Erik du Plessis 氏は脳細胞に刻まれるそのポジティブ・ネガディブの感情の刻印をブランド・ソーマ※と名付けました。


  ブランドに対するポジティブな感情を顧客の意識下に刻んだブランドCMの傑作として以前ネスカフェ・ゴールドブレンドの「違いのわかる男」シリーズの例をあげました。

  CM中の「ダバダ〜」スキャット・ジングルがブランド・ソーマにあたります。ネスレ日本は大きな広告予算を持っている企業ですから、新製品登場の1964年当初から大きな広告予算を使ってこのブランドを育てました。パブリシティ先行ではありません。

  「違いのわかる男」シリーズは日本の稀有なロングラン・ブランドCMだと思います。シリーズではありませんが日本で数少ないブランディング広告を、同じ志向で長年にわたり実施している企業があります。皆さん、どこの企業だと思いますか?

  大日本除虫菊のキンチョー KINCHOです。「お笑い」CMのキンチョーがブランド広告かよ? と異論反論噴出と思います。

「ちょっと何言ってんのか分かんない。」という声も聞こえてきます。😅

 その辺りは次回。

※脚注
○ Milward Brown... ニールセンに次いで世界第二位のグローバルに活動している市場調査会社。WPP傘下のカンターグループである。
○ somaは肉体のを意味する英語で、mindの反義語です。米国の脳神経科学者のアントニオ・ダマシオは情動が脳に刻まれ(ソーマ)、その後の特定の行動を誘発するというソーマ理論を唱えました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?